Short story

好きと嫌いの右左

 4月の中旬、やっと新しいクラスや学校生活の仕組みに慣れてきた頃。
 一応友達もできた。まだ心の内を全て曝け出すような間柄ではない、微妙に気を遣い合う関係。探り探り、みんなの雰囲気や性格を観察して自分の色を決めようとしている段階。

 憧れの女子高生になった瞬間の感想は、理想とはかけ離れた自分への落胆で埋まる。先月まで中学生をしていた自分が半月で急成長を遂げることはなく、中途半端に背伸びしたちんちくりんが完成しただけだった。
 同じ制服を着る先輩たちは女子高生になりきっている。早く私もあんな風になりたいものだ。一体なにが違うのだろう。
 スカートを折る回数を増やしてみたり、ブラウスのボタンをあけてみたり。指定リボンのゴムを緩くしてみたりと形だけは真似てみてもどうにも芋臭さが抜けなくてしまいには諦めた。
 背伸びをしたって虚しいだけ。余計に自分の子供くささが目立つだけだ。
 無理に粋がっている同じ中学だった男子の腰パンを見つめながら悟った。


 授業と授業の合間の10分間。廊下は一瞬だけ騒がしくなる。
 違うクラスの友達に会いに行く人、新しい友達を探しに出かける人、かわいい子かっこいい子を廊下からこっそり覗きにいくのも未だ密かなブームだったりする。
 そういうことに労力を使わない私は次の授業の準備をして、それもすぐに終わってしまえば机に頬杖をついてボーッとする。
 休み時間になるたびに一つの机に固まってお喋りに花を咲かせる子たちもいるし、丸めたノートと消しゴムで野球まがいな遊びを始める男子もいる。
 そのどちらにも混ざりたいとは思えない。廊下にも出たくない。

 「キャーッ!」廊下に女の子たちの声が響いた。一気に騒がしくなる廊下と、何事だとざわつく教室内。
 その声に肩を揺らした私は今日が何曜日で、これから何時間目が始まるのかを確認して悲鳴の理由を察知した。

 今日は水曜日。そしてこれから3時間目が始まろうとしているところ。
 ちょうど一年生の階にある化学室で三年生の授業がある日。一、二階に教室のある三年生がここまで上がってくることは滅多にない。
 体育館も学食も職員室も下の階ほど行きやすいように設定されていて、学年が上がるごとに教室が下へと移っていくシステムだった。だから一年生の廊下を歩く三年生がいるというのは珍しいことなのだ。
 毎週ここを通る三年生のクラスにかっこいい先輩がいるのだと新しくできた友達が言っていた。まだ入学して一ヶ月も経っていないのに三年生の先輩の情報まで持っているなんて情報通だと思う。
 いつもより廊下に人が多かったのは、チラリとでもその先輩たちを見たい女の子たちがこんなにたくさんいるということだ。


「おめでとうございまーす!」
「キャー!!!」


 誰かの「おめでとう」のあと再び悲鳴が上がった。それからはたくさんのおめでとうが飛び交って、よくわからないが何かを祝っているようだった。
 廊下側の席の私は教室の窓に頭をつけて廊下を覗いた。


「───、あっ」


 私の小さな声なんて、きっと聞こえもしなかっただろう。だってたくさんの黄色い声が廊下に溢れていたから。
 だけど、気のせいかもしれないけど、それでも0.01秒だけでも。

 廊下を騒がせている張本人、三年A組の三人組の先輩たち。
 可愛い感じの先輩と、ヤンキーみたいなちょっと怖そうな先輩と、それから背が高くて見るからにスポーツ万能って感じの爽やかっぽい先輩と。
 そんな三人のうちの一人と目があった。ような気がした。







「あっ、」


 同じ日の放課後。掃除当番だった私は校舎裏にあるゴミ倉庫まで黄色いゴミ袋を三つも抱えてえっちらおっちらと歩いていた。
 楽をするためにゴミ捨て係を選択したのだけれど、これだったら教室の掃き掃除の方が楽だったかもしれない。
明日は掃き掃除に立候補しよう。そんなことを考えながら向かったゴミ倉庫の少し先に、人影が二つ。
 そのうちの一人と目があってしまった私はまた「あっ」と小さな声を出してしまった。
 今度は間違いなく相手に聞こえてしまう音量で、私の声に振り返った女の先輩はまるでイタズラが見つかった子供のように肩をひくつかせた後にこの場を走り去ってしまった。
「…………」
「…………」


 残された私と、もう一人の先輩。
 本日、二度目ましての彼こそが廊下で騒がれていた三人組の一人。野球部の山本先輩というらしい。
 今日がいつも以上に騒がれていたのには理由があって、今日4月24日が山本先輩のお誕生日なんだって。だからみんながあんなにキャーキャー言っていたわけだ。

 山本先輩の背後にゴミ倉庫がある。私は山本先輩の真横を通り抜けていかなければならなかった。知り合いじゃないし、挨拶しなければいけない理由はない。でも真正面でがっつり視線がかち合ってしまっていて、おまけに逸らせなくて、なぜか先輩も逸らしてくれなくて。

 廊下で会った山本先輩は知らない後輩たちから手を振られたりおめでとうを言われたりすることに嬉しそうに応えていたように思ったけれど、今目の前にいる彼からは愛想の良さは感じない。怖いわけでもないけれど、あの笑顔を先に見てしまった所為か機嫌がよくないようにさえ感じてしまうほどだった。
 場所のせいもあるのだろうか。
 校舎の裏の、日陰になっているゴミ倉庫の目の前。ひっそりとしていてかくれんぼにはちょうど良さそう。気温も少しだけひんやりしているような気がした。

 そんな山本先輩には一見似合わなさそうなこの場所で、私たちは出会ってしまった。


 とりあえずゴミを捨てないわけにもいかないのでそろりそろりと先輩の目の前から移動して倉庫を目指す。なんで三つもゴミ袋を持ってきてしまったんだろう。歩くたびにふくらはぎにぶつかる袋がガッサガッサと音を立てる。
 山本先輩はその場を動こうとはしなかった。早くいなくなってくれたらいいのに。見られているかもしれない横顔を隠すために下を向いた。


「なぁ」
「はい!?」


 条件反射のようなものだった。
 手に持っていたゴミ袋が地面に落ちる。下を向いていた顔も、丸めた背中もかけられた声の方に向かってピンと伸びた。頭のてっぺんからつま先までを緊張で伸ばした私の声は上擦っていた。
 声の主、山本先輩は私を見ずに空を仰いでいた。今にも雨粒が落ちてきそうな空だったものだから、なんだか先輩は泣いてしまいたい気分なのかな? なんて思ったり。


「おまえオレのこと嫌いなの?」
「どういう意味でしょうか…」
「そのまんま! なんつーか、"苦手です"ってカラダ全体で拒否られてる気がするっつーか」
「嫌いもなにも、先輩のことを知らないので好きでも嫌いでもないです。無です」


 無関心だとは流石に言葉にできなかったけれど、簡潔にいうならそれだろう。
 さっき名前を知ったばかりの人間を好きか嫌いか分類するには情報が少なすぎると思う。ただ、あの騒がれようを目の当たりにしてみると、好きか嫌いかは置いておいても関わることはないのだろうなと思った。
 中心にいる人、注目を浴びる人。私はそれに群がらないと思うから。
 今日のようにチラリと視線を向けることはあったとしても、そこによっていこうとは思えなかった。
 だってもみくちゃにされて押しつぶされて。必死に伸ばした手はきっと届かないだろうから。それなら最初から近づかなければいいし、手は伸ばさなければいい。
 そこまで考えてみるとやはり私は山本先輩が苦手なようである。絶対的に主人公、もしくは主人公の隣を埋めるサブヒーロー。圧倒的に脇役の私。セリフもなく名前もない脇の脇。
 どう考えたって関わることのない運命だ。


「今日オレ誕生日でさ。いろんな人から祝ってもらって嬉しい反面、いろんなオレが死んでいくっつーの? ま、そんな感じなわけ」
「祝われると、死んでいくんですか?」
「そ。オレ自身が死んでいって山本武が量産されて一人歩きしていく」


 バカげたことを言っている自覚があるような投げやりな言い方をしていても、泣きそうな空を見つめる彼の横顔は本気そのものの顔だった。
 お誕生日にあんなにたくさんのおめでとうを貰っておきながら、それに殺されていく山本先輩。モテたい男子が聞いたらブチ切れそうな発言だけれど、これはきっと飛び抜けてしまった人の本音だった。


「首絞めてあげましょうか?」


 ようやく空から目を離した先輩が私を見た。
 一瞬鋭さを感じた瞳は、私の間抜けな顔を見て脱力していった。
 私は山本先輩のことをかわいそうだなぁとも思わないし、羨ましいなぁとも思わない。無関心がそうさせているのなら、なんて便利な感情なんだろうと思う。


「その目…、オレのことなんてなんとも思ってませんっていう生気のない目がいいなって思う」
「…? ありがとうございます?」
「これからもそのままでいてくれよ」


 なんとも自分勝手なお願いだと思う。少なくとも今日、私の頭の中には山本先輩の誕生日と厨二発言が記憶されてしまった。
 これからだってきっと一方的に先輩のことを知ることになる。例えそれが一人歩きした山本先輩なんだとしても。


「この先ずっと好きでも嫌いでもなく"無関心"を貫けってことですか?」


 山本先輩は意味ありげに笑って歩き出した。頭上で振られた右手がストンと落ちて暫くしてからズボンのポケットにしまわれる。かかとを潰した上履きがぺったんぺったんと音を立てながら遠のいていく。
 我に帰った私は落としたままのゴミ袋を一つずつ持って開け放ったゴミ倉庫の中へと投げ入れた。少し乱暴な扱いになったのも山本先輩のせいにしてしまおう。

 こんなことになるのなら「お誕生日おめでとうございます!」と大きな声で叫んでやればよかった。私の言葉がナイフになって先輩を襲っていただろう。

 4月24日、たくさんのおめでとうによって死んだ山本先輩。

 きっとみんなは知らない山本先輩を知ってしまった。今にも泣き出しそうな空が似合う人だって知ってしまった。湿った校舎裏がよく似合う人だと知ってしまった。
 たくさんの顔を私に見せておきながら「無関心でいてほしい」なんて無茶なお願いをしてくる人。

 来年のお誕生日は誰にも殺されることなく静かに過ごして欲しいと思う。


「さようなら、先輩」


2019.04.24





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