だいじにしてもまるくならない


「ミョウジさん外すごい雨ですよ!」
「雨降るなんて言ってなかったよね?」

 高層ビルの大きな窓は一面白く覆われていた。いつもならこの時間は、沈む夕陽に照らされて少し悲しいオレンジ色になる。
 今日は確か曇りの予報だったはず。折り畳み傘はあるけれどそれでも足元が濡れてしまいそうな土砂降りだった。いつもなら待ち遠しい定時の時間も、外があんな土砂降りだと少し憂鬱。

「あれ、ナマエさんまだ帰らないんスか?」
「あぁ、千冬。おつかれ」

 打ち込んでいたキーボードから視線を外し、声の主を見上げる。二つ下の代の松野千冬くん。彼とは学生時代からの友人達経由で知り合った後輩の一人で、社会人になった今は偶然が重なり同じ会社で働いている同僚だ。二人とも、過去のヤンチャっぷりは上手いことなりを潜めていた。

「あー雨がもう少し弱まったら帰ろうかなって」
「マジ!? 今日はぜってぇ無理っすよ」
「うるさいな」
「出た! 猛獣使いナマエのひと睨み!」

 変な異名で呼ばないでよ…と睨んだら全く反省していなさそうな良い顔で「ッス」と頭を下げられた。学生時代についてしまった不名誉な異名。あの頃の仲間はいまだにそれを気に入っているようで、何かあるたびにその名でおちょくってくる。猛獣使いは私じゃなくて武道の方がよく似合うと思う。

 雨宿りしていることにすれば家に帰らなくてすむ。今日は、せっかくの金曜日だけど家に帰りたい気分じゃない。だからといって仕事がしたいわけじゃないんだけど。そんなに仕事人間じゃないし。

「帰りたくないんですか?」
「…うるさい」
「うわ、当たりだ。喧嘩したんでしょ?」

 千冬は誰ととは言わなかったけれどきっと分かっている。

 一虎と一緒に住むようになったのは彼が出所してしばらくしてから。まだお互いに好きでもなんでもない頃に、お互い実家を出たいタイミングが重なり家賃を折半するという魅力的な提案に乗ったのだった。
 一つ屋根の下、男女が一定の時間と一定の秘密を共有するとなんだかんだ長い間友達をやってきたとしても特別になるものだ。
 そんな私たちだから、友達の延長線上のような喧嘩が絶えない。ただでさえ、筋金入りの不良である一虎。更生したとはいえ沸点の低さが急に変わることはない。また私もガラの悪い連れたちと大人になったので売り言葉に買い言葉、喧嘩がエスカレートすると大変なのだ。

「帰りたくないんだもん」
「そんなこと言ったって、一虎くん待ってますよきっと」
「そんなのわからないじゃん」

 他に行くとこなんかないんだから──千冬はそう言って笑ったけれど、一虎にだって友達はいる。嫌がるだろうけど実家にも帰れる距離だ。私と住むあの家以外にも一虎はいこうと思えばどこにだって行けちゃう。

「……帰るわ」
「それが懸命っスよ! 雨、やまなさそうだし」

 千冬の見せてきたスマホの画面には傘マークがずらり。せっかくの土日も雨模様だった。

 エレベーターに乗り込みカバンから折り畳み傘を引っ張り出す。意味あるのかな。コンビニで大きなビニール傘を買った方がいいのかな。
 千冬はビジネスリュックから折り畳み傘を取り出してボタンを外しパラパラと振った。

「見てナマエさん。この折り畳み傘、袋の内側がタオル生地なの」
「それもう7回聞いた」
「それはウソ」

 目の前で折り畳み傘を使うたびに謎に自慢されるこっちの身にもなってほしい。一度目は素直に羨ましいと思ったけどね。
 やむ気配のない雨を見上げて折り畳み傘を開こうとした時だった。
 リン──聴き慣れすぎた音が聞こえた気がして足を止める。先を行く千冬が振り返り首を傾げた。
 こんなところで一虎の音がするはずないのに。喧嘩してるなんてバカバカしくなるくらい、一虎に会いたいな。喧嘩の理由なんてもうどうでもいい。そう思うと途端に家が恋しくなる。足元が雨に濡れるのも気にならないくらい軽くなった足取りに笑みが溢れた。

「ナマエ……」
「……一虎くん!?」
「一虎?」

 今し方思い浮かべていた恋人が自分の名前を呼んだ。会社のエントランスの傍に濡れネズミになった一虎がいた。
 傘も刺さずに立ち尽くしている一虎が私の名前を呼びながらトボトボと近づいてくる。一虎の姿を見てギョッとした千冬がリュックから取り出したスポーツタオルで一虎の顔面を乱暴に擦った。
 いつもなら「やめろよ」と喧嘩になりそうなのに、千冬にされるがままの一虎は大人しかった。

 私たち、きっと世間から見れば大人になりきれていない子供のように見えるだろう。しっかりとした大人にはまだまだなれそうにないけれど、周りが彼の過ちを許すことがなかったとしても。

「一虎、迎えきてくれたの?」
「ウン」
「傘は?」
「忘れた」

 千冬のタオルで髪の毛を拭いてやる。
 雨の日に会社まで迎えにきてくれる彼氏。字面だけで言えば上手く育てたように見えるけれど、一虎は傘もささずに家を飛び出してきているし、この時間まで私が帰ってこないことに不安にでもなったのだろう。
 大きい子供みたいな一虎は、唇をへの字に結んでしょぼくれていた。

「帰ろっか」
「千冬、オマエの傘よこせよ」
「やですよ! そんだけ濡れてんならもう変わんないっしょ? 大人しく濡れてください」
「ナマエー千冬がいじめたー」
「一虎ぁよしよし」

 なかよく一つの傘を分け合って、二人の肩をそれぞれ濡らし合いながらこれからものんびり歩いていけたらいいね。



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