なぜ、好きでもないこの世界にいつまでもこうしてすがりついているのか自分でもわからなかった。
ただ、このままもう少しここにいたら、自分は何者で何がしたいのかがわかるのではないかとそんなことを思っていた。
自分の意志なのか、それとも自分自身も何かの力に操られているだけなのか。生きているのか、死んでいるのか。
死にかけのピエロ
ベルフェゴールは男のことをそう呼んだ。
男はまんざらでもないようで、なぜだか少しだけ嬉しそうにも見えたものだから、ピエロは死にたがりなのかもしれない。
ベルフェゴールの投げた無数のナイフは、あらゆる急所を確実に仕留めていた。
先程までの操り人形とは違い、今回はきちんと血も出ている。
「おい、刺さったらおとなしく死ねよ。」
「一応痛いという感覚はあるんですけどね。いつもこうなのです。お気になさらず。」
「気になるっつーの!」
最後に一本投げつけたナイフは、眉間のど真ん中に寸分狂わず命中した。相変わらず青白い顔に貼り付けた笑顔とナイフが妙に合っている。
男の身体はいわゆる入れ物というものだった。
男の本体は、男自身もよくわかっていなかった。
気づけばこうして人を操り絶望と憎しみを肌で感じながら生きてきた。人の憎しみに満ちた顔を見るのは、快感でもあった。しかしその奥を覗けば、また自分にはない感情に絶望し、憎しみが増していった。人に憎しみを植え付けているはずなのに、その憎しみが大きく膨れ上がり耐えきれなくなる頃には、自身が一番絶望的な気分を味わうことになる。
どいつもこいつもそうだった。
気付いた時にはすでに存在していた己の中にある黒く禍々しい憎しみという感情。
男は一種のマインドコントロールのようなもので、人の心の中を憎しみ一つに塗り替えた。楽しかったことも嬉しかったことも塗りつぶし、最も大切なものたちを最も恨むように体をコントロールした。
大切なものたちを大切だと思えば思うほど、その憎しみは大きくなりやがてその身を焼き尽くす。
ただし、心だけは本人のもの。
こうして生まれる心と身体のバランスに人は耐えられなくなってしまうのだ。そして感じる憎しみとどうすることもできない絶望。
それを見ることで男は癒され、同時に心の悲鳴を聞いて絶望する。
振り返ってみても、自分には何の記憶もないし、一体何がこんなに憎いのか、それすらもわからない。どこにぶつけたら解消される恨みなのか、一体自分に植えつけられたこの憎しみの正体はなんなのか。そんな姿も形も見えないものを身体の中心に抱えながら、男はファミリーの破壊を繰り返していた。
そこで出会った暗殺部隊の副隊長。
自分の大切なものへの絶対的な信頼と、依存。
彼女の中のヴァリアーという小さなテリトリーが、彼女の全てであった。
そんなヴァリアーを憎み、その手で大切な仲間たちを手にかける。なんと絶望的な光景だろうか。そして何かを大切だと思うことの理屈と必要性を彼女を通して感じることができるかもしれないと少し期待も込めてみた。
しかし、予想に反して憎しみに飲み込まれていく彼女は、弱々しいものだった。
皆、憎むべきファミリーに復讐を誓い何食わぬ顔でファミリーへと戻っていった。内に秘めた憎しみをふつふつと湧き立てて、ためにためて爆発させるように。もちろんそう仕向けたのはこちら側だし、憎しみが大きくなるということは心の中でファミリーのことを大切だと思っている何よりの証だ。反比例していく正反対の思考回路に心も身体もついていけなくなったタイミングが、あの事件の起きた日へと繋がっていく。
「あなた方はとても愛されている。だからエミさんはあなた方を憎み殺すのです。」
「わけわかんねぇことぬかしてんじゃねぇぞぉ!」
「マインドコントロールとは少し違うけど、僕らのことを憎むべき相手と認識させられてるのは確かだね。」
エミは、他とは違った。
憎くて憎くてしょうがない相手に復讐せよという、こちらの命令に抗ったのだ。
憎くて憎くて憎くて、憎くて仕方がない相手だからこそ、もう二度と顔も見たくないとさえ思ったのだ。
そこまで強い想いは今まで見たことがなかった。しかし強すぎる想いは、膨れ上がるのも早くすでに彼女の心と身体のバランスは崩れかけている。そこへ、どうしようもなく憎くて大切なヴァリアーが自分を迎えに来たとあっては寒気がするほど耐え難いものであり、震えるほど嬉しいものだった。
「おまえ、何者?本当に死なねーの?」
「どうなんでしょう。記憶している中では、死んだ記憶はありませんね。」
「ほざけ、カスが。」
今までおとなしかったザンザスの右手が光りだした。
「てめえは死んだことがねえんじゃねぇ。初めから生きてさえいねえ、マガイモノなんだよ。」
ピエロは殺してくれる人を探していた