Short story

水浸しでも月は綺麗

(どうして君はそうやって…)そんな言葉を飲み込んで、「はぁ」とわざとらしく息を吐いた。
 僕を不思議そうに見上げる彼女は、なんにも分かってないような能天気な顔をしていた。彼女は平和ボケした世界の中心で生きている。


「雲雀くん。溜息をつくと幸せが逃げるんだって。」
「そう」
「でもね、溜息ってガス抜きのようなものだと思うから、わたしは悪いことじゃないと思うの。膨らませすぎた風船は簡単に割れてしまうからね。」


 なんにも分かっていなさそうな彼女が、たまにこうやって言い得て妙な言葉を発する。僕はそれがどうにも気がきじゃない。
だって、彼女と僕とじゃみている世界が違う。お花畑のような場所で笑っていてさえいたらいい君とは違うところに住んでいて、きっと僕は、君の大事な花畑を踏み荒らしてしまうだろう。だから僕のことは放っておいて。何年も何年も彼女に伝えてきた言葉だ。


「また"取締り"?」
「君には関係ないよ」
「そんなことないよ。雲雀くんが怪我したら悲しいもの。」
「どうして君が悲しいのさ。」


 痛いのは僕だ──とは言わなかった。言ったらきっと、やっぱり雲雀くんでも怪我したら痛いのねと笑われるに違いない。
 強くもない。正義感もない。彼女にあるのは優しさと間違われがちなお人好し。怖がりで痛いのも嫌い。喧嘩なんてしたこともないくせに常に暴力と隣り合わせの僕の側を離れようとしない。黄色い鳥が僕に懐くよりずっと前から、僕の隣には彼女がいた。


「送るよ。」
「大丈夫だよ!毎日通ってる道だもん。」
「別に迷子の心配をしてるわけじゃない。」


 彼女は怖がりのくせに夜道は平気なのか。警戒心はないのか。馬鹿なのだろうか。自分が襲われるかもしれないこと、そんなことをする人間がいること、そんな不安を感じる必要がない世界でのほほんと生きてきた証拠だ。僕がこの町の治安を守るためにどれほどの人間をコンクリートの上に這いつくばらせてきたと思ってるんだ。
 先程まで地面を濡らしていた雨は上がり、外灯が水たまりを照らす。水たまりをよけながら歩く彼女の歩幅に合わせていつもよりも大分遅く歩く僕。
 真っ直ぐ伸びた僕の影に、ちょこまかと動く彼女の影が体当たりをしてきたり離れたり重なったりをしていくのを眺めながら通い慣れた道をいく。


「雲雀くんいつもありがとう。」
「別に…」
「"僕がしたいようにしてるだけ"…でしょ?」


 言おうとしたことを当てられて自分の唇に力が入ったような気がした。そんな僕の顔を見て、なんにも分かっていない彼女は笑う。


「わたし喧嘩のこととかはよく分からないけど、雲雀くんのことはよく分かっているつもりなの。」
「なんのこと。」
「言ったってどうせ認めないから教えてあげない。」


 彼女の手が伸びてきた。のんびりとこちらに向かってくるソレは振り払うまでもなく無害だった。チリッと頬に刺激が走り、驚いて彼女をみる。どうやら先の見回りで頬に傷ができていたらしい。


「痛いの痛いの、とんでいけー」


 心のこもっていない呪(まじな)いに肩の力が抜けた。
 彼女の触れた傷口から、彼女のマヌケエキスが注入されたに違いない。僕もアホになるのかな。嫌だな。

 仕返しに彼女の頬を思いっきりつねってやった。




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