Short story

*臆病者のワルツ

※中学2年生 未来編の一時帰宅の時のお話※


「たけ!?おかえり、一体どこに…っと」

「陽子、」

「…ん?」

「陽子、陽子」


 山本がいなくなってから3日。
中学生になってから家を空けることはよくあった。夜中にこそこそと何処かへ向かっている事もあったし、学校に行かずに無心で剣道に打ち込んでいたのはつい最近のことだ。野球しかやってこなかった山本が、その野球を放り出して竹刀を握っていた。


「男にはやらなきゃならねぇ時がある。」


 それが剛の教育方針でもあったし、息子に殺人剣と呼ばれてきた流派の全てを託した男の答えでもあった。

 幼馴染の陽子は何も知らない。いや、何か起きていることにはもちろん気付いているのだろう。だからこうして帰ってこない山本の部屋で、部屋の明かりもつけることなく膝を抱えていたのだろうから。

 他校に通っているため、山本の交友関係に疎い。尚且つ、山本が徹底して最近つるむようになった友人達と幼馴染を接触しないように努めていた。その甲斐あって、陽子は山本の友人を誰一人として知ることがなかった。

 山本は帰ってきた。
至る所に包帯の巻かれた姿。そして背には野球のバットに代わり竹刀が背負われていた。


「たけ?」

「………」


 陽子の顔を見るなり、その竹刀を投げ捨てて飛びついてきた山本は大型犬か何かだろうか。同じくらいだった身長は、違う学校へ通い出してからぐんぐんと伸びていき今や抱きつかれると丸め込まれてしまうくらいの差があった。いつの間にこんなに大きくなってしまったんだろう。自分の力で立つ事もできなかった頃から共に成長してきたふたり。同じ速度で大人になってきたのに、ここにきて一気に引き離されてしまったように感じた。

 ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる力は、胸を圧迫し苦しいくらいだった。その苦しさの本当の意味をその時は知ろうとしなかった。


「陽子、ごめん」

「どうしたの、たけ」


 陽子の名前と謝罪しか口にしない山本の顔は肩口に押し付けられて見えないままだ。最初の一瞬だけ見えたその表情は、泣き出してしまいそうなくらい歪んでいた。大きくなった身体と、その子供のような表情が何ともアンバランスだ。

 山本に耳と尻尾が生えていたのなら、そのどちらも今は元気なく垂れているに違いない。


 ごめん、ごめんと繰り返すばかりの山本を無理やり引き剥がしその頬を両の手で包み込む。ようやくかち合ったその目は、陽子をきちんと映しているのだろうか。口からついて出るのは確かに陽子の名ばかりだが、自分ではない誰かを呼んでいやしないかと感じるのはとても寂しいことでもあった。


「たけ、あたしはここにいるよ」

「………」


 曇るその目に何を映してきたのだろう。
ボロボロなのは身体の方ではなくきっと心の方なのだ。何がこんなに山本を追い詰めてしまったのか。そんなの初めから分かっていた。確かに帰ってこない山本を心配していたのは陽子の方である。しかし陽子には分からぬ何かで山本に心配をかけていたのだろう。ごめんごめんと、自分ばかりを責める山本はずっと彼女を抱きしめたままだ。その腕の力は緩めるどころか強くなる一方で、どこにも逃げはしないのに捕まえていないと不安だと全身で訴えられている。


「大丈夫だよ、ここにいるよ」

「陽子」

「うん?」

「ごめん」

「うん」


 告げられる何度目かの謝罪を受け入れて、漸く山本の目には陽子が映る。

 どこかに消えてしまいそうなのは山本だって同じだった。どこに行き、何をして、何に傷ついて帰ってきたのか。何も教えるつもりがないのも分かっている。分かっていて、それでも帰る場所で在らねばならないのはとても難しいことだった。


「たけはちゃんと帰ってくる?」

「…………」

「…あ、っン」


 都合の悪い時に力でもって説き伏せるのは男特有の悪い癖だ。
陽子の言葉ごとその唇で飲み込ませて、何も言わせないようにする。ドンドンと胸を叩く小さな拳に心地良ささえ感じるのだ。


 あぁ、今ここに俺がいて陽子がいる。


 暴れるその手を一回り以上大きな手で包み込み、甲を撫で付けていく。聞き分けがないのは山本のほうなのに、まるで陽子の方があやされているような気分になった。大人しくなっていく陽子とは反対に、騒がしくなっていくのは山本の心臓で、あぁ、やめらんねーな、と心の中で笑ったのを最後に、理性を手放した。


「陽子、陽子」

「な、っに」

「名前、呼んで」

 目の前の不安を手っ取り早い方法で掻き消すにはこれしか思い浮かばなかった。もう止められない。目に涙を浮かべる幼馴染の顔をできるだけ見ないように、こんなに情けない顔をできるだけ見せないように、陽子の全てを抱き込んでしまえるように。全身をピタリと寄せ合い互いの体温を確認する。暖かい、生きている。陽子はここにちゃんと居る。

 痛みと快楽に耐えきれず背中に爪を立てられるのすらも、陽子がいてくれる証になるのなら何でもよかった。

 息をするのもやっとだというのに、名前を呼んでくれと強請るのは無理があるだろうか。ハッ、ハッと短く呼吸をするのを耳元で感じ、その存在を確かなものに変えていく。

 無理を強いているのは重々承知しているが、その無理を己の幼馴染なら叶えようとしてくれるのも知っている。

 俺は、ここにいるよな?

 そんな風に不安の全部を打ち付けて、受け止めようとしてくれる幼馴染に甘えている。


「た、…アッ」

「陽子」

「…ん」


 ほら、そうやって。
要望に応えようとする陽子の健気で儚い声は、その名をかたち取ることなく天井へと吸い込まれていく。


「ごめん」


 きゅゅゅゅうと、締め付けられる。
背に回った腕がまるで「大丈夫だよ」と言っているかのように暖かく、強く山本を引き寄せる。

 その白い首筋に噛み付いて、数日で消えてしまう首輪をつける。
これが消えてしまう前には、全てを終えて帰ってくるから。


「ごめん」


 何も言わずに行く俺を嫌いになっても構わない。お前が俺を嫌いになっても、俺は変わることができずにいるだろうから。


「ごめん」


 置いていくくせに待っていて欲しいだなんてわがままを聞いてくれるのはお前しかいない。
今度こそ、絶対に、守ってみせるから。

「ッ、あッたけ、」

「……ァ、っ」




 ごめん、ごめん、ごめん

 強い男になって帰ってくるから







prev|next

top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -