一輪の華
弾けて、飛んだ

薄気味悪い色の触手が、足に始まり膝、腰と迫り上がってくるころには、自分の身体の主導権を手放しつつあることを悟った。
謎の男によって植え付けられた憎しみは、溢れんばかりの殺意を湧き立たせるには十分だった。

目の前に迎えに来てくれた大好きなみんながいることが、この上なく幸せで震えるほどに殺意を覚えるのだ。矛盾していく心と身体。そして今、思考までもがマーモンの幻覚により自分の主導権から外れようとしていた。


「…っ、このっ…」

「あまり暴れないほうがいいよ。それは暴れれば暴れる程締まりが良くなるからね。」


身体は今、この触手のおかげで止まっている。
このままフェードアウトしてしまいたかった。


心の中に巣食う黒い感情。

その矛先は大好きな場所だったはずで、でも何も思い出すことができない。リアルな感情はこの憎しみのみだった。


「あなたはやることがある。ヴァリアーの元へ帰りましょう。」


亡霊のような男の言葉に身を任せ、この復讐心のままに暴れるのも悪くないものだとさえ思った。

しかし、この憎しみに餌を与えることよりも、誰も知らないところで誰にも必要とされず人知れず命尽きるのを待つのを選んだのだ。

こんな心と身体のバランスが崩れた状態の人間が、正常でいられるはずがない。仇討ちをしたところで散るのなら、これ以上自分に巣食う醜い感情が色濃く深くなってしまわないように。最後の最後まで、人でない何かに成り下がってしまわぬように。


自分の中の闇に蓋をして、気づかないふりを決め込んで、遠く広い空を見上げながらこの世界とおさらばしようと思ってさえいたのだ。


ぎちぎちと締め付けられていく自分の身体。

それを離れた位置から見守る面々。


直に攻撃を仕掛けてきていた3人には、小さい切り傷ができていた。紛れもなく私が彼らにつけたもの。仲間の元へ帰らないことを選んだ私は、すでに彼らを裏切っているのに。それでもこんなところまで迎えに来てしまうような彼らに剣を向けて追い返そうとしている。


「私に構わないで。」

そう告げている私は憎しみに飲み込まれた私ではなく、私自身の本心だった。
こうなってしまった以上、そして黒幕であった男が物理的に消えた今、私も捨て置いてしまった方がいいに決まっている。
そういう意味で言ったのだ。

そんなことを言ったところで聞き入れてくれない同僚たちのことを、疎ましく思いそれでいて嬉しかった。矛盾する心と身体に様々な感情。それらが私の中でぶつかり合う。ぶつかるたびにバチバチと音を立てて、まるでビー玉同士をぶつけているような音がする。


「エミ、お前のボスは俺だけだ。俺の命令以外で勝手な真似してんじゃねぇ」

「うっ、うあぁっ…」


頭が割れるように痛い。
心臓が爆発しそうなくらいドクドクと唸る。

ザンザスの低く聞き心地のいい声は、頭にとても響く。まるですぐそばで囁かれているようだった。口ではあんな風に言っているけど、存外優しい声色に隠された本音。


みんなの元へ、帰りたい


そう、思ってしまった時だった。


「うあぁあぁあああぁー!!!」

「な、何が起きてやがる!?」

「おい、マーモン!気絶させろ!」


帰りたい。この想いがあの男の植え付けた憎しみの最大の餌だったようだ。

全身の血液がものすごいスピードで全身を駆け巡るのがわかる。私の血液は沸騰でもしてしまったのだろうか。身体中が熱い。
耐え切れず上げた叫び声とともに全身から炎が噴き出した。


「ダメだ、幻覚がとける!」

「ちょっとどうなってるの!?あれ死ぬ気の炎よね?」


エミの身体からは死ぬ気の炎が溢れ出ていた。

雲属性の紫の中にわずかなオレンジの炎がうかがえる。あれは、大空の属性の炎だ。
記憶に新しい死ぬ気の炎を使った戦いをしていた未来でさえ、こんな量の炎を全身から出していたやつなんていなかった。

エミを拘束していた幻覚は、渦を巻くように全身から溢れ出る炎によって一瞬で吹き飛ばされた。

たかが外れたように溢れ出した炎と、叫び声。

そして、急に脱力し両腕が重力に従い地面に落ちた。


「…………………」

「静かになったぜ?」


両手はぶらりと下がったまま。右手に持つ剣も切っ先が地面についてしまっている。顔ももたげているせいで表情まで伺うことはできないが、相変わらず炎は勢いよく溢れ出してエミの身体を包み込んでいた。


嫌な静けさが漂う。


動く気配もないエミは、先ほどとは打って変わり声ひとつあげない。それが逆に不気味でもあった。

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