ハートスクラッチA


「飲み行かね?」
「平日のど真ん中にですか?」
「折り返し地点祝い」

 給湯室での秘密のお喋りはわたし達の日課になりつつあった。龍宮寺さんはブラックコーヒーをビールジョッキのようにクイっと持ち上げる仕草をして、わたしを居酒屋へと誘う。
 何かと理由をつけてお酒を飲みたがるのは社会人の悪い癖。かくいうわたしも、華金だー決算月だー締めが終わったーなどと色々な理由をつけてお酒を飲んでいる。

「ナマエちゃん酒好きじゃん」
「好きですけど……」
「俺とじゃ嫌なわけ?」

 んなわけねぇよなぁ? と言わんばかりのニコニコ顔が怖い。元ヤン出ちゃってますよと忠告したら「こんなもんじゃねーワ!」と目を細める。今より怖い顔する龍宮寺さんなんて想像しただけで鳥肌が立ってしまう。

「誰か誘いますか?」
「ナマエちゃんさ、わざとならそろそろマジでキレるぞ」
「なんのことですか!?」

 まぁいいわ、と溜息をつきながら壁から背中を離した龍宮寺さんは、ゆっくりこちらに近づいてくる。洗い物の手を止めて見上げた先の甘い視線がくすぐったい。

「いつもンとこな」

 耳元で内緒話をするみたいに囁く龍宮寺さんこそ、わざとやっているのでタチが悪い。泡だらけのスポンジがキュンと鳴る。

「返事は?」
「……はい」
「ンなかわいい顔すんなよ!」

 今日の龍宮寺さんは機嫌がいいみたいだ。

 てっきり会社からほど近いいつもの居酒屋へと向かうのかと思っていたわたしは、「ちょっと歩くぞ」と先を行く龍宮寺さんの背中を追っていた。
 男性の中でも高い身長と広い背中、立ち止まっているときはちょっと気だるそうなのに歩き出すとシャンとして背筋が伸びる。迷いのない足取りに安心感を覚えながら龍宮寺さんの後ろをついて歩く。

「ナマエちゃん」
「はい!」
「おぉ、元気な返事だな」

 背中を凝視していたから急に振り返った龍宮寺さんと目があってしまった。歩くの遅かったかな。立ち止まった龍宮寺さんの元へと駆け寄り首ごと見上げる。彼の横ではなく、後ろで立ち止まったわたしに龍宮寺さんは笑いながら腕を掴んで隣に置いた。

「小学生の通学班じゃねぇんだからさ。隣、歩いてよ」

 モノの例え方が面白くて、それについて何か言いたい気持ちはあるけれど、離されることのない右腕がじわりと熱を持ち始めていることに意識が持っていかれてしまい、言葉にならない呻き声しか出てこない。わたしの腕を簡単に一周してしまう龍宮寺さんの手の大きさを想像して、顔が熱くなった。

「もうちょっとだから」
「はい……」

 龍宮寺さんに腕を引かれてわたしのヒールがトトンと響く。掴んでいなくたって逃げないのに、龍宮寺さんはたまに隣のわたしを見下ろして、真っ赤な顔して必死に足を動かす様を見て意地悪く笑う。

「マスター」
「おう、ドラケン。暫くぶりだな」

 連れられたのはいつも行くようなチェーンの居酒屋ではなく、落ち着いた雰囲気が妙にそわそわしてしまうお洒落なバーだった。
 カウンター席の一番奥まで迷いなく進んでいった龍宮寺さんは「乗れる?」と笑いながらハイスツールを指さした。

「乗れますよ!」

 子供扱いをされたようでムッとしたわたしはスツールに近づきなんとか腰を下ろす。
 クラフトビールの取り揃えが多いのだと教えてもらったわたしは、マスターに好みを伝えてお勧めの一杯を頂く。それがとても美味しくてマスターに食い気味で質問をしてしまった。マスターは丁寧に教えてくれてそれを一生懸命覚えようとする。そんなわたしに龍宮寺さんは「また連れてきてやっから」と笑った。

 龍宮寺さんとの"また"があることに、そしてそれがわたしの希望ではなく彼の口から放たれることに、ふわふわとした気持ちのいい高揚感が付き纏う。言葉のあやかもしれないし、そんなことを言ったことも忘れてしまうかもしれないのに。たった二文字の言葉で舞い上がるわたしの足元はふかふかな雲の上を歩いているような気持ちだった。
 いつもはテーブルを挟んで向かい合わせに座るけど、隣同士というのは目線に困らないからいい。距離はいつもより近くて少し身体を寄せれば触れてしまう距離にいるのに、視線がかち合うことは少ない。
 龍宮寺さんにまっすぐ見つめられるのがどうにも苦手なわたしは、隣同士の方が居心地がいいのかもしれないなんて思ったり。
 グラスを傾ける龍宮寺さんを盗み見ていると、不意に視線がぶつかった。まるで火花が散ったようにパチっと音が鳴って全身が痺れたような感覚。だめだ、目が離せないかも。

「……見惚れてた?」
「はい」
「ジョーダンのつもりだったんだけど?」

 クスクスと笑う龍宮寺さんは頬杖をついてわたしを見つめてくる。そんな視線が擽ったくて逃げるようにマスターにお酒を注文した。

「最後の一杯、俺が選んでもいい?」
「お勧めがあるんですか?」
「飲んでほしいのがあんだワ」

 龍宮寺さんとはお酒や味の好みが合う。それは居酒屋で感じていて、だから抵抗なく受け入れた。
 マスターが置いてくれたお酒は白ベースのカクテルでほのかにレモンの香りがした。スッキリとしていて飲みやすく最後の一杯にぴったりのカクテルだった。

 駅までの帰り道をのんびりと歩く。バーの雰囲気を引きずっているのかお互いにいつもより言葉数が少ない気がした。

「最後のお酒美味しかったです」
「それはよかったデス」
「なんて名前のカクテルですか?」

 また頼みたいなと思って龍宮寺さんを見上げる。立ち止まってしまった龍宮寺さんはいつもの笑顔を引っ込めて真っ直ぐにこちらを見つめていた。

「どうしました?」
「ナマエちゃん、あのカクテルの意味わかる?」

 カクテルには花言葉のようにカクテル言葉というものがある。それくらいは知っていても、あのカクテルの名前すら知らないわたしが、カクテル言葉を知っているはずもなく、ふるふると首を振った。

「"これ以上はない"そういう意味でXYZって言われてる。締めにお勧めの一杯」
「アルファベットの最後の三文字だ!」

オシャレーと感心しているわたしとは裏腹に、龍宮寺さんはなんだか怖い顔をしている。わたし何かしてしまったのかな。楽しいと思ってたのはわたしだけだったかも。
 段々と不安になってきてしまったわたしがピシリと笑顔を貼り付けて固まったのを見て、龍宮寺さんは唸りながら髪の毛をガシガシとかいた。

「今からキザなこと言うから笑わずに聞いて」
「キザなこと……」

 スッと向けられた真っ直ぐな視線は、身動き一つ取っては行けないような緊張感を感じた。龍宮寺さんも緊張してるのかも。早くなっていく自分の鼓動が、彼と同じスピードならいいのに。

「"永遠にあなたのもの"」
「……っ、」
「そう在りたいし、ナマエちゃんを永遠に俺のものにしたい」

 付き合ってくれませんか? とわたしの左手を包み込んだ大きな手が薬指を撫でてゆく。

「此処の予約もしたいんだけど」

 顔を真っ赤にして固まることしかできないわたしに「返事は?」と意地悪く聞いてきた龍宮寺さんは、掴んだ手を優しく引っ張っていとも簡単に腕の中に閉じ込めた。

 龍宮寺さんは、コクコクと首を縦に動かすのが精一杯だったわたしを「かわい」と言ってぎゅうぎゅう抱きしめたのだった。



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