クザン(海賊)








夕刻。静かな海軍本部の廊下にカンカンと早足な音が響き渡る。溜まっていた書類も全部出したし、お世話になっている大将方に渡したかったものも渡せた。あと鞄に眠っている箱はひとつだけ。
目的地である執務室の近くで速度を緩め、そのまま静かに足を止める。小走りで帰って来たために少し息と服が乱れた。いつも「だらしない」と渇を入れているわたしがこんな格好では示しがつかない。シャツをピシッと正し、手櫛で髪をとき、荒れた唇に淡いピンクのリップを塗る。少しラメ入りのリップだが、まあこの位なら派手な域には入らないだろう。
上唇と下唇を塗り合わせて、ぱっと控えめなリップ音を鳴らす。


「これでよし」


扉の前で一つ深呼吸をして息を整える。こんなに呼吸が乱れているのは、きっとわたしの体力不足ということだけじゃないのだろう。バッグに入れてあるリボンの掛かった箱を指先でちょんと触る。大丈夫。おかしくない。これは普通の、社交辞令のプレゼントだ。
うん、うん、と自分を納得させ、「これを渡すのは仕事の後」と気持ちを切り替えてドアノブに手をかける。


「…クザン大将〜、もういい加減起き……てますね」


普段の大将だったらこの時間帯(いや、どの時間帯でもそうだけれど)まともに仕事をしてくれていた事なんてないから、きっとまだ寝てるんだろうな、いやちゃんと室内に居ればいい方かな、なんて期待せずにいたのだが。開けた扉の先にはアイマスクを外し、書類にペンを走らせてお仕事に勤しむ上司の姿があって、それにやたら胸がどきりとした。


「…どうしたんですか、具合でも悪いんですか」


仕事をしてくれるのは嬉しい。わたしの仕事も早く終わるし、書類の提出が遅れて怒られる事もないから。だが。いつもなら愛用のアイマスクを着けてソファに足を投げているはずの大将が、何も言ってない内から自主的に仕事を?…
逆に心配になって、大将の座っているソファに近寄る。しかし大将はわたしの姿を捉えた後また俯いて何も喋らない。黙々とペンを走らせて、時折朱色の印鑑をぽとんと落とす。デタラメじゃない、ちゃんと仕事してる。

ますます「これは本当に、どこか悪いのではなかろうか」という思いが強くなる。
原因を探しても特に思いつくものもない。特に、今日が特別な日だから、ということは関係がないだろうとまず初めに思った。根拠は去年の今日はこんなに仕事をしてくれた覚えなどないからである。
考えてもわからないのなら、訊いてみるしか知る由はない。座っている大将に目線を合わせるように腰を屈めて、ちょうどお辞儀をするような態勢で話し掛ける。


「クザン大将、仕事をしてくださってるのはとぉ…っても嬉しいんですが、今日はどうしたんです?何か身体の調子が悪いとか…」


そこまで訊くと大将はぴたりとペンを止め、斜め左上のわたしの顔を見る。その動作がやけに堂々と落ち着いていて、わたしは逃げるでもなく大将の目を見詰めて瞬きするくらいしか出来なかった。
そしてずっと黙り込んでいたクザン大将が小さな一言を吐き出した。




「チョコレート」




…は?

あまりに突然ぶっ飛んだことを言われて、ぽかんとしてしまった。え、いやいや、チョコレート?…何を言っているんだこの人は。もっと深刻な理由を考えていた自分が恥ずかしい。なんだ、よかった。そんなことか。
しかし安堵するわたしとは対称に、クザン大将は不服そうな顔をしていた。


「サカズキ達にも渡したって聞いたんだけど、俺のは?」ああ、ばれてたのか。
此処の執務室に戻る前、ボルサリーノ大将とサカズキ大将に書類と一緒にバレンタインのチョコレートをお渡ししてきたのだ。もちろん、日頃の感謝やいつもいつも書類がぎりぎりだったりすることなどへの謝罪の意味を込めて。
どこ情報かは知らないが、誰と誰が付き合っているだとかそういう下世話なことに関してクザン大将は物凄い地獄耳である。本当にどこからそんなことを、と普段から半ば呆れ、半ば感心している。
で、なんだっけ?「俺へのチョコレート」?はあ、と大きめのため息をひとつ。


「…他の大将方はチョコレートの催促なんてしませんでしたよ」

「それは、俺が言う前にくれないからでしょ」


何を言っているんだろう、このひと。普段全然働かないでいっつもわたしの仕事を増やすくせに、当然自分ももらえるものと思って話してやがる。…いや、まあ一応あるわけだけれど。
まさかちゃんと仕事をしていたのはチョコレートをもらうため?そう考えたら、なんてお馬鹿で可愛いのだろうと心の中で噴き出してしまった。
わたしがそんな風に思っているとはまるで知らないのだろうが、クザンは「それに、」と更に話を進める。


「やっぱり本命チョコは、好きな子からもらいたいじゃない」



…あれ?

女の子からチョコレートをもらいたいがために仕事を頑張る可愛い大将はいつの間にか居なくなっていた。
言葉だけがやけにはっきり聞こえてきて、意味がついてこない。理解するまで少し時間がかかった。そして、意味を理解するころにはわたしの頭はオーバーヒートしていて、顔は真っ赤に火を上げていた。


「なっなななに言ってんですか、ハァ?!」

「おー、かわいい。ウブだねェー」


いや、ウブって!
だって今、さらっと!本命とか好きな子とか、えっ何、恥ずかしくないの?いや恥ずかしいよ!


「何言ってるんですか恥ずかしくないんですか大体ほほほ本命ってアンタ、何で自分がもらえる気でいるんですか!」

「上司に向かってアンタって…まあ、対等って感じでいいかな」


答えになってない。
ていうか恥ずかしい台詞を言ったのはクザン大将の方なのに、何で奴は涼しい顔してるんだ!何でわたしばっかり熱いのよ…!


「これがヒエヒエの実の能力か…!」


いや、違うからねとか何とか大将が返してくるが全く頭に入らない。ゼェハァと息を切らせ、肩を上下に揺らせる。こんな男の一言一句にここまで取り乱したりなんかして。その方が恥ずかしい気がしてきた。
どうやらわたしの取り乱した姿に少し気分が良くなったのか、目の前のトンデモ発言男はニヤリと笑顔を浮かべていた。


「で、俺へのチョコレートは?」


何事もなかったかのように平然とそんな言葉を発する大将が信じられない。ようやく整ってきた呼吸をまた乱しても仕方がないので、少し深呼吸をする。
しかし、チョコレートか。ここで素直にチョコレートを渡すのは、いくらわたしでも屈辱的すぎる。もういっそ、渡すのやめちゃおうかな。何だかそれが名案のように思えてきて、わたしはチョコレート渡さない作戦を実行した。


「…此処に来る途中でガープ中将にお会いして、あげちゃいました」


小さな反抗心から、つんとそっぽを向いて返事を返す。渡さないは言い過ぎにしても、当然の如くもらえると思っている大将を焦らせてやりたかったのだ。なかなかいい台詞を思い付いたと思った。クザン大将はガープ中将にはきっと手出しできないし、もし何かあってもガープ中将ならわたしを匿ってくれるはずだ。
さて、クザン大将はどう出るのかな、なんて余裕を持って返答を待つ。


「…ふうん。じゃあ、」


クザン大将はどっかりと座りこんでいたソファから腰を上げ、わたしの目の前に跪く。


「俺はチョコレートよりイイ物もらおうかしら」

「…はい?」


何ですかそれ、と訊く前に右手が奪われた。抵抗する間もなく手の甲にキス。
展開が早すぎて頭が追いつかない。顔を赤らめることも出来ず、ただただ目を丸くして驚いていると大将は満足そうな顔で「今年のチョコはこれで戴いたということでね」と笑みを浮かべていた。


わたしはきっとそのとき、抵抗して「ばかじゃないですか」とかそんなことを言えば良かったのだ。しかし、展開が自分の許容範囲を超えていたからか何故だか咄嗟に出た言葉がぶっ飛んでいて。そのままぶっ飛んだ行動をしてしまったわけでして。ね。


相変わらずやらしい笑みを浮かべる大将の頬に両の手を添える。その瞬間から大将のニヤニヤ顔が消えて、おや?というような表情に変わる。状況が把握出来ていないのだろう。
わたしは優越感を感じていた。


「…チョコレートよりイイ物って言うなら、手じゃなくてここですよ」


そして、少し切らした息のまま、跪く大将に合わせて少し屈んで口付けをした。もちろん唇に、である。
それは一瞬のような気もしたし、一時間と言われればそうかもしれないと思うほど時間の感覚が曖昧だった。
顔を離してよく見てみると、大将はぽかんとした表情で目をぱちくりさせていたので、わたしは思わず噴き出して笑ってしまった。


「わたしのチョコはとっても高いんですから」

「…こりゃお返しが大変だな」


驚いたような顔が徐々にとかれていき、暫くして二人で笑い合った。






それにしても。





はあ、キスとは

かくも甘いものなか。






因みにさ、はるこ、ファーストキスいつ?
えっ、……ついさっきです。
…俺、ホワイトデー怖いわ。






20110214.
(ヒロインの用意したチョコはスタッフが美味しくいただきました)


20120305.ちょっと編集
20180427.ページ変更


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