愛すべき何でもない日々


 寝坊した春千夜を駅前のベンチで待つこと二時間。季節は十月だというのに未だ二十五度を超える日も多く、半袖でいても寒くない気候だった。ただ風は確実に秋を運んできていた。気持ちのいい風はニ時間以上同じ場所に留まり続ける人間には手厳しい。
 何がしたかったわけでもないけれど、せっかく季節が移り変わったのに毎度毎度家でばかり会うのは、少し寂しい。季節限定のスイーツも新作の洋服も、秋の訪れを喜んでいるのに。春千夜と外の世界の移り変わりを一緒に目に焼き付けたい。夏と秋、秋と冬、去年の今頃と今年の今頃。春千夜の隣にいることは変わらないのかもしれないし、変わらなければいいなぁと思っているけれど、二人を取り巻く世界はいつも同じではないから。

「……春千夜のバーカ」

 小さく漏れた独り言は澄み渡った綺麗な空へと溶けていくはずだった。

「ん? ナマエちゃん?」
「蘭さん! 竜胆さんも! こんにちわ」

 俯くわたしの頭上から自分の名前を呼ばれて顔を上げた先には見知った二人。立ち上がりペコリと頭を下げたわたしに蘭さんはヒラヒラと手を振ってくれた。

「三途と待ち合わせ?」

 駅前のベンチでスマホを握りしめている人間のほとんどは誰かとの待ち合わせだろう。何も変な質問を投げかけたわけじゃないのに、竜胆さんは言い淀むわたしに「あ、わりぃ」と謝った。
 きっとわたしあからさまに寂しそうな顔をしたのだろう。そんなわたしの顔で大体のことを察してくれた蘭さんと竜胆さんは、春千夜の紹介で顔を合わせた仲だった。

「俺ら夕方までこの辺で時間潰すんだけど、ナマエちゃんさえよければ付き合ってくんね?」
「竜胆の奴が〇〇のカフェのパンプキンケーキがどうしても食べてーって言ってんの。ウケるだろ?」
「兄貴も食いたいって言ってた」

 パンプキンケーキ、その言葉に僅かに心が弾む。美味しくないわけがない、有名パティシエ監修のスイーツが並ぶ大人気のカフェメニューだ。思ってもみない申し出に右手が勢いよく上がりかけた。そんなわたしをすんでのところで止めたのは未だに連絡がつかない彼氏だった。

「春千夜がくるかもしれないので…」
「どーせ連絡もねぇんだろ?」
「ナニ? 死んだのあいつ。ウケる」

 ウケると言う蘭さんの顔は別に笑ってない。わたしもだんだん笑えなくなってきてしまって、連絡の取れないピンク頭にムカついてきた。

「行っちゃおっかな…パンプキン」

 ぽつり、落とした言葉を二人は取りこぼさず拾い上げてくれた。
そうと決まれば! と引かれた腕にチクリと傷む心臓。春千夜のバカ、バカバカバカ。

「すっごく並んでるのに…予約してたんですか?」
「いや? 今から行くからーって電話しただけ」

 日当たりのいいテラス席はこのカフェの一番人気。行列を作る人たちを追い越して通された素敵な席に上がるテンションと申し訳なさ。この兄弟、きっと只者ではないのだろうと思ってはいたけれど相当なVIPだった。春千夜が「こいつら危ないから近づくなよ」と言っていたのが少しだけ分かったような気がした。一緒にカフェに来ている分際で分かったも何もないのだけれど。
 売り切れてしまうこともあるパンプキンケーキが三つ運ばれてくる。可愛いケーキにテンションを上げるのを我慢するのは無理だった。

「ふふ、ナマエちゃん写真撮んなくていーの?」
「エッ、あ! 撮りたいです!」

 春千夜は届いたその場でフォークを突き刺してしまうような人だから。可愛いケーキや綺麗な景色を写真に撮りたいと思う女の気持ちには疎い。女の子のように綺麗な顔をしているけど中身までそんなことはない。食べ物の色をより綺麗に写すことのできるアプリをわたしが入れていることもきっと知らないのだ。

「後で送っといてー」
「俺にも
「むしろ俺のことも撮って竜胆ー」
「すぐポーズ撮る。ナマエちゃんもホラ」

 ケーキの乗った可愛いお皿を両手で持ち上げた蘭さんに習い、マグカップを顔の横まで持ち上げる。「やるねナマエちゃん」そんな嬉しそうな蘭さんに釣られてカメラに向けたのは笑顔。
 人気のカフェに来て美味しそうなケーキに喜びそれを写真に写す。とっても楽しい。

「女子会みたい」
「いや、デートだろ」

 わたしの言葉を訂正するよう求めてくる蘭さんを無視して、いただきますと両手を合わせる。
 優しい甘さが広がってほっぺたが落ちてしまわないか心配になりながら食べたパンプキンケーキ。今度は春千夜にも食べさせてあげたいな。食べ終わったケーキのお皿を眺めながらそんなことを思う。

 カバンの中のスマホが通知を知らせる音が連続で鳴った。

「春千夜だ…」
「なんだって?」
「今起きたらしいです」

 クズだなアイツと笑う竜胆さんにこくこくと頷いてみせる。
 春千夜が時間通りに起きるとは思っていなかった。絶対に起きて欲しければ午前中から鬼電するか家に起こしに行ってあげたらよかったのだ。そのどちらもせずに待ち合わせ場所で二時間も待ちぼうけを食らったわたしも意地っ張りだった。
 ただちょっと、昔のようにわたしよりも早く待ち合わせ場所にくるあの頃の春千夜が恋しくなっただけ。

 季節は日々変わりゆくのにわたし達が変わらないままで居られるわけがない。あの頃の気持ちを忘れたわけじゃないけれど、あの時より大人になったしお互いのことを深く知った。そうやって季節と共に歩んできたのに、昔を恋しがったって仕方がない。

「二人といるって言ったら浮気だって騒いでます」
「うわ、俺に電話きてんだけどキモ。さっきの写真送ってやろ!」
「あんまりいじめないでくださいね」

 今日は春千夜とはお出かけできなかったけど楽しい一日だった。わたしが知ることができない春千夜を知ってる蘭さんと竜胆さんが少し羨ましくもなったけど。

 一緒にいない時間でも、あなたのことを考える。そんな当たり前のことを思い出せた日だった。

「お会計を…」
「もう終わってるよー」

 いつの間にやらわたしの分までお会計を済ませてくれた蘭さんにペコリとお辞儀。スマートすぎる。
二人に少し待っていてもらいテイクアウトコーナーを覗く。その間にもぴこぴこと鳴り続けるスマホには春千夜からのメッセージ。中身を見なくても分かる。きっと拗ねてしまったに違いない。むすっとした顔を想像して笑みが溢れた。

「これください」

 ピンク色のマカロンを二つ。
 拗ねてしまった彼へのお土産だ。

「ナマエちゃんさっきから通知やばくない?」
「どうせイカレピンク頭だろ?」
「正解です! 春ちゃんは…拗ねたらしいです」

 予想通り拗ねた春千夜。みんなで拗ねた春千夜のモノマネをしながら歩く秋の道。

 春千夜が素直に謝ってきたらまずは金木犀の香りがしたことから話してあげよう。



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