さよならの向こうで
待っていたものB


「タバコやめてねーのバレた」
「どんまい」

 仕事の後に飯を食いに行って駐車場に停めた車の中で会話をする。ニンニク増し増しのラーメンに付き合ってくれる女はこいつくらいしかいない。
 彼女の前でタバコを吸うことはないし、服や髪の香りにも気を遣っていた。多少の香りについて何か言われたとしても、一緒にいた奴らのものとでも言っておけばだいたい誤魔化せていた。
 そうやって彼女の機嫌を損ねないようにするあれこれを、ナマエに常々面倒だと言いつつも俺はそれを楽しんでいた。いい彼氏を演じるための時間が、俺が誰かの彼氏であると自覚できる時間でもあった。
 女と遊びたいだけならば恋人なんて作らなくたっていい。その方がいろんな人と遊べるし気が楽だ。それでもそれをしないで彼女を作ったのは、誰かの彼氏であるという揺るがない地位が欲しかったのかもしれない。

「人のカバン勝手に漁る女どーよ?」
「そのうちスマホも見てきそう」
「そうなんだよなー」

 彼女のかわいい我儘に答えてやるふりをする俺をナマエはマメだねーと感心するように言うが、誰かのわがままを聞いてやるということは俺にとって特別なことではなかった。ガキの頃から妹たちのわがままを聞いてきた。下の兄妹たちの言うことは無条件でできる限り答えてきた。それが俺の役目だと思っていたし、そうしてやらないと兄としての俺がこの世から消える気がしたから。
 俺は結局、俺のために人の願いを叶えているに他ならない。

「別れよっかなー」
「いつもそう言うけど結局別れないじゃん?」
「まぁな。嫌いなわけじゃねえし」

 彼女のことが嫌いならばとっくの昔に別れている。嫌いになるほどの何か大きな喧嘩でもあればいい口実ができたとあっさり別れを告げるんだろう。別れ話が拗れて意味のない話し合いになる方が面倒くさい。

「アプリの男どうだった?」
「あー……二回会ったけど次はないかな」
「誠実そうでいい人だって言ってたじゃん」
「うん。その人自体はいい人だと思ってたけどね」

 つまらなさそうにマッチングアプリを開いてブロックボタンを迷わずタップしたナマエの横顔は、二回も出かけた男に対して微塵も興味がないようだった。
 ナマエは俺みたいに軟派なやつじゃない。マッチングアプリで探している男は正真正銘、お付き合いをする男性。俺みたいにその日だけ遊べる相手を探すためにアプリをダウンロードしたのではないことも、いろんな男からアプローチがきていても慎重すぎてなかなか会うところまでいかないことも知っていた。
 たった今目の前でお別れされた男は、ナマエと同じようにきっと真剣にお付き合いしたい女性を探していて、三回目のデートで告白でもするつもりだったんだと推測する。恋愛の三回目ルールを忠実に守っていた真面目な男の何がナマエは気に入らなかったのか。

「なんかあった?」

 エンジンのかかっていない車の中は静かだった。二人しかいない鉄の箱の中、取り繕う必要なんてない間柄。ナマエは俺の質問に「ん?」と首を傾げて誤魔化そうとした。
 ナマエをこんな風にしてしまえる存在を一人だけ知っている。知っていると言っても直接会ったことはないから一方的に知っている。

「アイツから連絡きたとか?」

 ハンドルに預けた腕の上に顎を乗せて助手席のナマエを見る。半笑いの俺にナマエはわざとらしく頬を膨らませて睨みつけてきたが、どうやら俺のよくない予想は的中してしまったようだ。

「いつもこうなの。見計らったかのように連絡してくるんだもん。この間なんて一年以上ぶりの連絡だよ?」

 困っちゃうよねぇと漏らすナマエは、例えばイヤイヤ期の我が子が手に負えなくて……としあわせな悩みを打ち明ける母親のようだった。困っているのは本当のことなんだろうが、心の底から嫌がってはいない。我が子の我儘すら可愛いと思える母親の鑑。

「会ったの?」
「今度飲み会があるから来ないか? って誘われた。来週かな」
「行くんだ」
「久しぶりにみんなにも会いたいし」

 ナマエに連絡をしてきたのは、ナマエが学生時代に勤めていたバイト先の人間で元彼。社会人になってから暫く付き合ったソイツとはすれ違いの末に浮気されて破局。当時のナマエは相当落ち込んでいた。
 それから五年程、ナマエには彼氏がいない。彼氏は欲しいようだからマッチングアプリに登録してみたり、合コンに繰り出してみたりと行動しているのを見てきた。
 ナマエに彼氏ができることに関して特に何かを思ったことはないけど、それでもナマエを一度あんなにどん底に突き落とした男とはもう二度と付き合ってほしくない。出来れば二度と、ナマエの前に現れてほしくない。

「あーあ、せっかくいい男捕まえられそうだったのに。お前アイツに会ったらまた当分彼氏できねぇな」
「そんなこと言わないでよ」

 元彼っていう存在は存外厄介な生き物だ。お互いのことを友達以上に知っていて、一瞬だったとしても好きという感情があった人間同士。例え嫌いになって別れた人間だったとしても、今は嫌いなだけで昔は好きだった人間なのには変わりがない。
 そんなの、三秒見つめ合えばあの頃の気持ちを蘇らせることができる。
 ナマエはそんな感じで元彼からの呪縛から上手く抜け出せずに五年も一人で過ごしている。「一人も楽でいい」と言いながらも、クリスマスや夏祭りなどもイベントが近くなると少し寂しそうだし、そんなナマエのことなんて普段は気にもしていない元彼にはナマエの後に何人か彼女がいるらしい。それが全ての答えなのだろうけど、ナマエが自分で区切りをつける以外にその泥沼から足を引き抜くことはできないのも事実。

「ナマエも厄介な男に捕まったよな」
「誰か私を助けてくれる人が現れればいいのに」
「俺が助けてあげようか?」
「三ツ谷にはいつも助けられてるよ?」

 なんとなく噛み合わないやりとりに終止符を打つように鍵穴に差し込んだままになっていたキーを回す。それを見て何も言わずにシートベルトを付け出したナマエは「明日のご飯はヘルシーにしなきゃなー」なんて腹を撫でた。お互い、こってりラーメンが翌日に影響する年齢になったということだ。

 俺たちは似ている。

 口では恋愛を面倒だと言いながら、その面倒ごとに享受する自分に酔ってるんだ。



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