Short story

砂糖漬けの悪意

「悪い、消しゴム貸してくんね?」
「あっ、ちょっと待ってね?」


 ペンケースの中をガサゴソとあさりほとんど使っていない消しゴムを隣の席の山本の手のひらへコロンと落とした。
 山本の視線は手の上の消しゴムと、私の机の上の使い古された消しゴムを行き来して最後に私の顔へと戻ってきた。


「これ新しいやつだろ? そっちでよかったのに」


 「なんか使うの躊躇すんな〜」と頭をかいた山本へ、気にしないでと両手を振った。
 今私が使っている消しゴムには秘密があるの。好きな人の名前をマジックペンで書いて自分一人で使い切ったらその恋が叶うっておまじない。女の子なら誰でも一度はやったことがあると思う。この消しゴムは私が小学校の高学年の頃から使っていてようやく2センチほどまで小さくなった大切な消しゴム。
 もうとっくに好きな人の名前を書いた部分は消えて、あとは使い切るだけの消しゴム。まさか小学生のうちに使いきれないとは思わないじゃない?

 まだ綺麗な消しゴムを手渡された山本はやっぱり使うのに戸惑うようだったけど、どんどん進んでいく板書に置いていかれては困るのでと、思い切って綺麗な角を一つ潰した。


「サンキューな!」
「ソレ持ってていいよ。今日はまだノートとる教科が結構残ってるし」
「そっか? じゃ今日一日借りるな」


 こちらを向く為に頬杖をついていた山本は、私が貸した消しゴムを顔の近くでふりふりと揺らしてニカッと笑う。窓から差し込む光が消しゴムに巻かれた厚紙と山本の笑顔に反射して眩しい。キラッキラの笑顔ってきっとこういうものを言うんだ。思いがけずいい笑顔をもらってしまって背中が熱い。

 私が消しゴムに名前を書いたのは小学校六年生の時。人の名前を、自分の所有物に書くという行為はなんだかとてもドキドキしたのを覚えてる。それから友達に見られてしまわないように、なんでもないただの消しゴムであるかのように装いながら実はとっても大事にしてきた。他の誰かに使われてしまわないように、失くしたりしないように気をつけたし、今みたいに人に貸してあげる用に予備の消しゴムなんてものまで購入した。


 好きな人の名前を消しゴムに書こうと思ったきっかけはなんだっけ。


「小林、小林! 次オレ当たるんだけど! やばい、助けて!」
「もう、いっつもじゃん」
「助かってる、いっつもな!」


 そうだ、たしかこうやって。隣の席になるたびにコソコソと話すようになったんだ。
 居眠りしているのを起こしてあげたり、音読する行をこっそり教えてあげたり。先生に当てられて答えがわからずにヘルプを出してくる彼に、教科書を盾にしながら先生から顔を隠して口パクで答えを教えた。

 新しい学年のいちばん最初の席は名前の順。だから私は五年生と六年生の最初の席を山本の隣で過ごした。
 六年生の一学期、クラス替えのない小学生最後のクラスの始まりの日。私は一年ぶりに山本の隣の席になれたことが結構嬉しかったのだと気づく。
 あと一年で小学校は卒業してしまう。寂しいな。中学校はどんなところなんだろう。一つの中学校にいろんな小学校の生徒が集まる。違う中学に通う子もいる。受験をして私立の中学に進学する子もいる。私は学区内の並盛中に行こうと思ってるけど、山本はどうなんだろう。

 たしかそんな風に気になりだしていつのまにか好きになってた。山本はクラスの人気者で、違うクラスの女の子にも人気だった。スポーツができて、他の男子より背が高くて、よく笑う人。女子のことをからかったりもしないし、バカにもしない。私にはなんだか他の男子よりも山本が大人っぽく見えてたんだ。


「そろそろ一学期も半分過ぎたし席替えすんじゃねーのかなって思ってんだけど、小林どう思う?」
「ありえるね。今日の六時間目ホームルームだし」
「やだな〜オレ小林の隣の席気に入ってんのに」
「お世話してくれるからでしょ」


 山本の言葉にドキッとする。特に深い意味なんてないのに、言葉に意味をつけたがって心臓がうるさい。ベランダ側の日当たりのいい席で、教室の後方は先生たちからも距離がある。ここは誰もが羨む良席。そこが山本は気に入っているだけだ。

 中学生になった山本はやっぱり人気者だった。小学生から中学生へ。一月しか経ってないのに、制服に身を包んだ山本を初めて見たときに急にお兄さんになってしまったのかと思ってビックリしたし、山本の制服姿に慣れるまでだいぶ時間がかかった。自分の制服姿よりも、山本の制服姿は見慣れない。心臓に悪い。
 そんな風に私が制服姿を目に慣らしている間に山本の名は学年中、いやそれを飛び越えて学校中に知れ渡って有名人になってしまった。
 野球部の期待の星、一年生にしてレギュラーの座を獲得した山本はここでもやっぱり人気者だった。

 ファンクラブもあると聞く。クラスにも『タケシ命』と書かれたピンク色のハチマキを持っている女の子が何人かいる。彼女たちは主に野球部の練習試合の時などに応援に行ったり、放課後の練習を見学したりしているみたい。
 お昼休みに山本に会いにくる女の子もいた。同じ小学校の子だったり、そうでなかったり。一度先輩方が何人かやってきて家庭科で作ったクッキーを山本に渡していたことがあったけど、あの時はクラス中が大パニックになって沸いたっけ。私たちも今度家庭科で調理実習があるけど作るのはおにぎり。かわいいラッピングのされたクッキーに比べるとだいぶ見た目的にも劣る。


「山本のお世話から解放されるのか〜」
「ひでー」
「でもこの席はあったかいし幸せな気持ちになるからすきだな〜」
「な、オレも好き」
「ッ、ね! いいよねココ!」


 山本の言葉はいつもストレートだ。私が自分の気持ちを遠回しにしか伝えられないからこそ、山本のストレートな言葉は胸に刺さる。同じように言えたらいいのに。何度もなんども反省したけど無理なんだ。こればかりは仕方がない。
 山本とは仲は悪くないと思うけど、席が離れてしまうとどうしても会話が少なくなってしまう。それと同時に、今まで何を話していたのか思い出せなくなってしまう。きっと中身なんてなくて、たわいもないことなんだろう。だからいざ話しかけようと思うとなんにも浮かんでこない。

 もう少しで消しゴムは使い終わるのに、恋が叶う気配なんてこれっぽっちもない。それどころか席が離れてしまう危機。

 小学生の頃に好きとはなにか、恋が叶うとどうなるのかわからないままに書いた彼の名前。書いた後に好きに気づいた。好きに気づいてから、両想いのその先を知った。自分には関係のない話だと思っていたのに、中学生って結構おませさんで、友達にも何人か彼氏ができた子がいる。そんな子たちの話を聞いて、もしかして私も? なんて想像して。

 私は何も望んでいなかったはずなのに、山本がモテるせいで色々焦ってきた。山本に彼女ができたら? 調理実習のおにぎりだってきっといろんな子が山本にあげたがってる。気になる人に食べてもらえるといい事があるんだって。私が一年かけてちまちまと減らし続けてきた消しゴムのおまじないが、一時間で完成してしまうおにぎりに負けるの? 無念すぎる。

 あれもこれもどれもこれも、全部全部、山本がモテるせいだ!!!







 結局ホームルームでは山本の予想通り席替えが行われ、私たちはバラバラの席になった。山本が新しい席に着いた時小さな悲鳴が沸き起こったのを私は聞き逃さなかった。
 彼の隣には左右に女の子がいて休み時間は他の子たちも集まってわいわいと楽しそうだった。私はあいにくその中に仲のいい友達はいなくて、偶然を装ったって近づけやしない空間が出来上がりつつある。ため息でも飛び出そうな毎日だった。

 そんな最悪の席替えから数日、大事に使ってきた消しゴムがついにその役目を果たした。小さくなりすぎた消しゴムはとっても消しにくくて、最後のほうはもはや意地だった。全部使って、跡形もなくなったら。恋が叶うおまじない自体もなかったことにしてもいいかなって思ったから。たまたま隣の席が山本だったってだけで、名前の順が一つ違えば私は違う人の名前を書いていたかもしれない。だから早くこの消しゴムは使いきって、新しい消しゴムにするんだ。


「(お〜消しゴム使い切ったのはじめてかも)」


 今まで一体どうしていたのかさっぱりわからないけど、こんなに丁寧に最後まで消しゴムを使い切ったのははじめてだった。授業中、一人で感動していた私を怪しむ人は誰もいない。嬉しさと寂しさとが半分づつ。
 今までありがとう、らくがきしてごめんね。まじないをかけた消しゴムに別れを告げて、先日山本に貸した消しゴムを取り出した。
 今日からはこの消しゴムを使おう。もう好きな人の名前を書くのはやめる。予備にしててごめん。新しい相棒をひと撫でする。あれ、なんだかボコッとするな?
 なんの変哲もないただの消しゴム。消しやすさ重視の青と黒のストライプ模様。片側だけ少し厚みがあるような気がして厚紙をずらしてみた。


「(紙が入ってる?)」


 少しだけずらした先に白い紙の切れ端が見えた。ペンケースの中で何か挟まったのかも。新しい消しゴムには滑り止めなのか粉がついていて、厚紙を全部外すのに時間がかかった。厚紙から分離して小さい小さい紙がひらりと落ちる。
 机の上に落ちた紙を拾い上げて息を呑んだ。ビックリして急いで消しゴムに厚紙をセットしてついでに出てきた紙も中にしまい込んだ。
 心臓がばくばくとうるさすぎて何も考えられなかった。その後の授業のことはよく覚えていない。


「よ、小林!」
「どうしたの山本」
「どうもしないけど、なんかねーと話しかけたらダメか?」
「いや、そういうわけじゃないけど」


 「相変わらず冷たいな〜」言葉とは裏腹に山本はいつものようにニカッと笑った。
 昼休み、私の前の席の子がいないのをいいことに山本はその椅子を引いて座った。廊下側の壁際の席に移動した私は、隣は山本じゃないけれどここを気に入っていた。壁に寄りかかってクラス全体が見渡せる。椅子に横向きに座るのが癖になりつつある。


「お、ここ寄りかかれんのな」
「いいでしょ」
「小林がオレの後ろにいんの新鮮だな」


 山本は壁に寄りかかりながら私の机に頬杖をつく。一つの机を挟んだすぐ先に山本がいる。毎日教室で顔を合わせているのに、やっぱりこんな近くで見ると悔しいけどかっこよくてムカつく。


「あ、そうだ消しゴム貸してくれよ」
「また忘れたの? 隣の子に借りたら? 私今は一個しか持ってないんだよ」
「ついにあのチビ助使い切ったのか!」


 小さい消しゴムだからチビ助だったらしい。チビ助は無事に天寿を全うしたことを伝えると山本は嬉しそうだった。


「じゃあ、この間貸してくれた消しゴム使ってんだよな?」
「うん」
「使い心地は?」
「別にふつう」


 さっきから一体なんなんだと身体を山本に向き直した。そこでようやく勝手に私のペンケースをあさり新しい消しゴムを取り出していた山本に気がついた。いつかのように消しゴムを揺らす。ゆらゆらと動く消しゴムを見て私は無意識に顔を赤くした。メモの存在を、というよりはメモに書かれていた文字を思い出したのだ。
 メモには『好きだ』と走り書きされていた。殴り書きとも言う。あの消しゴムは長いこと予備としてペンケースにいたし何人か男の子にも貸したことがある。だからあのメモを入れた人が誰かはわからなかった。いちばん最後に貸したのは山本。でもそれだけで彼がメモの持ち主だとは断定できなかった。何よりも、私の知っている山本はこんなわかりにくいことはしないと思った。とはいえ、山本だったらいいのにと思わなかったわけではない。結局本人には聞けるわけもなくメモも入れっぱなしになっている。


「なぁ小林、消しゴムに好きな奴の名前書くやつ知ってる?」
「へ!?」
「この消しゴムに書いてみろよ」
「知ってるけど…そんなのただのおまじないじゃん。書かないよ」
「ふ〜ん、じゃあ好きな奴はいるんだ? だれ?」
「は!? なんでそうなるの!?」
「こりゃいるな〜好きな奴」


 いないし! と叫んでしまいたいのに思うように言葉が出てこない。本人を目の前にして否定の言葉を口にすれば、今度こそ終わりのような気がした。何も始まっていないけど。
 くつくつと喉を鳴らしながら笑っている山本。笑うたびに喉仏が震える。いつのまにかすっかり男の子だ。


「消しゴム返して!」
「好きな人の名前書く気になった?」
「ならない! 意地悪する人はきらい!」
「オレは好きだけどな〜小林のこと」
「こんな時に冗談やめてよ」


 なんだか泣きたくなってくる。山本ってこんな風に女の子のことを好きな人のことでからかったりするような人だったっけ? 私の好きだった山本はこんなに意地悪じゃなかったのに。
 少しずつ大人になっていって、好きになった頃の気持ちに自信が湧かなくなってしまったのかもしれない。あの頃のまんまではないから、お互いに。
 悲しくてムカついて、目に涙の膜が浮かんでくる。瞬きを減らして間違っても溢れてしまわないように。


「嘘だと思うなら消しゴムの中見てくれよな」
「えっ」
「あ、チャイムだ。じゃーな」


 頭の上に乗せられた消しゴム。一瞬、頭を撫でられたのかと思った。山本は何事もなかったように自分の席へと戻っていったけど、私はもう消しゴムの中身は知っている。中には小さな紙が一枚。急いで書いたような、お世辞にも綺麗な字とは言い難い『好きだ』がある。なんで山本が知ってるの。もう、意味わかんない。いつもストレートなくせに、なんでこんなに手の込んだ事を?


「(何度見ても好きだって書いてある…)」


 授業中、意を決して封印した紙を引き出してみた。裏には何も。片面だけに『好きだ』と一言。こんなのわかるわけがない。
 小さなラブレターをペンケースの中にしまって、代わりにマジックペンを出す。小学生の頃の自分を思い出して、新鮮な気持ちになった。
 一年前の私へ。消しゴムは大切に使おうね。大切に使ってあげたらきっといいことがあるよ。あなたが興味本位で書いた名前は間違いなんかじゃないよ。一年後、背もグッと伸びてふとした横顔が男っぽかったり、野球をする姿がかっこよかったりするし、授業中の彼は居眠りばかりで寝顔はあどけないよ。少し意地悪になったかもしれないけど、きっとあれは照れ隠しのアピールだと思う。キレキレのストレートが持ち味のくせに、肝心なときにカーブを投げてくるような男の子だよ。


「山本!」
「うぉッ」
「ストライク! バッターアウト!」


 授業が終わって真っ先に山本の元へとかけていく。他の女の子よりも早く、いちばんに声をかけて、大切な消しゴムを山本めがけて投げつけた。

 消しゴムに好きな人の名前を書くのはやめにしようと思っていたのに。

 チビ助の時よりも大きく、堂々と、ハートまでつけて、私の大好きな人、山本武の名前をえがいた。


 消しゴムに好きな人の名前を書くと結ばれるおまじないの話。





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