Short story
狐のイタズラ
「オネーサン、ひとり?」
「おねーさんは人を待ってるのー」
「でももう1時間以上は此処にいるよね?」
「………………」
並盛神社で毎年行われるお祭りは町会が主催しているわりには盛り上がっていると思う。花火も上がるしそれなりにたくさんの屋台も立ち並ぶ。
神社入り口の鳥居は待ち合わせスポットになっていて、入れ替わり立ち替わり人が来てはペアになって神社の奥に消えていく。
そのまま神社の神様にイタズラされて帰ってくんな!なんて心の中で悪態をつきながら見送ったカップルの数はいくつになったのだろうか。
2組目の二十代くらいのカップルが合流したあたりで数えるのをやめた。
なんだよ、待ってた彼女も可愛かったけどさ?彼氏イケメンかよ。しかも高身長、黒髪、爽やか。
顔を合わせるなり浴衣じゃないのかなんて聞いてるあたりこりゃ彼氏さんの方期待してましたね?そうだよね?
お祭りといえば花火と屋台。
だけど一番見たいのは愛する彼女の浴衣姿だよね?年に一度拝めるか否か。
淡い色の総柄の可愛い浴衣もいいけれど、大人になったら着るべきはやっぱり紺に牡丹の花一輪。これで落ちない男はいないだろう。というわけで、意気込んで着てきたはいいけれど待てども待てども私の待ち人はやってきません。
何度か、ナンパ目的だろう年下ボーイに話しかけられもしたけれど生憎こんなお祭りごときで浮かれちゃうような並盛のちびっ子には興味がない程度に年を食ったのよ。せめてビールを飲める歳になってから再挑戦してね。
「オネーサンの待ち人こないんでしょ?」
「オネーサンはね、早く着きすぎてしまっただけで別に…」
「…………しししっ」
ナンパ男は目を合わせて対応してしまうとなぜか喜ぶから、テキトーに流して、目は合わせずにいた方が楽にことが進むものだとこれまでの経験で得た知識を使いながらやり過ごそうと思っていた。
今日は2度ほどこれでやり過ごしたし、今回もそうする予定だったんだけど。
図星を突かれてムカついたからというのが正しい。えぇ、正しいとも。
もうこれ以上ここにいたって待っている人はくることはない。そんなの浴衣を母親に着付けてもらっている時点でうっすらと分かっていた。
それでも足を運んだのは私のちっぽけなプライド。
横目で盗み見たナンパ男とは、幸いにも目が合うことはなかった。
いや、合ってる…のかな?
なにせ白い狐のお面をかぶっていて、物理的に目が合わないのだ。こちらを少し馬鹿にしたようななんとも言えない顔の狐が妙にムカつく。
狐は、イタズラが成功した子供のように肩を震わせながら笑った。
「…狐」
「…コンコン」
「あはは、可愛い」
素直な感想だった。
もうかれこれ一時間もここにいる私。
待ち人はフラれたばかりの元、彼氏。
付き合う別れるというのはとっても残酷なことで、好き同士で付き合い始めたはずなのに、終わるときはどちらか一方の気持ちだけで終わってしまう。
私はまだ好きなのに、あなたの好きはもうここにはなくて、一言「終わりにしよう」と言われたらこちらがその言葉を受け入れても受け入れなくても終わるのだ。
ふたりで積み重ねてきたあれやこれも、ひとりが賽を投げたら一瞬で崩れていく。
付き合うってそーゆーこと。なんてね?
諦めきれずに友達としてお祭り行きたいなんて一方的に送りつけておいて、気合の入った浴衣を着ているのだから魂胆がバレバレだろう。
友達としてだなんてこれっぽっちも思っていない私とそれに気付いてるからここにはこない男。
狐の面をつけた男は前髪の部分だけぴょこんとちょんまげにしていてそれが少し幼さを演出している。サラサラの金髪はそこらへんの不良が染め上げたような色ではなくて、キラキラ光った本物のブロンドだった。
甚兵衛から覗く真っ白で細い足は女の私でも羨ましいくらい綺麗で、スリスリしたら気持ちいいかしらなんて思ったりもする。
狐の面のせいで顔が見えないので年齢の予想は難しかったが、私よりは年下なんだろう。
私を「オネーサン」と呼ぶのだから。
そしてこんな浮かれた格好ができるのだから。
「狐さん?こんなところで油売ってないで神社の中に帰りな」
「オネーサンは行かねーの?」
「私は……もう少しだけ待って、帰るよ」
もう少し待ったところで誰かがくるわけではないことはもう分かってるんだけど。今すぐに一歩踏み出せないのが私に残った後少しの未練の数。
ここにいる間に少しずついろんな思い出を思い出して、お祭り特有の騒がしさで上書きしていった。
一時間じゃ足りないくらいの思い出に泣きそうになった瞬間もあったけど、そんな時は周りのカップルに「リア充爆発しろ!今夜はいい夢見ろよな!」と精神不安定なエールを送ってひとりでやり過ごしていた。
「せっかく可愛い格好してんのに神社の中入んねーなんてもったいないぜ」
「入る資格ないよ。私はお祭りを楽しもうと思ってこんな気合い入れた格好をしたわけじゃないし、ここに来たのもお祭りが目的じゃなかったからね。あの鳥居をくぐったらバチが当たるんだきっと」
神社には神様が祀られているものだから、こんな邪な気持ちでお祭りにやってきた私を神様が見たら怒るだろう。
「オレと一緒なら平気じゃね?オレ、稲荷狐だから」
「………お面だけでしょ?」
「いーじゃんいーじゃん!それにオネーサンこれからいい方向に向かっていく気がするし?とりあえず今日楽しんで悪いもん此処に落っことしていっちゃいなよ」
白い狐はとてもポジティブだった。
狐の白くてスラリとした手に腕を取られ、踏み出せなかった一歩を神社に向かって踏み出す。
あんなに重くて動く気配のなかった1歩目は、動かしてみたら案外軽くて、2歩3歩と進む私の足取りは自分が思っていたよりもしっかりと前に向かって進んだようだ。
先陣を切る狐の男は、振り返りながら独特の笑い声をあげてまた楽しそうに肩を震わせる。
狐の進むままに着いていくだけの私だけど、それだけでも十分楽しかったような気がするのは何故なんだろう。
本当は食べたいものも沢山あったし、金魚すくいとか射的とかお祭りでしかできないようなこともしたかったはずだけど、もし仮に待ち人がきたとして一緒にあの鳥居をくぐっても、楽しく過ごすことができたのかと言われたら多分できなかったんだろうな。
笑う狐の笑顔(顔見えないけど)が伝染して、いつの間にか私にも笑顔がやってくる。
「オネーサン名前は?」
「そういう狐さんの名前は?」
「……オレはコンコン」
「うそうけ!」
絶対嘘だ。今思いつきましたって顔をしてる(顔見えないけど)
名前なんてお互い知らなくていい。
だって狐さんはもうすぐどこかにいってしまうんだろうし、私も今後狐さんと会う予定はない。
成り行きで手を繋ぎながら神社のお祭りを楽しんでいるけど、明日がくればもう2度と会うことはない狐なのだ。
「コンコンは外人さんだよね?」
「まぁ外国産の狐だろーね?」
「このお祭りは初めて?」
「んー初めてだけど2回目って感じ?」
「なんじゃそれ」
外人さんらしい狐はそれにしては流暢な日本語を喋るので、こうやって困ることなく会話をしている。
会ってまだ数分足らずの男の子にこうして手を引かれて歩く私(25)って一体…。
「私はね、毎年このお祭りにはきてるんだ。大きくないし花火も派手じゃないけど並盛っぽくて私は好き」
「オネーサン並盛に住んでんだ」
「うん。でもそろそろ一人暮らしをしようと思ってるから、そしたらもう来れないかもしれないね」
「ふーん?」
この町から離れるのは寂しいけれど、独り立ちをしなくちゃいけないかなって。こんなこと見ず知らずの年下に漏らすのもどうかと思うけどさ。
「さっきも言ったけどオネーサンの未来は明るいぜ。狐のオレが言うんだから間違いない」
「そうだといいな〜」
神社の奥には境内があって、そこにはもう屋台も何もなくただ神様が祀られているだけだから、少しだけひんやりとしていて静かだった。
そんな奥まで手を引かれて連れていかれたのはいいものの、お祭りを楽しむという方向性とは少し違っちゃった気もするな。
「オネーサン何か食べたいものは?」
「ビール」
「それ飲み物な。買ってきてやるよ!」
「ダメだよ!見た感じ未成年でしょ!?子供にお酒は買わせられません!」
「しししっ大丈夫大丈夫ーちょっと待っててー」
狐のお面の男はそう言って走り去ってしまった。
嵐のような男の子だと思う。
もうあの子は帰ってこないんだろうなとなぜだか思ったものだから、走り去る背中に向かって「ばいばい、ありがとう」と呟いた。
名前も知らない狐にここまで連れてこられたけど、悪くない気分だった。
少しだけ顔が見たかったななんて欲が出てしまうくらいには、陽気な狐の虜になってしまったみたい。
待っててと言われてしまった手前、帰ってこなさそうだけど少しここで待ってあげないといけない。どうせもうすぐ花火の時間だし、ここでひっそり花火を楽しもう。花火が終わるまでに狐さんが帰ってこなければまっすぐ家に帰ろう。
「オネーサン」
何分経っただろうか。
砂利を踏む音に顔を上げた私を「オネーサン」と呼んだ狐は、確かに狐のお面はかぶっているのにコンコンだと名乗った可愛い狐ではなくなっていた。
背も高くなっていて、何より私を「オネーサン」と呼ぶ声が少しだけ低い。
狐の面を顔面ではなくサイドにずらしてつけているけど、前髪が長いせいでやっぱり目元は見えなかった。
「……コンコン?」
「ししし、よく分かったじゃん?」
「狐さんは、化けぎつねだったのかな?」
先程までは背もあんまり変わらなくて、人懐っこい狐だったのに目の前に現れた狐は可愛らしさがなくなってしまって、それをなんだか寂しいと思ってしまったりもした。
「やっと、見つけた」
「…?私を探してたの?」
「10年前から…って言ったらお前は信じる?」
そんな、前前前世から探してたみたいな歌がなかっただろうか。そんな胡散臭いセリフだけど不思議と疑う気持ちにはならなかったのは、この神社に迷い込ませてくれた狐のおかげなんだろうか。
「ね、狐さん。今度こそ貴方のお名前教えてよ?」
「オレの名前聞いたらもうお前オレから逃げられないよ?」
「しっかり閉じ込めておかないと私じっとしてないからね」
ナマイキなオンナ
耳元で囁かれた言葉は花火の音にかき消されることはなく、私の耳にしっかりと届いた。
その後、夜空に咲き乱れる花火のように熱くて情熱的なキスをくれた狐さん。
神様の目の前で、狐とキスするなんてバチが当たるかな。
「っ、ねぇ、」
「ん?」
「なまえっ」
「ベルフェゴール」
彼の名前を声に出して呼びたいのに、キスの花火が終わるのはもうちょっとかかりそう。
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