神様も知らない魔法


『今日はありがとう』
『こちらこそ今日はご馳走様でした』

 気になる女の子とのはじめてのデートが無事終わり、次回に繋げる為に家に着いた頃合いを見計らって連絡を入れた竜胆は目の前で美味しそうに食事をするナマエを思い出して、一人笑顔を浮かべていた。
 口に入れた肉がとろけるのと同じようにナマエの顔もとろけてなくなってしまうのかと思ったくらいだった。目の前でかわいい笑顔を向けるナマエと次に会える日を早く決めて、その時には告白をしよう。彼女の予定を聞いた竜胆は来月の土曜日を心待ちにしていた。

『楽しみにしてる』

 そう伝えて終えたやりとりの画面を見てニヤニヤする竜胆を、兄の蘭が揶揄っても喧嘩になることはなかった。竜胆はこの焦ったい恋を確実なものにするべく、慎重に慎重に進めようとしていた。

「来月って……無理すぎる」

 しかしナマエとの約束の日までが長すぎた。恋人ではない者同士、彼女には仕事もプライベートもある。竜胆はまだ彼女にとって特別ではないから、そのほかの人間と同列だった。彼女の予定は先着順。年末に向けて忘年会やクリスマス会など予定が盛り沢山の彼女の一日を確保できただけでもよしとしなければならないところ。
 友人の中の一人ではなく、特別な一人になりたい。でも早く会いたい。できれば今すぐに。
 焦っている訳ではなかったが、竜胆の中でナマエと会えない時間に膨れ上がった恋心は空気を入れすぎた風船のように破裂寸前だった。

『何してる?』

 金曜日の夜。我慢ができず送ったメッセージに返信がきたのは数十分後。今すぐ会いたいと言ったらナマエは困るだろうか。それとも喜んでくれるのか。
理由がなくても会いにいける立場ではない竜胆がナマエに会うには何かしら口実が必要だった。

『明日も仕事だからもう寝るところ』
『土日休みじゃなかったっけ?』

 年末に向けて仕事が忙しくなるナマエは休日出勤を強いられていた。今から会いに行くのは流石に迷惑だろう。会えないと分かると会いたい気持ちが膨れ上がるのはどうしてか。仕事で疲れているナマエを労ってあげたいし、美味しい料理をお腹いっぱい食べてしあわせの中で眠ってほしい。竜胆の中にあるはずもない母性のようなものが溢れた瞬間である。

『明日の夜、会えない? 俺、次の約束の日まで待てねーかも』

 もう、この気持ちに蓋をすることなんてできそうにない。次のデートで綺麗な夜景の見えるレストランを予約している竜胆は、そこで告白をして恋人同士になれたらと思っていた。しかしもう待てそうにない。

『夜から会ってお泊まりしよう』
『私、付き合ってない人とお泊まりとかはしないよ』

 ピシャリと断りを入れるナマエ。それは暗に泊まるという行為のことだけを言っているのではないということは竜胆にも分かった。大人の男女が一夜を共にすること。それがどういうことなのか分からない女ではないということだった。分かっていながらきちんと断るナマエだから竜胆は好きになったし恋人になりたいと思った。

『ナマエを不安にさせるようなことはしないって誓う。もう俺が会いたくて限界だから、お願い』

 ずるい言い方をしている自覚があったが、ナマエが自分のことを嫌いではないことも薄々感じていた。お互いに好意がある、そのむず痒い心地よさを堪能してから恋人同士になるのも悪くないと思っていたくらいだ。
 渋々了承したナマエは泊まりの準備をする。いつもより大きくなった荷物を眺めて複雑な気持ちを抱えながら眠りについた。一方竜胆はガッツポーズを一つ。対照的な二人の夜。

 ナマエは竜胆に『会いたい』と言われ、嬉しくないわけがなかった。数多くいるであろう知り合いの中から自分に会いたいと連絡をくれる。先日のデートに誘われた時も舞い上がり着ていく服に何時間も悩んだのだ。
しかし昨日のお誘いは随分性急で、もしかしたら自分は竜胆に遊ばれて終わってしまうのではないか? という疑問が浮かんでは消えていく。モテる竜胆のこと、彼女はいないと聞いているが遊ぶ女はたくさんいるだろう。自分もその大勢の中の女の一人なのではないか。もし今日の夜、そういうことになってしまったら竜胆のことはきっぱり諦めなければならない。そんなことを考えながら挑んだ仕事が捗ることはなく、『仕事終わったよ』と連絡を入れたのは20時過ぎ。
 今の時間からならご飯を食べて終電前に解散することもできる。竜胆と恋人になりたいからこそ守るべき節度があるし、軽い女だと思われたくないナマエ。女としてのプライドもあった。それでも会いたい気持ちもあって惚れたもん負けだなぁと一人で落ち込む。

 会社の前まで車で迎えにきていた竜胆は行き先を告げずに車を走らせた。

「お疲れ様、腹減ってる?」
「ぺこぺこだよー!」
「だと思った」

 せっかく会えたのに、この後のことや今日以降のことを考えると憂鬱で静かになってしまいそうで、ナマエはいつも通り明るく振る舞っていた。
 車は道に迷うことなくスムーズに進み地下の駐車場に停まる。タワーマンションの地下駐車場は紛れもなく竜胆の自宅だった。
 どこに向かうのか何をするのか。お互いにあえて言葉にしなかった。上へ上へと昇るエレベーターの中、お互いに緊張しているのか口数も減っていった。
 竜胆の自宅のリビングテーブルにはナマエの為にデパ地下で買い込んだお惣菜が並ぶ。今日のために土曜の午前中から掃除や買い物に走り回った竜胆。手料理を振る舞うか悩んだ末、デパ地下に走ったのはがっつきすぎか? なんて心配をしたからだった。
 レンジで温めたお惣菜を並べて、缶ビールで乾杯をする。仕事終わりのどこにでもある光景に肩に力が入っていたナマエも少し緊張がほぐれたようだった。
 お酒を飲みながら映画を流してぽつりぽつりと会話をする。休日出勤を乗り越えてきたナマエの瞳は、アルコールのせいもあってとろんと垂れている。

「眠い?」
「うん」
「風呂、使っていいよ」
「…うん」

 竜胆に簡単に浴室の説明を受けて、新しいバスタオルを渡されたナマエは「お借りします」とぽつりと呟く。バスタオルで半分隠れた顔がほんのり赤くてかわいいな、なんて思いながら竜胆は務めてクールに「おう」と返事をした。
 浴室で温かいシャワーを頭から浴びていると、一気に現実に引き戻されるような気分だった。どうしよう、どうしよう。流れるようにここまできてしまったけれど、竜胆との関係は未だ名前がつかないまま。
 線引きはちゃんとしなければ。気を引き締めたナマエはドキドキする胸を押さえながら浴室から出ていった。
 ナマエの後には竜胆もシャワーを浴びにいき、一人残されたソファーの上で流れっぱなしの映画を見つめる。内容はちっとも頭に入ってこなかった。
 ソファーの上で膝を抱えるナマエの後ろからシャワーを終えた竜胆が優しく声をかける。

「ベッド行く?」
「……」

 何も答えないナマエの横まで行ってソファーに座った竜胆は何も身に纏っていない上半身に首からタオルを下げた姿でナマエの横顔を覗き込む。

「私ここで寝ます」
「ナマエがソファーなら俺床で寝る」

 二人の押し問答はしばらく続いた。
 なかなか動こうとしないナマエの頬に竜胆の唇がそっと触れる。
 驚きと同時にやっぱり遊ばれてしまうんだと確信したナマエは目に涙を浮かべて竜胆を見る。一方竜胆は照れるナマエを想像していたが予想外の反応に首を傾げる。

「俺のこと嫌い?」
「……キライ」

 まさか嫌われているとは思わなかった竜胆は驚いてナマエを見つめたが、その顔は嫌いな男の横にいる女の顔ではない。
 好きな女が自分の隣でこんなに可愛い顔をして涙を浮かべているというのは、悪いことをしているような気持ちと同時になんとも言えない嬉しさも込み上げてくる。

「俺はナマエのこと好きだよ。ナマエも同じ気持ちだと思ってたんだけど?」

 竜胆の言葉に、ナマエからはみるみるうちに涙が溢れてついには頬を伝って零れ落ちた。

「泣くほど嫌い?」
「私……遊ばれてるんだと思って……」
「好きじゃない子、家に呼ばねーんだけど」

 頬を膨らませた竜胆がナマエを睨む。

「次のデートまで待てないって言ったじゃん俺」
「言ってた」
「伝わるかと思ったんだけど俺の気持ち」

 竜胆の言葉は確かにナマエに淡い期待をさせたけれど決定的な言葉は今の今まで一度も伝えられていない。

「はっきり言ってくれなきゃわかんないよ」

 ナマエもまた涙を浮かべながら頬を膨らませたので「すきだよ」と伝えて柔らかい唇にキスを落とす。
 角度を変えてゆっくりナマエの唇を堪能する合間に吐息と一緒に聞こえた「わたしも」という言葉は、竜胆に飲み込まれて熱いキスとなってナマエに降り注ぐ。

「すき」
「うん」
「だいすきナマエ」
「……うん、わたしもすきだよ」

 キスの合間の僅かな時間にたくさんのすきを伝えて、ナマエの不安を解消していく竜胆。言葉にすると自分の身体の真ん中で、何か温かいものが生まれるような気がした。

「しあわせなんだけど」

 こんな気持ち知らなかった。ナマエをぎゅうぎゅう抱きしめて、その首筋に顔を埋めているだけで気持ちがいい。まるで小さな子供みたいな仕草にナマエはこっそり笑って、そろりとその頭を撫でてやった。竜胆がもっとと言うように抱きしめる力を強める。

「竜胆くん」
「なに?」
「すきです。付き合ってください」
「待って、俺が言いたい!」

 首元から顔を上げた竜胆は肝心な言葉を伝えていなかったことにようやく気づいたようだった。

「やだ。私がもう言っちゃったもん」
「すきです。付き合ってください!」
「今告白のお返事を待っている身なのでごめんなさい」
「誰の」
「竜胆くん」

 笑い合う二人の関係が変わった日の話



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