エミがヴァリアーの元へ帰ることを拒否してから、何日経ったことか。相変わらず部屋に閉じこもり、大きな窓際から月を見上げる。その横顔は月のように儚く、おぼろげに見えた。
そんな彼女に何かを言うわけでもなく、監視をしている様子でもない不気味な男。ただ、こうして夜になると空を見上げるエミのことを少し離れたところから見ているのだ。
彼女は月に似ている、と男は思う。
月の光はあまりにも弱く、昼間は陽の光に負けてしまうけれど、夜にはなくてはならない存在で、風の音も、鳥のさえずりも、川のせせらぎさえも寝静まる夜の暗闇には、その淡く切ない頼りないくらいの月明かりがちょうどいい。
眩しすぎない、優しい光。
「迎えに来たようですね。」
「……………」
エミからの返答はなかった。
彼女は相変わらず月を見上げている。
日本の昔話に大事に育てた娘が月に帰ってしまう話がなかっただろうか。
だとしたら彼女は、帰りたいと思っているのだろうか。
「あの窓際にいるね。」
「こっち見ねーなぁ。」
「エミなら気づいてるはずさ。」
大きな窓際から月を見上げるエミがいた。その瞳は決してこちらを見ようとはしないが、恐らく俺たちの存在には気づいている。
「エミの様子はどうだぁ?」
「うん。怪我もしてなさそうだね。拘束されている様子もない。」
「………でもさ、おかしくね?エミならあのくらいの高さなら簡単に飛び降りれんじゃん。」
ベルフェゴールの言葉に、答える者はいなかった。
幹部総出でエミの救出作戦が決行されたこの日、ザンザスは出発する前の彼らに告げた。
「エミを迎えに行く。引きずってでも連れて帰れ。」
直接的なことは言わないが、どんなことをしてでも連れて帰れという意味だ。つまり、抵抗するようなことがあった場合には、無理やりにでも連れて帰れということ。場合によっては、エミとやり合わなくてはならない事態になるかもしれないということだ。
「行け。」
長い長い夜の始まりだった。