Short story

魔法かもしれない

「さむ…」


 「う"ぅ〜」両腕で自身の身体を抱きしめながら唸るななし。彼女は、いつも通りの時間に家を出て、自転車を漕いで学校へとやってきた。お弁当も宿題も忘れていない。朝のニュース番組の占いもしっかりとチェックして、自分の星座が3位だったことに喜んだ。全体運は星4つだけれど、恋愛運が星5つなのだ。それだけでななしは大満足だった。

 本日の最高気温は17度である。

 ついこの間まで、暦上の秋だというのに気温は30度近くあった。時折吹く風は涼しかったがまだまだ動けば汗ばむ陽気。ブラウス一枚でなんの問題もなかったというのに、急に秋らしい気温になったのだ。秋は、気配も見せることがなく性急だった。


「アンタ、なんでブラウス一枚なのよ」
「こんなに寒いと思ってなかったんだよ〜」
「男子ですら今日は一枚羽織ってるわよ」


 ななしの友人、黒川花はセーターやカーディガンを着込み、色合いがぐっと秋に近づいた教室内を見て溜息をついた。女子だけでなく、教室で暴れまわる男子たちまでもがワイシャツだけではそろそろ寒いと判断したのだ。その中で、寒そうに身を縮こませたななしがより一層可哀想に思えた。

 そのうちに登校してきた綱吉と獄寺も、やはり今日はワイシャツ姿ではない。それどころか綱吉がうっかり「ななし寒くないの!?」などと驚いてしまったばっかりに、寒さに耐えていたななしはついに泣き真似をしながら泣き言を言いだしてしまったのだ。


「もうやだ〜寒い無理〜帰りたい〜!」
「バカか、外はここより寒いだろ」
「家に帰ったらお布団が出迎えてくれるもん。あそこは天国だった!」
「ジャージ持ってないの?」
「持ってない!!!」
「なんでオレにキレるの!? 自分のせいだろ!?」


 綱吉の最もすぎるツッコミに言い返すことができなかったななしは、萎んでいく風船のようにしおしおとおとなしくなっていった。気分は底辺まで落ちていた。──何が、3位だ。こんなの、最下位でもいいくらいだ──当てもない憤りは朝のニュース番組に飛び火した。


「おーっす、ギリギリ間に合ったみてーな!」
「山本! おはよう」
「おう!」


 あと少しでホームルームが始まる合図が鳴る。野球部の朝練をこなす山本は、そのチャイムと同時に教室に駆け込んでくることも少なくない。担任が出席番号順に生徒を呼んでいく為、山本の遅刻回数は何度か救われていた。山本が来たのならそろそろチャイムが鳴るだろう。各自自分の席へと戻る準備を始めていった。

 自分の席へと向かうはずだった山本の目に、明らかに落ち込んだ様子のななしの姿が映る。
 山本の彼女に対するイメージは天真爛漫であった。素直で真っ直ぐなイメージだ。話す相手の目をしっかりと見つめるところに、なぜかたまにグッときていた。ななしに隠しごとをしているわけでもない。嘘をついているわけでもない。それなのに、逸らされないその瞳に何かが暴かれてしまいそうでソワソワとするのだ。睨めっこのように、負けまいと意気込んで逸らさずにいると、会話と会話の小休止に心拍数が上がってしまう。ななしは、知ってか知らずか、そんな無言のやりとりの瞬間に少しだけ目を細めて笑うのだ。そんなところが耐えられなくて、山本が目を一度逸らす。山本の完敗である。そしてまた、たわいもない会話が始まるので、負けの決まった試合に挑むことになるのだった。

 そういえば、朝の挨拶の時にななしと目はあっただろうか。思い返してみても、つい数秒前のことが思い出せない。思い出せないのならきっと、目はあっていないのだろう。それも、なにやら落ち込んでいるのが原因なのだろうか。もうすぐホームルームが始まるというのに、どうにも気になって仕方のなかった山本は、自ら聞いてみることにした。


「なーななし、なんかあったのか? 落ち込んでね?」
「山本ぉ〜」


 声をかけたななしは、泣きそうな声で山本の名を呼んだ。それにギョッとした山本は思わずツナに視線を飛ばす。それを受けたツナは「上着忘れちゃったんだって」とことの経緯を説明した。


「なんだそんなことか!」
「なんだじゃないよ…とっても寒いんだよ! 凍え死ぬかもしれない!」
「んなわけねーだろ! 自業自得だバーカ」


 確かにブラウス一枚で教室にいる生徒の数は少ない。寒そうに身を縮めるななしは見ていてとても可哀想だ。しかし、山本はどこかホッとしていた。何か嫌なことがあったのではないかと心配したからだ。もし本当にななしが何かに困っていたのだとしたら、それを解決してあげられるようなアイデアを持ち合わせてはいなかった。励ましてやれる上手い言葉も見つからない。そういう難しい困りごとではなくてよかったと心底思ったのだ。


「そんならさ、これ着とけよ。下ろし立てだから汚れてねーはずだぜ」
「えっ悪いよ!」


 山本は適当に袖を通したカーディガンを脱いでななしの肩にかけてやった。朝練の後で体はまだ熱を放出している。ボタンを閉める気にもならなかったくらいだ。今の自分には不要だった。

 山本にカーディガンをかけられたななしは、すぐに脱いでそれを山本に押し返した。こんなに寒いのだ。運動をして汗をかいた身体が冷えてしまったら風邪を引いてしまう。獄寺の言う通り、天気予報を確認しなかった自分が悪い。友達に寒い思いをさせてはならないと必死に押し返した。


「いーっていーって! 寒くなったら部活のジャージもあるし。それともこっち着るか? 今週になって洗ってねーけど」
「え"っ、ど、どうしよう…」
「貸してもらったら? 一日そのまんまでいたらななしが風邪ひいちゃうよ」


 ツナの後押しも受けて、もう一度ななしの肩にカーディガンをかけてやった山本。今度は返されないように、肩を掴んだまま見下ろした。
 山本の上からの圧と、周りの無言の圧を受けて、ななしがコクコクと頷いたのを確認するまで山本の両手は彼女の肩から動かなかった。


「それじゃあ借りるね。ありがとう山本!」
「おう!」


 どこか満足そうな山本を不思議に思いながら、感謝の言葉を述べたななしは、肩にかかったままのカーディガンに袖を通す。さっきまで、体温の上がった山本が着ていたカーディガンはほんのり暖かく、寒さと闘っていたななしの身体をじわじわと暖めていった。メンズのLLサイズのカーディガンだ。山本が大きいことは分かっていたが、実際に袖を通してみると自分のカーディガンとの大きさの違いを改めて知る。袖から覗きもしない両手を意味もなくグーパーグーパーと握ったりしてみた。

 チャイムが鳴って、それと同時に担任が教室へとやってくる。ぞろぞろと本格的に席へと着き始めたクラスメイト達。山本も自分の席へと向かうため、スポーツバッグを肩にかけ直した。「山本!」呼び止めたのは、山本のカーディガンを羽織ったななしだった。お礼なら先程聞いた。首を傾げる山本へ向かってななしはもう一度「ありがとう」と笑う。面と向かってお礼の言葉を口にしたのが気恥ずかしかったのか、初めてななしが視線を逸らした。最後に再び重なった視線が交わって、いつものように彼女が笑い、手が出てこない長い袖をヒラヒラと振って席へと戻っていった。


「(うわ、ちっせー)」
「おい、山本。なに突っ立ってんだ早く座れ」
「あ、うっす」


 席に着いた山本は口元を押さえながら窓の外を見ることしかできなかった。





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