一輪の華
つきは綺麗だと誰が決めたのか


ここにきてからというもの、毎日意味もなく月を見上げた。


そうすることで、少しでも心が安らいだような気持ちになった。


実際のところはよくわからない。











例えば、目をつぶれば何も見えなくて黒い世界の中に行くけれど、そうしているうちに不思議と暗闇の中に色が付き、動き始めて回りだす。それを人は夢と呼ぶのかもしれない。


今の私には見る夢もなければ、思い出す記憶もない。あるのはこの渦巻く感情のみ。色をつけるなら何色だろう。目を瞑ると果てしない黒が侵食してくるのを感じる。目を瞑っていなくたって、体の中心から黒が染み渡っていくようだ。



だからせめて、月の光でも浴びていれば、その侵食が収まるのではないかなんて期待も込めながら。











私の体は震えてる。




震える体を抑える術を私は知らない。




震える手に力を込めて、震える手に気付かないふりをして、この剣を握るくらいしかできそうにない。



すべて、今も過去もこの先も、この手でこの剣で全部終わりにしてしまおう。



















「ちっ。埒があかねぇなぁ!!」

「どっから湧いて出てくるわけ?こいつら。切ってもイマイチつまんねー、し!」

「どうやら操り人形のようだね。」









エミが顔をのぞかせていた部屋に窓から侵入してみたが、そこにはもう誰もいなかった。シン、と静まりかえった部屋は、わずかな生活感だけを残して鎮座する。先程まで、たしかにエミはここにいたのに。その温もりも感じさせないくらい、冷え切った部屋だった。




会えたらなんて言ってやろうか。


どう迎えてやればいい。


帰ってこい。そう、言ってやるだけなのに、そんなことも今まで言わなくてもいいくらい、ヴァリアーという場所が、エミにも、そして俺自身にも帰る場所になっていた。





当たり前だと思っていた場所。

お前が笑ってそこにいることが当たり前で、俺の中の世界の一部分になっていたこと。

人は大事なものを失くしたときに、ようやくその存在の大きさを知るというが、どうやら俺もその一人だったらしい。







わらわらと溢れ出てくる敵は、マーモンのいう通り操り人形のようだった。どいつもこいつも似たような顔をしていて、生気が感じられない。文字通り人形だった。斬っても手応えはなく、それどころか再び起き上がってくる始末。キリがなかった。





ナイフで串刺しにしても呻き声ひとつあげない、それどころか血の一滴も出さない敵を相手に、ベルも手を焼いているようだった。







「これキリなくね?マーモンの幻術でどうにかならないわけ?人形には効かない系?」

「僕も試してみたところさ。」

「何も変わらねーってことは、効かねえんだなぁ」

「いや……」











邪魔されている。







少し間をあけて呟いたマーモンにベルフェゴールは首をかしげた。







「何それ、どういうこと?」

「こいつらはただの人形さ。だけど、魂は存在する。僕の幻覚をはねのけるほどの何かに操られてるのは確かだね。」

「どっちにしても元を叩っ斬るしかねーなぁ!!」







そうは言ってもエミも、そしてエミを連れ去ったあの男の姿も見当たらない。手応えのない敵の相手にこちらの疲労ばかりが募る。








「どけ。」








一言ののち紅蓮の炎が辺り一面を包み込んだ。相変わらず声を上げることはなかったが、揺れる炎の中、操られていた人形どもの顔がほんの少しだけ歪んだように見えた。







「う"お"ぉい!そっち側は片付いたのかぁ!?」

「ドカスが。こんなもんにいつまでも手焼いてんじゃねぇ。」

「これだから貴様はスクアーロなのだ!」

「意味わかんねーこと抜かすな!」









窓から直接侵入したスクアーロ達とは別ルートで屋敷に入っていたザンザスたちがやってきた。



全てを焼き尽くす憤怒の炎が、俺たちの手こずっていた敵を一瞬で片付けた。それまで湧いてくる勢いで増えていた敵も、パタリと姿を消した。





「下は全部焼いてきたんだろぉ?」

「屋上だ。」

「ししし、ボスかっけー!」










まだ、この上にも部屋はあるがザンザスがそう言うんだからそうなんだろう。超直感なんてものがなくても、エミのことを誰よりも知る奴だ。







割れた窓から不恰好な月が見えた。









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