Short story
ひどい愛に捕まったもんだ
「ねえ」
「ひぃ!な、なんすか雲雀さん!またあいつが何かやらかしましたか!?」
確かあの時の女子生徒は1年生だった。上履きのゴム部分がそれぞれの学年のカラーに塗られているので、学年を特定するのは難しいことじゃない。
だけどクラスまで特定するのは1年の名簿を片っ端から見る必要があって、僕はそんなに暇じゃないし、第一そんな労力を使ってまであの女子生徒の名前を知ってどうなるのか。無駄なことに時間を割いている暇はない。
そこにたまたま居合わせたのがコレだ。
話しかけただけでビクつかれるのには慣れっこだけど、別に睨んだわけでもないのにいちいちビビられるのが気持ちがいいものかと言われたら良くはない。
僕が歩くだけで廊下がシン、と静まり返るのはちょっとだけ気持ちがいいけどね。
コレはあの女子生徒にネクタイを貸した張本人であり、アレの兄に当たる。
近頃流行りだした彼氏のネクタイを借りるという意味のわからない風習には当てはまる対象外の人物ではあったけど、僕は別にリア充爆発しろだなんて気持ちでそういう輩のネクタイを没収してきたわけじゃない。
女子には女子のリボンが存在している。
首元が寂しいのであれば学校規定のリボンを着用すればいいだろう。
ただでさえクールビズだからとこの期間はネクタイやリボンの着用を本人の自由にさせてやっているというのに、わざわざ男子のネクタイを好んでつける女子生徒達の気持ちが理解できなかった。
「もうネクタイは貸してないんだね」
「あ、なんかもう2度とネクタイなんてするか馬鹿野郎!!と怒られました」
「ふーん」
見ない顔だったから名前もクラスも知らないし、僕の目に触れていないということはつまり大人しく学校生活を送っている真面目な生徒に分類していいんだろう。
だからこそ真っ先に友人をその場から逃がして、ひとりで立ち向かってきた時には少し驚いたんだ。
逃げようともしなかったし、自分の過ちをすぐさま認めて言い訳もしなかった。
まぁ、過ちだという自覚が少しでもあるのであれば最初からバカなことをしなければいい話なんだけどね。
草食動物のくせに肉食動物に歯向かう度胸がある女。
面白くてちょっかいを出したけど、気の強そうな顔をしておいて目に涙の幕を浮かべる様は加虐心が唆られる。
|
|
|
「1年1組小林ななし。5分以内に応接室まできなよ」
「……………………小林ななしなんてこのクラスにいた?」
「アンタだよ!この前のネクタイの件!?でもあれは大丈夫だったって言ってたよね?」
誰からの呼び出しかなんてすぐにわかる。
応接室という一言で誰が呼んでいて、何かしらの罰が与えられることはよくわかった。
行かない、という選択肢は心の中では100%採用だったが、足は震えながらも動き出した。
なんでクラスと名前がバレてるの!?
ネクタイはもうしてないし用があるなら向こうからくるのが筋じゃない!?
なんて、心の中の私が大声で騒ぎ立ててはいるけれど、もう一方で無視をしたら今度こそ何をされるかわかったものじゃない早く応接室に行かなくちゃ!と弱腰な私もいる。
学校生活の中でわりと後者の私が優っているおかげで、これまで風紀委員に目をつけられることもなく平凡に暮らしていけていたのに。たった1日、兄のネクタイを借りてしまったせいでとんでもないことになったものだ。
雲雀先輩とのあれこれは誰にも言えない秘密だった。
ふたりきりの秘密だなんて響きだけは素敵だけど、あんな弄ばれたような顔から火が吹き出そうなものはもうごめんだ。
兄にも、もちろん友達にもこんな恥ずかしいことは言えるはずもなくて、私の中でアレはなかったことにしようと決めた。
「1年1組小林ななしです」
「入って」
「…失礼します」
他の教室よりも少しだけしっかりとした作りになっている扉を、できるだけ音が鳴らないように押し開ける。
教室の並ぶ校舎から少し離れた場所にある応接室は、同じ学校の中だというのに少しだけひんやりとしていて静かで変な気分だ。まるで校舎の中には私と、目の前の風紀委員長しかいないような、そんな気持ちになった。
初めて足を踏み入れる応接室は、奥に机がひとつと部屋の中央にローテーブル、ソファーが向かい合う形で二つ。ローテーブルにはありきたりだけど花瓶に生けられた花もある。
漫画で出てくる校長室に似ているのかもしれない。もちろん校長室なんかにも足を踏み入れたことはないので、本当のところはどうなのかなんてのは分からないけど。
奥に備え付けられている執務机の椅子に腰かけたまま、風紀委員長である雲雀先輩は私を迎え入れた。
「……………」
「……………」
そして無言である。
椅子の肘置きに右肘を乗せてなんとも優雅にこちらを見続けている雲雀先輩の表情は読めない。
ついている右手が口元を隠してしまっているからなのか、先輩の背後の大きな窓ガラスから差し込んでくる光りのせいで少し逆光だからなのか。
長いこと見つめられるというのは何か品定めでもされているような気分になる。
売り物じゃないんだぞ!と心の中で啖呵を切ってみるけれどそれが声になって出てくることはないし、出たら私の人生がそこで終了のお知らせを出すだろう。
「座れば?」
「……………え"」
「…なに」
やっと口を開いたかと思えば、そこのソファーに座れと言う。生憎ここに長居をするつもりはないしここで寛げる気もしないので罰則があるのならさっさと聞いてここから立ち去りたい。
裏庭の掃除でも、ほとんど使われていない準備室の掃除でもなんでもする。
「遠慮します。長くいるつもりはありませんから」
「ふーん」
我ながらツンケンとした返事をしたものだと思ったけど、雲雀先輩はそれには特に気分を害したようには見えなかった。
それどころかほんの少しだけ唯一確認できる目元が細められたような気がする。
もしかして、笑った…?
「私はなんでここに呼ばれたんですか?」
「なんとなく」
「………は?」
おもむろに椅子から立ち上がった雲雀先輩は、窓ガラスに遮光カーテンを引いた。
それだけで部屋の中は随分と暗くなるし、そうした事でようやく部屋の電気がつけられていなかったことにも気付いた。
それほどあの窓は太陽の光をたくさん運んでくれていたのだろう。
なんとなくで呼ばれた私はどうしたらいいのだろうか。もうすぐ昼休みが終わってしまう。
てっきりこの間のネクタイの件でお咎めがあるのかと思ったのに。いや、別にそれを期待していたわけではないしないならないに越したことはないんだけど。
「罰が欲しかった?」
「そっ、そんなこと」
ありません、と言う単語は声にならずに引っ込んでいった。
雲雀先輩がじりじりとこちらににじり寄ってくるものだから、いけないとは思いつつも少しずつ後ろに下がっていく。
トン、と背中が応接室の扉にぶつかるのに時間はかからなかったし、この部屋から逃げ出したくても内側に開くタイプのこの扉は私が背を預けている限り開くことはない。
「何を期待してるの?」
「…別に」
さっきから質問ばかり。
そのどれにもまともに答えてはいないのだけど、質問している当の本人が多分答えは求めていないんじゃないかと思う。
楽しそうに細められる切れ長の目は私が何かを答える前に一度色を増す。
リボンへと伸びる雲雀先輩の指は長くて少し骨ばってる。喧嘩をよくする人らしいから手には硬くなっている部分や小さな擦り傷そしてペンだこと思われるものもある。
雲雀先輩はどこか別次元の人なのかもと思ったりもしていたけど、こうして手を見ると人間臭いなぁと感じた。人間なんだから当たり前なんだけど。
「何、考えてるの」
「雲雀先輩も人間なんだなぁって」
あ、今は疑問符がなかったな。
そんな風に雲雀先輩の一言一言を拾う自分。
「僕のこと考えてたんだ」
「…はい」
「…僕はどこにでもいる人間でーー」
オトコだよ。
耳元で囁かれたのち耳朶を甘噛みされた。
低くて落ち着いた雲雀先輩の声が耳から体の中に入ってくる。全身を駆け巡って心臓に到達する頃には染み渡って私の一部になってしまった。
カチッと外されてしまった学校指定のリボンが足元に落ちる。それを目で追おうとする私を許さない雲雀先輩は、まるで僕を見てって言ってるみたい。
顎に添えられた指で上を向かせられて雲雀先輩のサラサラの黒髪が頬にかかるのが擽ったい。
私のおでこと先輩のおでこがご挨拶している。近すぎる距離に視点は合わないし、息もできないし、顔はまた茹でダコみたいに真っ赤なんだきっと。
早く、早くどいてくれないと窒息して死んじゃう。
堪らず瞑った目にはジワリと涙も滲んでて、どうして私がこんな目に合わなきゃいけないのかと憤慨しながら早く雲雀先輩の気が違った衝動が治りますようにと願った。
瞼に温かさを感じたのは涙が溢れたからじゃなくて、先輩の唇がかすめていったから。
チュッチュッと、わざとリップ音を鳴らしながらきつく閉じる目の周りばかりをこうやって攻め立てるのは、もしや目を開けろと言うことなんだろうか。それだったら答えはノーセンキュー。頼まれたって目は開けない。
「や、っ」
ふるふると首を振る私に漸く飽きた先輩が離れる気配を感じたので少しだけ肩に入っていた力を抜いた時だった。
「あぁっ」
「ここがいいの?」
耳朶を甘噛みされるのは本日2回目。
突然のことに驚いたって言うのもあるけど、自分のあげた声が聞いたこともない、オンナの声だったから。
驚きで開けた瞳に漸く自分の顔が映ってご満悦な雲雀先輩。
とても楽しそうですね。
風紀委員長の雲雀先輩は人をおちょくる時には語尾によく疑問符がつきます。
ただ本当に質問をしている時には疑問符をつけずに目で答えろと訴えてきます。
甘えたがりなのかワガママなのか、思考の全てを自分で埋め尽くさないと気が済まないようです。
「雲雀先輩のえっち…」
「嫌いじゃないでしょ?」
あぁ、またほら。
ひとつ、雲雀先輩の人間臭くてオトコの部分を知ってしまった。
prev|next