クロコダイル(海賊)







カツ、カツ、カツ――



延々と続く先の見えない廊下で、二人分の靴音だけが静かに響く。カツカツと靴を鳴らす女の行く先にはファー付きの黒いコートを羽織った男。服装はいつも通りだが、口許には彼のトレードマークの一つとも言える葉巻が存在しない。何とも言えない、違和感。女は幾つか男に訊きたいことがあった。


「…サーってば」


しかし彼は振り向かない。こうして名を呼ぶのも、もう何度目だろう。とうに彼は自分の呼び声に気付いているはずなのに。
恋人が呼んでいるというのに、返事も、振り向きもしないとはどういう了見か。


「いい加減、返事ぐらいしてよ」


流石の女も痺れを切らし、苛立ちを込めて彼を呼ぶ。相手をしてほしいためにべたべた甘えるような子供でもないし、いつまでも優しく相手を待つほど聞き分けのいい大人なわけでもない。
相手に屈したくもないし、一歩下がりもしたくない。恋人になった時点で、私とサーはプライベートは対等だと思っているから。
だから、ずっと相手の我が儘に付き合う気などない。

男もその念を感じ取ったのか、仕方ないといった表情でその場に立ち止まり、後ろを振り返った。


「…何だ」


「何だ、じゃない。何この服」


ドレスの裾を軽く持ち上げて示す。
ミス・オールサンデーに着付けさせたドレスは彼女にとてもよく似合っていた。落ち着きのあるワインレッドのドレス。背の低い彼女のために真っ赤なピンヒールも用意させた。それから、キツ過ぎないルージュも。

全て今日この日の為に、男が選んで用意させたものであった。やはり、彼女には赤がよく似合う。


「馬子にも衣装だな」


「どういう意味かしら、サー・クロコダイル」


返答の内容も聞きたかったものとは違うし、馬子にも衣装って。それ、少なくとも恋人に言う台詞じゃあないでしょう。

慣れないヒールに気を付けながら、一歩一歩男に近付く。


「大体、いきなりドレスなんて着させられたってねえ…」


これでもし舞踏会とかだったらひとりで帰ってやろう。そう腹を決め、目の前まで歩み寄って背の高い彼を見上げる。ヒールを履いていてもやはりこの身長差は大きい。
首が痛くなるのを我慢して見上げているというのに、彼といえば時計を覗き込んだまま、私の方をちらりとも見ない。


「…ねえ、聞いてる?」


正面から不機嫌な声が聞こえる。が、今その問いに応えるより大事なことがある。左では鉤爪の邪魔になるからと右腕に付けた時計を見下ろし、正確な時間を確認する。秒針は頂点を目指して確実に一秒を刻み、進んでいく。計画の時間が迫る。…あと五秒。


四秒。


三秒。



二、





いち






「サー、」
「時間だ」



二人が口を開いたのは、ほぼ同時のようだった。女はまだ言いかけだったが、先の言葉を聞くことはなかった。代わりに、遠くから鐘の音が聴こえる。0時を知らせる鐘だろう、ボーンと低く重い音が響き渡る。
女が言葉を紡げなかったのは唇が重なり合っていたためで。0時とともに彼からキスが落とされ、言葉を奪われてしまった。肩と腰も抱かれて、まんまと彼の腕の中である。
でもそれは全然強引ではなくて、何だかくすぐったいくらいに優しい。いつも冷たい彼が、どうしたのだろう。舌が入ってくるでもなく、貪り合うでもなく、本当に触れるだけの優しいキスが終わり、思わずくらりとよろめく。腰に回された腕にしっかり抱かれていたお陰で倒れることはなかった。



「気分は如何かな、お姫様?」


「…な、にそれ。恥ずかしい」


「今日のてめェは特別だ」



唇が離された時に耳元で囁かれたハッピーバースデーが全ての謎の答えだと気付いて胸が熱くなる。彼が葉巻をくわえてなかったのも、不意打ちでキスするため。ずっと返事をしなかったのも、0時ぴったりに合わせるため。ドレスにヒールにルージュも、この特別な瞬間を彩るため。…何だこれ。すごく、こそばゆい。


「…サーらしくないね」


「らしくねェ、か」


くつくつと喉を鳴らし、愉快そうにわらう。
彼らしくない、サプライズ。
まさか私の誕生日にこんなことをしてくれるなんて思ってもみなかった。というか、彼に振り回されすぎて、自分の事なのにすっかり忘れていた。


「そう言うてめェも、らしくねェなあ?」


耳まで真っ赤だぜ?
彼の言葉に更に顔が熱くなる。
ああもう、調子狂っちゃう。いつもなら負けたくなくて言葉を返すところだけれど、せっかくの誕生日サプライズだ。
また一つ歳をとり、お姫様なんて言える歳ではないかも知れないけれど。まあ今日くらい、いいかな。いいよね。

今日は一日お姫様。なら、王子様にべったり甘えてもいいじゃないか。



「…今日だけ、甘えてあげる。王子様」


「王子様って歳でもねェがな」


歳なんて気にしないで、楽しい方がいい。王子様とお姫様にはハッピーエンドがよく似合う。

誕生日っていうのは、そういうものだ。























20110221.
Happy Birthday Mitsu!
special thanx Ten



20180427.ページ変更

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