目論見通り召し上がれ
「あの、毎年ホワイトデーいただいてて、それで、その」
今日は贈り物をするのにわざわざ理由をつけなくてもいい日のはず。それなのに必死に当たり障りのない、なにか誤解されないような妥当な理由を探したくて頭の中がぐるぐると回る。胸元で握りしめた紙袋の中にはかわいいラッピングが施されたビターチョコレートが入っている。煙草も嗜む三ツ谷さんに甘いチョコレートはなんだか合わないような気がして、少しビターな大人な味を選んだつもり。って、そんなこれから渡すチョコレートを選んだ理由なんてどうでもいいのに。
そもそも、わたしが今年のバレンタインデーにこうして同じ職場の三ツ谷さんにチョコを渡そう、いや、渡さなければと思ったのには理由があった。
日本のバレンタインデーというのは?好きな人への告白?というのが定番で、学生であればそれはそれは大盛り上がりの一大イベントだった。本命チョコの他に義理チョコ、友チョコと呼び方は様々あれど、女の子から男の子への何かしらの気持ちを伝える日。
社会人になった今でもバレンタインデーは廃ることはなかった。しかし学生の時と違うのは気持ちが籠っていなくても渡さなければいけない状況になりうるということ。新卒で入社した会社は女性社員が男性社員へチョコレートを配ることが習慣化されてしまっていて、とりわけ私が配属された総務課は部署に隔たりがなく全社員と関わりがあったため暗黙の了解で全員に配る必要があって、それだけでも痛い出費だった。普段まともに話したこともない私のような一般事務から貰うチョコレートの何が嬉しいのだろう。
そんなバレンタインデーの悪しき風習が残る会社から今の会社へと転職したのは3年前。
「うちの社長甘いもの嫌いだからチョコあげなくていいのよ」
ラッキーだよね、と笑って教えてくれた先輩のおかげもあり、バレンタインデーとは縁遠くなりつつあった。
「はい、ナマエちゃん」
「……? ありがとう、ございます?」
「うん」
そんなわたしを毎年ハッとさせる人物がいた。同じオフィス内の別部署で働く三ツ谷さんだ。三ツ谷さんはそのルックスもさることながら成績、後輩の指導、女性社員への気配りなど、どこをとっても我が社のトップレベル。昔、少しヤンチャをしていたらしいというギャップも兼ね揃えていて女性人気がものすごく高い人だ。
そんな三ツ谷さんが、わたしの元へとやってきたかと思えば小ぶりの紙袋を渡してきて、頭にハテナを浮かべながらも受け取ったわたしの顔を見て満足げに頷いて去っていった。入社して初めてのホワイトデーの出来事だった。
当時、入社したてだったわたしは三ツ谷さんとほとんど話したことはなく、まさか下の名前を呼ばれるなんて思ってもいなかったし、認識されてたんだとさえ思ったほどだった。
疑問だらけの三ツ谷さんの行動の真意を先輩達に聞きたかったけれど、ちょうどその時は昼時で、電話番のために先輩達とは昼食をずらしていたせいもあってデスクの周りにはわたし一人だった。たまに、出張に行った営業がお土産を買ってきてくれることがある。そういう時にはまず事務へ持ってきて、それを私達が開けてカフェスペースへと置くのだ。お土産にしては小さい紙袋だな? と、中をこっそり覗いてみると、可愛いラッピングの施された焼き菓子とハンドクリームが入っていた。中にメッセージカードも入っていて、そこには読みやすくて綺麗な文字で『ナマエちゃん、いつもありがとう』という言葉が並んでいた。
わたしの頭上には更にハテナが増えることになるのだが、ちょうどよく鳴り響いた電話に対応しているうちにそんなことは忘れてしまったのであった。
そして去年、「ナマエちゃん、いつもサンキューな」と三ツ谷さんはまたわたしに紙袋を寄越す。そこでサーッと血の気が引いたのが分かった。えっ、あの、これ! と満足なお礼もできないわたしを笑い飛ばしながら「ホワイトデーだかんな」と笑った三ツ谷さんは、片手を後ろでに振りながら去っていった。給湯室で湯呑みを洗っていた時の出来事である。
紙袋の中には、また美味しそうなお菓子と共にラッピングされたスカルプケアのヘアブラシが入っていた。いや、これ?女子が喜ぶプレゼント5選!?でよく見るやつ! ってそうじゃない!
わたしは今回も前回も、三ツ谷さんにバレンタインデーに何も渡していないのだ。先輩達にもバレンタインの風習はないと確認もした。だから誰にも何も渡してない。それなのに、ほとんど直接関わりのない三ツ谷さんからホワイトデーにプレゼントを貰う意味が分からないのだ。
もしかしたら三ツ谷さん、事務の全員にホワイトデー渡してるのかな? 会社としての風習のバレンタインはないと聞いたけど、個人的にチョコを渡したい女性社員は多い。中でも三ツ谷さんは大人気なので、バレンタイン当日、彼のデスクは可愛らしい紙袋で雪崩れが起きていた。その中にわたしからの物はないけれど、他の事務さんへのお返しのついでにわたしにまでくれてたりしたら…? そこまで考えてどんどん顔が青ざめていく。
一度ならず二度までも、ただただプレゼントを受け取るだけ受け取ってしまったわたし。そして何か他の機会でお礼を渡すことなど思いつきもしなかったわたし。おバカすぎる。せめて、旅行の際にお土産を渡したりするべきだったのに。2年目にして漸く自分の配慮のなさを自覚して一通り落ち込んだ後、来年のバレンタインは先手を打たなければ! となぜか闘志を燃やしたのだった。
そして、冒頭に戻る。
「あの、毎年ホワイトデーいただいてて、それで、その」
ちゃんとお礼もできず、と頭を下げながら紙袋を差し出した。側から見れば「付き合ってください!」と本気の告白をして返事待ちの姿勢である。
「アハハ、ナマエちゃん顔あげてよ」
三ツ谷さんは口元を押さえながら楽しそうに笑った。彼は成人男性の平均身長よりもやや低いのだろうか。もちろんわたしより背は高いけれど、他の男性社員と並ぶとやはり小柄に見えた。だからこうしてふたりで向かい合って話してみると、意外と目線の位置が違うことや、顔の半分を覆ってしまう無骨な手に、いつもは感じない男らしさを垣間見てしまってドキリとする。
「毎年ありがとうございます」
「別に俺が好きでやってただけだしいいのに」
「そんなわけには…!」
頂きっぱなしは気が引ける。本当に感謝をしてもらったり労ってもらったりするほどの間柄でもないし、仕事でも直接サポートをしている部署というわけでもないのだ。どちらかといえば、請求書の不備を突き返したり、書類の押印の催促にいったりと煙たがられても可笑しくない部署だから。
わたし達はわたし達の仕事を全うしているだけなのに、細かいだの融通が効かないだのと影で言われることがあることも知っている。営業会社で利益を生まない事務はカーストでいうところの最下層。人によっては営業至上主義で、事務方を軽く見ているのが分かる態度で接してくる人もいる。そんな中、三ツ谷さんは仕事を頼む時にも丁寧で一緒に仕事をしていてとても気持ちがいい。それどころかホワイトデーには事務にプレゼントもくれて。なんでできた人なんだろう。
このチョコを購入した時はお礼半分、気まずさ半分といったふしだらな気持ちだった。でもいざ三ツ谷さんを目の前にしてみると、?感謝の気持ち?チョコというのがぴったりな気がした。義理チョコでも友チョコでも、もちろん本命チョコでもないけれど、気持ちはちゃんと込めて渡せそう。
「ナマエちゃん、今日予定ある?」
三ツ谷さんに呼び止められたのはバレンタインから1か月後、つまりホワイトデーだった。バレンタインデーに三ツ谷さんにチョコを渡したことでわたしの任務は達成されて、清々しささえ感じていた。そしてその満足感のまますべてのことをすっかり?片付いた?ものとして脳内で処理をした。
予定があってもなくても三ツ谷さんには関係ないだろうし、仮に予定がなかったとしても三ツ谷さんとの予定ができるということはまずない。聞かれた理由が分からず首を横に振ると、三ツ谷さんはちょっといじわるそうな顔で笑った。
「じゃ、デートしよ」
ホワイトデーのお返し、な? と押し切られ、名刺の裏に店名を走り書きして渡してくる。弊社の名刺もまさかこんな使われ方をされるとは思わなかっただろう。
「三ツ谷さん!?」
「19時な」
残業すんなよーと言いながら、去り際に頭をポンっと撫でていく。これがモテる男のスマートなデートの誘い方? って、そんなのはいいとして。
「今年のホワイトデー、レベル違くない?」
◆後日談◆
「先輩、三ツ谷さんにバレンタインあげてましたよね?」
「あげるあげるー! だってあんなにカッコいいのに優しいなんて罪じゃない!?」
罪かどうかは置いておいて、ホワイトデーのお返しが気になった。
結局、今年のホワイトデーはお洒落なカフェバーに連れていってもらってしまった。2年分のホワイトデーのプレゼントのお返しのつもりだったのに、それを更に上回るお返しをされて見事にやり返されてしまったのだ。それをお酒の勢いもあって三ツ谷さん本人に伝えたら「やられたらやり返せって言うだろ?」とヤンキーみたいな格言が飛び出てきた。そういえば元ヤンだったなこの人。
「ホワイトデーは毎年どんなもの頂いてるんですか? なんか三ツ谷さんセンス良さそうですよね」
人様のプレゼントのやり取りを聞くのはどうかと思ったけど、一人一人をあんなにお洒落なディナーに誘ってたらさすがに三ツ谷さんのお財布が心配だ。いや、なんの心配だよって感じだけど。ましてや、今年やっとバレンタインを渡した新参者のわたしでアレでしょ。
「ホワイトデー? あぁ、三ツ谷くんお返しはしない主義なんだって。私達も別にお返し欲しさに渡してるわけじゃないんだけどね! 中にはさ、本命チョコ渡してる子もいるから全体への配慮なんだって。」
そんなところも罪だよねー! とキャッキャする先輩の横で、ハハ、ソウデスネと顔を引き攣らせることしかできなかった。