相変わらず空には月が弱々しく光り輝いていた。
半月と三日月の間。
とても不恰好で、光も弱く頼りない月にも思える。
少しだけ風が出てきたことで騒がしくなる木々や、葉の擦れる音を耳にしてそっと目を閉じる。相変わらず閉じた瞳の中は、黒一色だった。
柔らかな髪が夜風に弄ばれる。
エミは月のよく見える屋上にいた。
彼女の数メートル後ろに、青白い顔をした男もいる。不気味な彼に必要以上に関わろうとしなかったエミだったが、飲み込まれていく意識の中で彼にどうしても聞いておかなければならないことがあるのを思い出し、ゆっくりと振り返った。
「あなた、これで満足?」
「さぁ、どうでしょう。まだ、メインディシュが運ばれてきておりませんので。」
男は最後まで貼り付けたような顔で、答えにもならない回答をする。それをどう思うこともないけれど、この男はきっとこの場でこれから起こることの結末がどうであれ、顔を歪めることも満足することもないのであろう。
憎くて、憎くて、憎くてしょうがないこの気持ちは、私自身が感じているものであって私のものではない。きっとあの男がどこかの誰か、または何かに向けた晴らせぬ恨みなのだろう。
「あなたの心の強さ、わたくしには少し眩しすぎるようです。ですが、その心が大切なものを強く想えば想うほどに、心に広がる闇は濃くなり体と心は分離する。」
「そう、みたいね。」
「もう耐えるのは限界のはずです。」
男の言葉に視線は少しずつ下がっていく。
黒に飲み込まれそうになる自分。すがるものも何もなくて、ただ残るこのドス黒く汚い感情。抗う術を奪われた私は、男の望んだように黒に飲まれやがて自滅するのだろうか。手を伸ばす先がないというのは、孤独というのは、辛いものだったのだと実感した。心と身体のバランスが取れなくなってきている。
「やっと見つけたぜぇ!」
「おやおや、流石はヴァリアーの皆さん。到着が、お早いですね〜。」
「エミ、帰るぞ。」
ザンザスの言葉に俯いている顔を上げた。
月明かりをバックに佇む姿はとても可憐で、その背に背負う剣が異様に浮いて見えた。しかし、ぶれることなくまっすぐにこちらを見やったエミは、確かに暗殺者だった。
男はエミを、月のような人だと思っていた。しかしどうやらそれは違っていたようだ。月のような唯一無二の存在なんかではなく、月のように自らが光り輝くのでもなく。
どこにでもある一輪の花。
昼間に愛でられる愛らしい花ではなくて、夜の月明かりに照らされながら、それでもしっかりと生きていく。そんな道端の花のような人。
「こないで」
「ちょっと、何言ってるのよエミ!私たちと一緒に帰るのよ!」
「………………」
「マインドコントロール…とは少し違うね。」
「ご名答!」
向けられることのないと思っていた、敵にだけ向けるあの冷たい群青が、今向けられているのは紛れもなく自分たちで、そこにはまるで親の仇を見ているかのような冷たすぎる瞳があった。
今まで、敵に蔑んだ瞳を向けられようとも、ターゲットに恐怖が浮かぶ瞳で見つめられようともなんとも思ったことはなったけれど、こうしてその群青の瞳に捕らえられると、まるで金縛りにでもあったように動けなくなってしまう。
少し、殺される側の気持ちがわかったような気さえした。
均衡はくずれた。