Circumpolar star



 どこにでもありそうな小洒落たイタリアンのお店で待ち合わせをしたのは、個性のない服に身を包んだ所謂量産型の優男。かくいう私も、どんな場にも馴染み好き嫌いが分かれにくい無難な服装に身を包んでいる。
 マッチングアプリで真面目に恋人を探している人はだいたいこんなものなんだろう。きっといい人と呼ばれ、職場では上司の顔色を伺いへこへことして、定時後には同僚とビールを片手に愚痴をこぼす。良くも悪くもよくいる男といったところ。目の前の男性に抱いたのはそんな感想だった。

「ナマエさんお仕事は?」
「事務です」
「へぇ」

 広がりもしない会話に痙攣を起こしながら気合いで頬をあげ続けた。「あなたは?」と同じ質問をすれば、営業をしていること、出張が大変なこと、先週は休日出勤をした、上司に無茶言われている……エトセトラ。
 大変だという割に自分のことを話す時はイキイキとしているので、仕事に忙殺されている自分自身が嫌いというわけではないらしい。男の人は自分の話が好きだというのは本当のことなのだとここ最近で知った。
 周りにはあまり自分のこと、特に愚痴や本心を溢さない人が多かったから。だからいつも私の止まらないお喋りを「はいはい」と言って聞き流してくれていて、それでも大事な時には欲しい言葉をくれて、口調は荒くても言っていることの本質は優しさに溢れていて一本芯が通っていた。

 ──それが心に刺さるたび、暖かくもなったし、冷たくもなった。こんな私じゃ、同じように前を向けない。

 彼氏の三ツ谷と別れたのは慌ただしい年末だった。師走と名付けられただけあって、終わりゆく年と新たに始まる年の狭間を駆け足で通り過ぎていくような、少しだけ落ち着かない月だった。
 三ツ谷との友達としての付き合いはもう十年以上になるけれど、恋人としてはまだ二年ほど。でも、もうお互いいい大人だし、自分のことは自分でできて決められる歳になった。まぁ三ツ谷は子供の頃からしっかり者だったし、家のことや家族のこと、仲間のこと、その全部を疎かにすることはなかった。それに比べて私は、なぁなぁで世の中渡り歩いてきたものだからいつまで経ってもしっかりした大人にはなれないし、行き当たりばったりが多い。

 「今度のクリスマスなんだけど」行きたいお店はたくさんあった。夜景の見える高層階のレストラン。こんな時でしか行けない素敵なお店。そういうお店で友達がバースデープレートを持ち上げながら映る写真を何枚も見てきたし、プロポーズをされるならやっぱり素敵なレストランはマストだろう。
 生憎、プロポーズはまだなさそうだけど。せっかくのクリスマスに素敵な場所で少し背伸びをするのもいいと思っていた。

「わりぃ、その週スケジュールがカツカツなんだよ。別日で埋め合わせすっから」

 電話越しにミシンの音が木霊する。

「別日? 何言ってるのクリスマスなんだよ?」

 今思えば、私は別にクリスマスの歴史さえ曖昧なただの無宗教な人間。その日に三ツ谷に会わなければいけない理由なんて一つもなかった。でも、どうしようなく会いたかった。

「……じゃあ、ウチくる? 俺、夜は作業すっから相手してやれねぇけど」

 三ツ谷は仕事が軌道に乗り始めている大事な時期で、土日も関係なく働いていた。デザイナーという昔からの夢を叶えつつある。でも私は忙しくする三ツ谷に構ってもらえなくて寂しい思いをしていたし、恋人である自分よりも仕事を優先することに少し、いやだいぶ、不満が溜まっていたんだと思う。
 そこにちょうどよくやってくるクリスマスという恋人たちの一大イベントに託けて、三ツ谷の仕事モードを掻き消そうとした。

「やっぱりいい。仕事がんばってね。じゃ」

 三ツ谷の返事も聞かずに電話を切った。?がんばって?なんて言葉、よく出てきたなと思うくらい冷たい声色をした自分。鏡に映った自分の顔が、酷く不細工だった。
 三ツ谷は筋の通った男だし私みたいにやりたいこともなりたい自分も何もない人間とは違う。土日休みがよくて選んだ事務という仕事も、やりがいもないし楽しくもない。それでもお金を稼がないと生きていけないし欲しいものも手に入らない。流行り物ばかりに目が眩むし、友達が旅行に行けば自分も行きたくなる。お洒落なカフェで過ごしていれば私もカフェに行きたくなるし、クリスマスコフレを予約したのだと聞けば、いいものはないかと探し出す。結局、私の?したい?ことは自分主導の願望じゃない。誰かの真似事。クリスマスだってきっと、その日を楽しみにしている人たちに触発されて勝手に浮かれていただけだった。

「別れよう」

 言ってしまえば簡単だった。


「あの、よければうちにこない?」

 お会計を終えて外に出た途端にこれだ。誰が行くか。柔らかい言葉の中に見え隠れする下心がチクチクと刺さり気持ちが悪かった。今日私たちが交わした会話の中でどこをどう解釈したら家に行くまでの仲になったとジャッジできるのだろうか。私はあなたの名前すら忘れかけているっていうのに。

「ごめんなさい、家はちょっと……」
「それなら二軒目、もう少し飲まない?」

 男の視線は居酒屋の並ぶエリアに向く。こういう時に、嫌だとはっきり言えたらいいのに。もう会うこともない人を拒絶する言葉を吐くことには戸惑うくせに、大事な人に思ってもないことを言えてしまう。三ツ谷への甘えはきっと棘となって彼を攻撃していたに違いない。三ツ谷ならこういう時はなんて言うんだろう。

「ねぇ、」
「ッちょ、っと」

 掴まれた腕を振り解こうと両足に力を入れたけど、男の人の力にはぜんぜん敵わない。通行人は見て見ぬ振りをして、まるで私なんて存在していないかのように見向きもされない。こんなへらへらした男にいいようにされるなんてごめんだ。

「放してっ」

 いくら心の中で目の前の男をボロクソに罵倒しても、私の口から出てきたのは震えた弱々しい声だけ。繁華街の騒がしさの中では誰の耳にも届かない。誰か、助けて。

「オイ、その汚ねぇ手放せよ」

 背後から伸びてきた腕は私の腕を掴んだ男の腕をへし折らんばかりに強く握った。痛みに顔を歪めた男は今日はじめて他所行きではないリアルな表情をしたように思えた。痛みによって開かれた手のひらから腕が解放される。重力に従って落下した腕は鉛のように重い。

「べ、別に、違うんですよ! ね?」

 何を言われたわけでもないのに自ら弁明を始めた男は、通りすがりの正義感の強いお兄さんが仲裁に入ったとでも思っているみたい。お生憎様、このお兄さんは絶賛ブチギレ中の元ヤンです。

「あ"ァ? テメェに用なんざねぇンだよさっさと消えろ」
「は、はぁ!?」
「俺が用あんのはこのバカ女の方」

 ドスの効いた声というのは聞くだけで縮み上がりそうになる。現役の時よりも何故か凄みが増している声に目の前の男は小さな悲鳴をあげながら立ち去った。

「バカ女って何」
「お前のことだよ。アプリで男漁りとはいいご身分だなァ?」
「三ツ谷には関係ないじゃん」

 私たちはもう別れたんだから何をしたって三ツ谷には関係ない。大体なぜアプリで見つけた男と会っていることを知ってるんだ。まぁ犯人はドラケンかな。口止めしたのに。

「帰ります。助けてくれてありがとう」

 ぺこりと頭を下げて駅までの道を進む。他人行儀を貫かないと自分が惨めだった。
 三ツ谷を振ったくせに寂しくて。彼氏ができればそんな寂しさも消えるかもって思った。だからアプリで彼氏探しをしているのに。会う男会う男、みんな私と同じように仕事に熱意もないし尊敬する人物もいないし与えられた今日という日をなんとなく乗り越えられたらいいって人ばかり。それが悪いわけじゃないし、私自身がそうだからその人達のことを馬鹿にすることもないけれど。
 三ツ谷は夢や目標があって、それに向かってストイックに突き進む力がある。弱音も吐かず真っ直ぐに前だけ見ていて眩しいんだ。私は三ツ谷といると自分のダメさが露骨に見えてしまうから逃げた。

「お前別れた気でいんの?」
「完全に別れたでしょ。もう二月だよ」
「俺返事してねぇから」
「返事もなにも……あれっきり一切連絡寄越してこなかったじゃん。了承したわけじゃん」

 逆に三ツ谷はまだ恋人同士だと思ってるの? 私が別れを告げたトークに三ツ谷からの返事はなかった。既読はいつの間にかついていたけど何も返事がなくて、私が振ったはずなのに振られた気分になった。二年も恋人をやって十年近く友達もやったのに、終わる時ってこんなにあっさりなんだって拍子抜けしてしまったくらい。

「何言っても無駄だと思って」
「何それ。まぁいいや、私今度は構ってくれる彼氏を見つけるから」
「寂しい思いさせてんのは分かってた。大きな仕事はひと段落ついたし新しい男探しなんてやめて戻ってこいよ」

 三ツ谷は嘘はつかない。でもまた仕事が忙しくなる時が必ずやってくる。三ツ谷にとってはそれが良いことなのに、その時私が心の底から応援してあげられるのか、喜んであげられるのか分からなくなっちゃった。それって彼女として失格じゃない? やっぱり三ツ谷ほどのいい男には、同じくらいデキた女がお似合いだと思う。

「寂しさは次の彼氏に埋めてもらうよ」
「はぁ? 何言って、」
「三ツ谷には、もっといい人いると思う」

 私は三ツ谷に相応しい女になれなかった。三ツ谷はきっとそんなこと強要してこないだろうけど、私自身がそれを許せない。だいすきな三ツ谷の隣に、私みたいな女がいるなんて解釈違いなの。

「テメェいい加減にしろ。さっきからごちゃごちゃうるせぇぞ」
「元ヤンこわっ」
「俺が構ってやれなくて寂しい思いしてたんだろうが! 俺と別れた気になって寂しいから次の男探してたんだろうが!」

 三ツ谷はここが外だということも忘れ大きな声で怒鳴る。私が男に絡まれていた時には誰も見向きもしなかったけど、今度ばかりは三ツ谷の声がよく通り振り返る人が増えてきた。三ツ谷は私が「ちょっと三ツ谷」と彼を落ち着かせようと伸ばした腕を容易く掴んで制止させてしまった。さっきの男と同じ場所を掴まれているのに全然痛くなくて、それなのに先ほどとは比べ物にならないくらい泣きたくなった。

「俺のいない寂しさを、他の男で埋めようとしてんじゃねぇよ」

 吸い込まれるように三ツ谷の腕の中へと抱き込まれる。小さな声で紡がれた三ツ谷の言葉はじんわりと身体の中心で溶ける。

「寂しかった」
「うん」
「会いたかったの」
「うん」

 ぽつりぽつりと溢す子供みたいな言い訳を三ツ谷は一つ一つ拾ってくれる。溢れ出した涙が三ツ谷のシャツに染みていく。

「三ツ谷より好きになれそうな男、見つかんなかった」
「当たり前だろ、ばーか」

 だいすきな手があやすように頭を撫でていく。エンエンと小さい子供のように泣く私を笑いながら抱きしめ続ける三ツ谷はバカだ。もっと大人で自立している女の人はたくさんいるし、三ツ谷の仕事を支えてくれる人は必ずいる。私には三ツ谷しかいないけど、三ツ谷は私以外でもきっと大丈夫。それなのに私のところに来ちゃって、もう離してあげないからね。

「帰ろ。クリスマスと年末年始、それからバレンタイン、全部やろーぜ」
「……ハロウィンもやってないし去年は海もプールもいってないもん」
「じゃあ、サンタコスしながらチキンとケーキ食って蕎麦食って神社でお参りしてお菓子作るか」
「海とプールは?」

 私を腕の中に入れたまま左右にゆらゆらと揺れながらこれからやることをポンポン上げていく三ツ谷はなんだか楽しそうだ。そして三ツ谷なら本気で全部やりきると思う。でも、自分で言っておいてなんだけど、この真冬に海とプールは流石に無理。

「プールは無理だけど」

 一緒に風呂、入ろうな──耳元でわざとらしく呟かれた言葉に、体温が上がったのを感じる。ずるい、ずるすぎる。

「ヘンタイ!」

 こうして私の恋人探しは幕を閉じたのであった。



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