さよならの向こうで
待っていたものH
「一虎くん寝ないでくださいよ」
「んー泊まってくー」
「勝手に決めんな」
ぐずる一虎がソファーに突っ伏したところで今日のクリスマスパーティーはお開きの流れ。げしげしと足で一虎を突く千冬を笑いながら制した場地が引っ張り出してきた毛布をかけてやる。なんだかんだ言って、場地も面倒見がいい。
「私は帰るね」
「あぁ、ナマエ待て。送ってく」
「大丈夫だよ圭介」
上着を羽織ろうとする場地を制して立ち上がる。場地の家に集まることも減ったけど帰りはいつも家まで送ってくれる。コンビニに行きたいだけだからと分かりやすい言い訳をして夜道を並んで歩く時間がなんとなく好きだった。
「俺が送ってく」
「三ツ谷反対方向じゃん」
「おう三ツ谷、助かるワ」
断っても三ツ谷は送ってくれるだろう。夜中に女が一人で出歩くなと説教をしてくるタイプの人間だから。
「また来週なー」
「うん、またね」
来週には忘年会がある。いつものメンツでいつもの場所で。年末だというのに「よいお年を」なんていう暇もないくらいの頻度で顔を合わせていられるのもあと何年続くんだろう。ずっと続いたらいいけれど、それぞれのライフスタイルが変わっていく年齢でもある。
「三ツ谷ありがと」
「なにが?」
「送ってくれて」
「元々送るつもりだったからな」
アウターのポケットにしまわれていた三ツ谷の手が寒い外に出てきて私の頭の上に乗る。ぽんぽんぽん、ゆったりと歩く速度に合わせて撫でつけられる。そのゆったりとしたリズムに反して、私の脈拍は速まった。
三ツ谷の顔を見上げることができない私は足元を見つめることしかできず、未だ撫でられ続ける頭に思わずギュッと目を閉じる。
「三ツ谷、」
「ん?」
マフラーの中に首を埋めるようにして顔を隠した私はやっとの思いで三ツ谷の名前を呼ぶ。
「酔ってるの?」
酔っていたとしても三ツ谷が今のように触れたことは一度もない。三ツ谷と私の間にこんなむず痒くなるようなやりとりは存在しなかった。酔ってると答えてくれたなら、今日だけの秘密にできるのに。そんな願いを込めて隣の三ツ谷を見上げる。
「酔ってねーよ」
三ツ谷は存外真面目な顔でこちらを見下ろしていた。冷水を浴びせられたように火照っていた顔から熱が逃げる。
酔ってるんでしょ、そうだと言ってよ。酔っていることにしておいた方が私たちにとって都合がいいのは間違いない。だって三ツ谷には彼女がいる。酔っていたから、彼女と間違えてしまった。そういう事にしておきたい。
お互い距離の保ち方が似ていてそれが心地よかった。それなのに、三ツ谷がまさか一歩踏み込んでくるなんて。思ってもいない事態に頭の中ではいろんな言い訳がぐるぐる回る。
「ナマエ」
「なに、」
「今からずるいこと言うけど最後まで聞いて」
何を言われるのかなんて分からないのに、無性に泣きたくなった。
今から言われることを聞いてしまったらもう私たちは今までのような関係じゃいられなくなる。不思議と話を聞く前からそれくらい大事なことを言おうとしているのが分かってひどく緊張する。
「彼女と別れてきた。大事にしたい奴から逃げるのはもうやめようと思って」
今まで長いこと一緒にいた中でも見たことのない表情で私の瞳を真っ直ぐ見つめてくる。そんな三ツ谷の視線から目を逸らしてしまいたい気持ちと、その続きが気になる気持ちが心の中で反発する。
「ナマエと一緒に居るのは心地よくて、それが友情という形でずっと続くならそれでいいって思ってた。お互い別の人と結婚して家族ぐるみの付き合いも悪くねぇなって思ってたんだ」
「うん」
「でもさ、お前のこと笑わせたり幸せにしたりするのが他の男っていうのもなんか癪だし、他の男がナマエのこと傷つけたり落ち込ませたりすんのはもう見てらんねぇんだよ」
手袋を忘れてしまった両手が三ツ谷の両手に包まれる。冷たい指先に、大きくて優しい手が触れる。その優しさをずっとずっと知っていたにもかかわらず、自分に向けられるものではないと見てみぬふりをしてきた。
今までたくさん助けられてきたし、心配もかけた。誰よりも、時には彼女よりも優先してもらいながら私はその優しさを受け取るべき人間ではないと自ら舞台袖に引っ込んでしまっていた。
こうやって無理やり舞台の中心に立たされてもなお、しあわせなヒロインを張れる自信がない。
「私のこと、好きってこと?」
「そう」
「好きにもいろんな種類があるじゃん」
私も三ツ谷のことは好き。それが異性としてなのか友達としてなのかはっきりさせてはこなかった。分類が必要ではなかったし大きな意味の好きの中で、三ツ谷は確実に抜きん出ていたから、それだけでいいって思ってた。
「それを確かめるために今から俺がすること、嫌だったらグーで殴って」
「ちょ、ッ」
こちらの返事を待たずに三ツ谷の顔が近づいてきた。マフラーで隠していた口元は三ツ谷の指であっさりと外気に触れる。ひやりとした空気の中、三ツ谷の柔らかい唇が触れた。
まるで電気のように甘い痺れが背中を伝わって駆け抜けていく。ただ触れただけの口付けが、こんなにも気持ちのいいものだなんてはじめて知った。
触れただけですぐ離れた三ツ谷は何も言わずにおでこ同士が触れる距離にいる。数ミリ先に甘い唇が待っている。
たった一瞬味わった唇を名残惜しいと思っている。好きの種類が分かってしまうとんでもないキスだった。
「嫌だった?」
こちらの様子を伺って無理やりに事を進めない、そんな三ツ谷の優しさに触れてまた泣きたくなる。思い返せば三ツ谷はいつもそうだったね。
返事の代わりに今度は私から数ミリの隙間を埋めた。ちゅっとぶつかるだけの中学生のようなキス。それがまるで、外見だけが大人になってしまった私たちのよう。恥ずかしくて顔が熱い。今絶対に茹で蛸のように真っ赤になっているに違いない。キスなんて数え切れないくらいしてきたくせに、こんなに胸の高鳴るキスは初めてだった。
耐え切れず三ツ谷の胸元で顔を隠してしまった。三ツ谷が後頭部をぽんぽんとあやしながら小さく笑った。腕を三ツ谷の背中に回してきゅッと抱きしめてみると、彼の背中はこんなにも大きかったんだと気づく。
「ナマエ顔あげて」
「今は無理」
「なんでよいいじゃん」
「今はやだ」
顔を見られないように抱きつく腕に力を込める。負けじと三ツ谷も力一杯抱きしめ返してきたので潰れるんじゃないかとヒヤヒヤしながら笑ってしまった。
今までの私たちのやりとりからは想像がつかないくらいに恋人同士のようだった。三ツ谷とカップルに間違えられることは何度もあったけど、それはまるで夫婦のようだと言われるばかり。甘い雰囲気なんてなくて、もし三ツ谷と付き合ったとしてもそれは変わらないのだと思っていた。
ぎゅうぎゅうと抱きしめ合いながら笑う私たちを見て甘くないなどと言う人はきっといない。
笑い声がやみ静寂が訪れる中思い出すのは三ツ谷の柔らかい唇で、とんでもない男に捕まってしまったなと他人事のように思う。
そろりと顔を上げれば優しい瞳が待ち侘びていて、きっと同じような目をしている私たちはどちらからともなく三度目のキスをした。
「んっ、はぁ、三ツ谷」
「ん、なに?」
「ッ、すき」
角度を変えるたびに深くなる口付けの合間なら素直になれる気がした。
三ツ谷が笑って、抱きしめる腕の力がまた少し強くなったような気がした。