Short story

Baby blue eyes

 ハロー、ここは日本。オレ、王子。は? ふざけるのもいい加減にしろ? 参ったな。ふざけてねーし全部ほんと。ま、唯一ふざけてるとすればこの王子が日本のど田舎の高校に転入してきたってことくらい?

 "ナミモリ"はツナヨシ達が住んでる町。ヒバリが統治してるらしい。知らねーけど。平和ボケした連中には住みやすくていい町かもしんないけど、裏路地覗けば湿っぽい連中もまぁそこそこにいるし、ジャパニーズマフィアもいる。


「イタリアからの短期留学生、ベルフェゴールくんだ。短い間だが、みんな仲良くするように」
「はーい」
「ベルフェゴールくんなにか一言」
「ねーよそんなもん」
「そ、そうか…」


 来年ツナヨシ達が通うことになるのがこの並盛高校っていうどこにでもありそうな高校。日本の学力の小並感の中でもさらに平均ど真ん中。並の並の並。笑わせてくれるよな。そんなところにオレをぶち込もうだなんて。
 とりあえずオレの任務は下見。来年からツナヨシ達が安全に高校生生活とやらを送れるようにオレが送り込まれたってわけ。学校生活の中で不穏な動きをする奴らや大人を見つけ出す。そんなところ。


「よろしく」
「あ? あぁ…よろしく」


 ただ一つ、大人達は大事なことを忘れている。

 オレは"学生"なんてやったことがない。


「教科書ないよね? 見る?」
「教科書なんて見なくても分かるし」
「そう?」


 真っ直ぐに並んだ机。全員が教卓に立つ教師を見つめて黒板に書かれる文字を同じようにノートに写す。日本って国のお堅い感じはこうやって子供の頃から植え付けられているのか。頭が硬くなるわけだな。教師が発するのは教科書の上に印刷された言葉。自身の声ではないそれを必死に写して暗記して一体何になる。
 つまらない授業、学生ごっこ。早速あくびが止まらない。


「…じゃあ、56ページ3行目を…お! 留学生か! 日本語の勉強に、ベルフェゴール!」
「(なんだ?)」
「声に出して読むんだよ。ここから…!」
「げ、マジかよ…」
「マジだぞ〜ほら立って!」


 溜息をついて立ち上がる。隣からずいっと教科書が差し出された。ご丁寧に『ココ!!』と矢印が伸ばされていて、そこがおそらく56ページの3行目。教科書なんていらないと思っていたのにこんなことをさせられるとは思わなかった。声に出して読んでどーすんだよ。
 ガシガシとかいた頭にティアラはない。オレのアイデンティティ、目立つから置いていけって言われたんだよね。教師やクラスメイトの態度にムカついても殺さないこと。これも約束させられた。さっそくその約束破りたい気分だけど、任務1日目で強制帰国なんてことになったらボスに大目玉くらうに決まってる。だってこの任務、本部の依頼を受けてボスがオレにって寄越してきたやつだから。他にも高校生に成りすませる奴はたくさんいるだろうし、オレじゃなきゃいけない理由なんて多分ない。それなのにボスはオレを指名した。最初は楽勝だと思ってたけど、これケッコーきちーかも。


「ベルくんってイタリア人〜!? イタリア語喋って〜!」
「ciao」
「チャオだって! かわい〜!」


 意味わかんね。どこがかわいいんだよ、ただの挨拶だっつーの。
 とりあえず女子の頼みにはそこそこ答えて、男子とはサッカーの話でもしとけばオッケー。高校生ってやつは女子も男子も噂好きで、日本のことが知りたい(という設定)オレはづかづかとたくさんのことを聞いた。仕入れた情報の9割はどうでもいい内容だったけど、中にはちょっと面白そうなものもあった。授業はメンドーだけど、オレ情報収集は好きかも。

 最初の日に教科書を見せてくれた隣の席の奴とはその日以来話していない。二日目には頼んでもないのに教科書がごっそり潜伏先に届いていて見せてもらう必要がなくなったから。
 留学生の物珍しさに一日目は様子見を決め込んでいたクラスメイト達も、二日目以降は代わりばんこにオレを囲んだ。オレの周りにはいつも誰かしらがいて賑やかだった。


「サボろ〜。授業まで真面目に受ける必要ねーし」


 授業は相変わらず退屈だった。中でも英語は聞いてらんないくらい教師も生徒もレベルが低くて耳がおかしくなるかと思った。ツナヨシ達の進学に口を挟むつもりはこれっぽっちもねーけど、仮にもボンゴレのボスになろうって奴がこのレベルの教育でいいのかっつー話。ま、そういうのを見るための潜入じゃねーけど。


 金曜日、とりあえず一週間が終わる。クラスにも馴染んだし教員達からも留学生の珍しさが消えてきたところでオレは学校探検という名のサボりに出かけた。

 屋上まできてみたけどなんの変哲も無いただの屋上だった。防犯カメラ一つない屋上の警備の甘さは逆に心配する。ここから侵入されるかもよ? 誰に? って話なんだろーな。こいつらにとって危険というのは身近じゃない。
 まだ行ってないところを探して一通り歩いて見つけたのは、日陰のような図書室だった。この時間だからもちろん誰もいない。でもきっと休み時間だろうが放課後だろうがここにはあまり人が来ないんだろう。埃のどよめき方がなんかそんな感じ。ただ完全に放置されているってわけでもないってわかるのは、綺麗にしまわれた椅子とか数冊だけ置いてある返却ボックスを見ればわかる。


「いいとこみっけ!」


 ここを王子のお気に入りスポットに決めるのに時間はかからなかった。







 図書室を王子の城と決めてからは授業が退屈だったら来るようになった。ほんの一筋しか入らない太陽光が窓のサッシを描くのを横目に昼寝をする。ワイシャツなんて着てられないからインナーの上にパーカーを着てその上から学校指定のブレザーを羽織る。これくらいのアレンジは許してもらいたいね。そんなブレザーも脱ぎ捨てて丸めたら昼寝用の枕に早変わり。


「ベル、ベルフェ…ベルフェー…ス?」
「ベルフェゴール」
「あぁそうだ、ベルフェゴールくん」
「なに? 隣の席のメガネさん」


 「おはよう」と無機質な顔で告げてきたのは隣の席の女だった。メガネしか特徴がないからメガネって勝手に呼んでるけど、たぶんクラスの他の奴らの印象もそんな感じ。人畜無害なおとなしいメガネだ。メガネが声をかけてきたのはオレが転入してきた日だけで、それ以外では話したいとも思ってなさそうな、興味もなさそうな様子だった。


「あの、ここで何してるの?」
「昼寝」
「サボりなんてヤンキーだね」
「ヤンキーじゃねーし」


 冗談を言ってるのか本気でそう思ったのかさっぱりわからなかった。バカにされてることだけはなんとなくわかる。
 メガネはメガネをかけ直しオレから少し離れた席の椅子を引いた。取り出した文庫本を開くと2ページ巻き戻って読み始める。すでに読んだ2ページ分を流し読みしていた冷めた瞳がだんだんと物語の中に入っていくのがわかる。深呼吸をするように静かにギアチェンジされたメガネの奥はもうここが図書室だなんて忘れているだろうし、オレが見つめているのにも気づかない。一体何の物語を読んでいるのやら。ブックカバーに隠された本の中身はオレにはわからないし興味もない。だけど深く深く本の中に沈んでいく女の瞳はなかなかいいものだと思った。

 暗殺者のオレなら気を許していない人間がいる空間で寝たりなんてしない。いつだって熟睡なんてしないけど、目を閉じて思考を停止させるなんてことありえない。
 でもここはナミモリのなんでもない学校で、側にいるのは無表情な喋るメガネで、そのメガネもオレなんか気にもとめていない。


「オレ寝るからメガネ帰る時に起こして」
「うん」
「…ちゃんと聞いてんのかよ」
「……………ん」


 メガネは本から顔を上げることもしなかったし、文字を追う瞳が一瞬でも止まることだってなかった。オレの声をBGMにしながらテキトーな相槌を打ってさらりと流した。そんなにその本は面白いかよ。何かの拍子にナイフが飛んでいってしまわぬように深呼吸をして机に伏せた。それは溜息のようでもあった。


「ベルフェ…ん〜? ベルくん起きて」
「いい加減名前覚えろよなメガネ」
「長いんだもん。みんなベルくんって呼んでるんだからいいじゃない」
「別にいいけど」


 メガネはキャーキャー言わねーしキャピキャピもしない。話す時の声の抑揚があまりなく、声に感情が乗ってこないタイプとみた。
 休み時間にあれだけうるさい生徒達が授業になるとピタリとだんまりを決め込むのを目の当たりにしているからなのか、いつでも変わらないメガネの態度はそれなりの好印象だった。無愛想だけど無口なわけじゃない。人の名前を覚えなかったりテキトーな相槌を打つくせに、言われたことはちゃんと理解していた。ヘンテコな奴だな。


「何おまえ、図書委員なわけ?」
「そうだけど?」
「仕事したのかよ」
「人が来たらするつもりだったよ」


 オレを起こしたメガネは図書室の窓の施錠を確認してカーテンを閉めていく。誰もやってきた形跡はないが一応返却ボックスの中も覗いて、気持ち程度に仕事をしているそぶりを見せる。誰か来たってメガネが図書委員だとは誰も思わないだろう。誰よりも本に熱中していたただの客だった。
 図書室の鍵を振り回してオレを振り返ったメガネは視線だけで退室を促す。顎で使われているようで癪だけど、こいつがここの主とわかった以上言うことは聞かなければならなかった。

 その日からメガネとの奇妙な放課後が始まった。

 放課後の二時間ほどを図書室で過ごすようになったオレは、メガネが読書をするのを横目に昼寝をしたりぼーっとしたり本に手を出してみて一瞬で飽きてみたりした。そのどれもがメガネにとっては興味がないみたいで、オレが何をしていようと咎めてくることもなければ不思議そうにしてくることもなかった。
 最終下校時刻からは少し余裕を持って撤退を始めるメガネに合わせて椅子から腰をあげる。いつのまにかオレの定位置になりつつある椅子から一番近い窓の施錠の確認をさせられるようになり、カーテンを閉めるようになった。はじめのうちはたしか出しっぱなしにしていたような気のする重い木の椅子も気づけばしっかりと机にしまい込んでいる始末。

 全部を見届けて心なしか嬉しそうに頷いたメガネがやはり無言で退室を促す。それに答えるのは癪だからわざとのんびりと歩いてみたりもしたけれど、メガネはオレの歩くスピードになんて興味がない。早くしろとも言われないし、ニコニコとオレを待つ健気さも感じさせない。かわいくないメガネだ。

 放課後を共に過ごすのは図書室で終わりではなく、帰り道も一緒だった。どちらも何も言うことなく歩きはじめたはじめの日。歩き出した一歩目が綺麗に揃って、まるで予定していたかのようだった。その後なんとなくメガネの自宅まで付き合って、ナミモリの探検をして帰った。


「その浮気現場を見てしまったのぶ代はその場から泣いて立ち去ってしまうんだけど…どう思う?」
「どうってなんだよ」
「ベル君ならどうするかなって」
「オレだったら相手の男をぶっ殺す」
「ヤンキーだね」


 帰り道はメガネが読んだ本の感想を聞いたり意見を求められたりしながら歩いた。メガネは物語の核心ではないところに疑問を抱くことが多くて、物語を"そういうものだ"と割り切って考えられなくなる節がある。まるで物語の中の名前も与えられないサブサブサブキャラにでもなったかのようにのめり込む。
 この何日か恋愛小説を読んでいるせいで、帰り道は浮気だのヤキモチだのプレゼントや言葉遣いに至るまで、とにかくいろんなことを疑問に思っては意見交換を求められた。ついこの間まではミステリー小説だったせいで探偵になりきっていたメガネの推理に付き合わされる羽目になった。


「すぐヤンキーっていうのやめろ」
「どうして?」
「だってオレ王子だ………あ」
「王子? ベル君が? 誰の?」
「誰のってなんだよ」
「王子って言ったら女の子を迎えにくる白馬の王子しかいないじゃない」


 「のぶ代の白馬の王子様はやっぱり直樹じゃなくて、先輩だと思う」うんうん、と頷いてみせるメガネはまたのぶ代の恋のことで真剣に悩みながら今後の展開を予想して楽しんでいた。
 うっかり口を滑らせたけど深く突っ込まれなくて一安心。探偵気取りメガネだったらそれはそれはしつこく質問されていたかもしれない。


「メガネも迎えにきて欲しいって思う? おまえの王子に」
「んー…私は別に…」
「なんだよ」
「王子様に見つけてもらうより、私が見つけ出したいから」
「おてんばな姫さんなこった」


 意外にも恋愛に積極的なタイプだったらしいメガネ──もしかしたらのぶ代がうじうじしているのが気にくわないだけかもしれない──は、メガネの奥で色素の薄い茶色い瞳を細めながら心なしか楽しそうに歩いている。授業中も、休み時間も、本を読む時だって表情は崩さなかったけど、瞳の熱っぽさが気持ちによって変わるような気がした。本を読んでいる時のような熱さはないが授業中よりはまぁ楽しそうだ。
 オレは瞳を隠して生きてるわけだけど、喜怒哀楽がわからないと言われたことはない。何考えてんのかわかんねーとは言われっけど。こいつとは真逆だ。オレの瞳はこいつの表情筋のように死んではいねーけどな。


「おまえメガネやめてコンタクトにすれば?」
「なぜ急に?」
「なんとなく…」


 せっかく綺麗な瞳なんだから。

 それはまるで絵の具が滲んだような気持ちだった。水気を多く含んだ筆で真っ白な画用紙にポタリ、ポタリと絵の具を垂らす。滲んで歪な丸ができあがって。オレはそれを慌てて破り捨てた。








「えー突然のことですが、ベルフェゴールくんの留学期間が短縮になりまして帰国することになったそうです」


 今頃教室では「えー」とか「へー」とか、まぁいろんな言葉が飛び交ってるに違いない。
 誰もいない隣の席を見つめてメガネは何か言葉を漏らすだろうか。いつもの無表情か、それともそれなりに驚いて瞳孔が絞られるだろうか。

 どっちでも構わない。もう会うこともなければ思い出すこともない。たった数週間のクラスメイトの一人。それがメガネだ。王子のはじめてのクラスメイト。はじめての学友。…友達ってほどじゃねーか。

 ナミモリでやるべき事はやった。与えられた任務の遂行、ツナヨシ達にちゃちゃいれもして寿司も食った。あ、先輩からの言伝と言う名のお節介なアドバイスは山本に伝えてねーけど、まぁいっか! どーせ為になんだかならねーんだかわかんない精神論みたいなやつだし。オレそういうの嫌いだし。


「あれ? ベルくんも遅刻?」
「………はぁ?」
「私は眼科に行ってて遅刻だよ」
「…聞いてねーんだけど」
「聞きたそうな顔してたから」


 俺の目の前にメガネがいた。正確には"元"メガネ。オレの隣の席のメガネは、どうやらメガネを卒業したらしい。
 何それ、めっちゃウケんだけど。もしかしてオレがコンタクトにしろって言ったから? 「バカじゃねーの?」と笑ってやりたいのにどういうわけか口角は上がらずへの字に曲がる。なんで? どうして? まるで言葉を覚えたてのガキみたいに拙い言葉ばかりが浮かんでは消えていった。

 元メガネは今までメガネのふちがあった場所に手を伸ばした。そして行き場をなくした左手が少し彷徨って頬を掻く。己の行動を恥じたのか、それともメガネをやめたことが気恥ずかしいのか。オレにはメガネのことはもう、何もわからない。


「学校、行かないの?」
「まーね」
「…もう帰っちゃうんだ」
「そんなこと言ってなくね? まぁ帰るけど」
「ベルくんってわかりやすいから」
「はぁ?」


 目元を隠したこのオレが? 暗殺者のこのオレが? オレはこいつがわからないのに、こいつがオレのことを知った風にいう。それはなんともムカつくできことだった。

 こいつは何も知らない。本当のオレは留学生じゃねーし、高校生でもない。暗殺者で、ヴァリアーで、恐れられてて、全然、こんな…。ただの女子高生と関わることなんてなかったはずなのに。

 ガサゴソとスクールカバンを漁ったメガネが一冊の文庫本を取り出すのを焦燥感に駆られながら眺めた。確かまだのぶ代の恋物語は続いている。それを最後まで読み切ったメガネが一体どんな感想を抱くのか。オレはそれを見届けることなくナミモリを去ることになる。本の中の人間たちの生き様を自分のことのように感じながら一喜一憂しているメガネを、その本の結末とともに迎えるあいつのひとつの物語の終わりを、オレは知らずにここから消える。


「はいコレ」
「なんだよ」
「これは栞って言って…」
「そんなこと知ってるっつーの」


 オレが聞きたいのはそういうことじゃなかったわけだけど、たまに人の意見を全く聞かない我の強さを見せる女は、本から引き抜いた栞をオレに握らせるとオレを取り残してスタスタと歩き始めた。きっと学校に向かうのだろう。
 オレにはもう、用がない学校へ。そんな後ろ姿を見つめて、メガネの姿が少しずつ遠くなっていって、オレの足はどういうわけかソレを追いかけた。

 いつもとは逆の道順を二人で歩く。早歩きでもなく、トロすぎるわけでもない。オレが頭の後ろで両腕を組み、余所見をしながら歩いたらちょうどいいくらい。何を話すわけでもなくこうして歩くのももうおわり。あっという間だったのに、ひとつひとつを思い返すとたくさんのことがあったようにも思う。不思議な時間の流れ方を経験したような気持ちだ。


「ベルくん」
「なんだよ?」
「またね」
「バーカ。もう会わねーし」
「それはどうかな? 人生何があるかわからないじゃない」


 校門の前。オレが想像したどんな表情でもない清々しい顔がそこにある。悲しそうでもないし寂しそうでもない。どんな顔をされたってオレの留学は今日この時をもって終わるのに、こんなにさっぱりとした顔をされると拍子抜けもいいところだ。
 軽口を叩くメガネを鼻で笑って、くるりと背を向ける。


「バイビー、ななし」


 後ろで「えっ、え!?」と驚くななしの声を聞きながらいい気分でナミモリを後にする。

 これからも続くオレの物語にネモフィラの描かれた栞を挟む。




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