今日の夕飯なんだろうな?





「…及川と付き合ったのは失敗だった。」

「ちょっと名前ちゃん!なんで本人の前でそういうこと言うの!?サイテー!及川さん泣いちゃうんだから!」

「失敗だったから別れたんだろーが。」

「まぁね?及川とは今の方が気が楽で楽しい。ただね、予想以上に"及川の元カノ"という肩書きが大きい。」


 及川と付き合ったのは三ヶ月ちょっと。もともと仲は良くて、付き合うということに対してのハードルも高くなかった。高かったのは付き合った後だった。及川と私の関係性は付き合う前からほとんど変わらずに、軽口を言い合ってふざけたり、部活のない放課後にカラオケに付き合わされたり。でも肩書きだけは立派なもので、"及川の彼女"として一躍時の人となったのだ。
 知らない女にイタズラされたなんてことはなかったけれど、どこかの誰かに妬まれはしただろう。及川と仲良くしている女は他にもたくさんいるけれど、その中で彼女になれるのはたった一人だったから。

 結局、友達の延長線上からうまいこと抜け出せないまま彼女を務めた私は及川と別れることになる。後悔はしていない。及川のことはもちろん好きだし、付き合ったからこそ知れた一面もちゃんとある。お互いに納得の上で恋人同士をやめて友達同士に戻っただけだ。フラれたとかフッたとかそういう次元の話でもなんでもない。もう一年以上前の話で、今でも私と及川は仲良くしている。


「岩泉聞いてくれる?"及川の元カノ"と呼ばれ続ける私の話を…」

「何万回も聞いた。飽きた。」

「そんなこと言わないで聞いてよ〜!イジワル〜!」


 岩泉の引き締まった腕を両手で掴んでぶんぶんと振り回す。私がこんなに全力で振り回しているのに岩泉の体の軸はぶれずに真っ直ぐだった。飽きた、うるさい、なんて言ったって岩泉は最後までちゃんと聞いてくれることを知っている。


「おい、見ろよ。二組の名字来てる。」

「お、ほんとだ!でもな〜あの及川の元カノだろ?」

「…それな〜。俺なんか相手にされそうもねーよ。」


 「と、いうことがあってね?」一人二役で演じきった私をバカを見るような目で見つめてきたバレー部四人組は総じて失礼である。「ただの自慢じゃねーかよ」と呆れた顔をする岩泉の腕を再びぶんぶんと振り回した。
 これは自慢でもなんでもない。由々しき問題なのである。及川の元カノであることは変えられない事実。それに後悔はしていないし、引きずってもいない。それなのに周りの目はそうではなかった。及川の名が大きすぎて、周りの男たちが萎縮している。そのせいでこの一年間まったく出会いがなかったのだ。


「ね〜花巻!花巻だったら私と付き合える?」

「及川のお下がりはちょっとな〜?」

「はい、サイテー。」

「俺には聞いてくんないの?」

「松川は目がイヤらしいから聞かない。」


 私は私としてではなく、どこにいっても"及川の"がついて回る。そんなことを踏まえた上での失敗発言というわけだ。本気で思ってはいないけど、毎日チヤホヤされている及川の胡散臭い笑顔を見ていると腹が立ってくるのは仕方がないことで、少しくらい八つ当たりさせてもらったって構わないと思うんだ。


「及川早く彼女作ってフラれて最新の元カノ作り出してよ。」

「それよりもさ?俺と名前ちゃんがまたカップルになれば話は早くない?」

「早くない。」


 名案だとばかりにウインクを飛ばす及川のお尻を岩泉が蹴り上げた。いいぞもっとやれ!心の中でそう叫んでグッジョブサインを送った私に、岩泉も同じように返してくれる。「岩ちゃんヒドイ!」と泣いたふりをする及川をみんなで笑うこんな時間が楽しい。きっと私に彼氏は必要ないんだろう。今のままで十分楽しく生活できているし、そこにこれ以上の幸せが降ってきたらきっとキャパオーバーで爆発してしまう。友達との時間と、彼氏との時間。どちらもきっと大切なんだろうけれど、うまく切り替えのできないバカな私は、どちらかが蔑ろになってしまいそう。出会いがないと騒いでみても、結局のところはそこまでの出会いを求めていないのだ。







 月曜日の放課後、岩泉にばったり会ってどちらからともなく合流して一緒に歩きはじめた。真っ直ぐ家に帰る予定だったけど、「本屋さんに行きたいな」と思ったことを口に出したら「俺も月バリ買いてぇ」と賛成してくれたので商店街の方へと足を延ばす。
 歩くのが遅い私に及川は完璧に合わせて歩いてみせたけれど、岩泉は油断すると私を置いてスタスタと前に行ってしまう。ドーナツ屋さんの前でショーケースを見つめる私の少し先で、コロッケ屋さんを見つめる岩泉に店のおばあちゃんが何かを渡す。


「ばあちゃんがコロッケくれた。」

「ヨダレ垂らして見てたんでしょ。」

「後ろのお嬢ちゃんもお腹すかせてそうだから半分こしな、だとよ。」


 半分に割ったコロッケがどちらが大きいかで言い争いをして、お互いの食い意地を馬鹿にして笑いあう。楽しいな〜。
 本屋に入れば互いに無言でお目当ての物の場所まで行き、私は雑誌と新作の少女漫画で面白そうな物がないかのチェックに入る。そういえば及川は、少女漫画のイケメンに対抗してみようとしたりするちょっと頭のネジが緩い奴だけれど、及川のモテっぷりは少女漫画になってもおかしくはないかもしれない。私の漫画を借りて「キュンキュンした!」と感想を述べてくるような奴だ。たぶん岩泉は少女漫画は読まないだろう。恋の駆け引きとか歯の浮くような台詞とかそういうのは似合いそうもない。比べるとどこまでも正反対な及川と岩泉が、二人して熱中するのがバレー。バレーにはどんな女の子であろうと勝つことはできない。

 会計を済ませて岩泉の元へ行くと、買う予定の月バリを睨みつけるようにして熟読している。これから買うんだからそんなに真剣に読まなくたっていいだろう。近寄っても雑誌から目を離さない岩泉がムカついたから、横から腹パンを決めてやる。脂肪のない引き締まった脇腹に跳ね返された拳が痛い。







「おまえ、俺と付き合え。」

「…いや、私及川の元カノだよ?岩泉と及川、幼馴染じゃん。」

「それがどうしたよ。おまえはおまえだべや。」


 本屋さんからの帰り道。同じ店の袋をそれぞれぶら下げてのろのろと時間をかけて歩く。岩泉は「今日の夕飯なんだろうな?」みたいなノリでそんなことを言い出した。
 "及川の"幼馴染で"及川の"親友。それが岩泉一という男。
 及川の名に負けない人間がいるのだとしたらそれはきっとこの人以外にいないだろう。及川の隣を歩いてきた人。その眩しさに潰されることなく、絶対的信頼を勝ち得て、ここぞという時に必ず及川からボールを託されるエース。



「及川の呪縛に取り憑かれた者同士だ。」

「ウケんなそれ。お祓いして及川を成仏させねぇと。」


 立ち止まっていた足を前に動かす。返事はしていないけど、いつもより少しだけ岩泉の逞しい身体が近くにあるような気がして頬が緩む。この腕を散々に振り回してきた私だけど、岩泉はこんな私でいいのだろうか。「おまえはおまえだろう」と言えてしまう岩泉がかっこいい。お世辞でも励ましの言葉でもなんでもない、岩泉のキレキレストレートは私のやわなハートを粉々に砕いてしまった。どうしよう。これはカケラを一つずつ拾って、本来の形に戻るのを手伝わせなければならない。

 コツン、と手と手がぶつかった。


「あ、ごめーん。てか、岩泉ゴリラだから手折れた。」

「おう?どれ見せてみろ。」

「ほら見て!粉々!」

「ほんとだ。こりゃ一生治んねーかもな!」


 岩泉の目の前に突き出した右手はもちろん元気いっぱいだ。そんな私の子供のような小さな手を掴んでしげしげと見つめた後、本当に粉々になってしまったものをかき抱くように包んで歩き出す。一生治らないのは私の心臓の方かもしれない。せっかく一欠片復活した心臓は岩泉の温かい左手によってまたもやパーンと砕け散ってしまった。
 岩泉によって粉々にされた心臓は、岩泉にしか修復できない。でもすぐにゴリラパワーで粉砕してくるんだ。これじゃ心臓がいくつあったって足りないし、いつまでたっても私の心臓が元どおりになることはなさそうだ。悔しいから繋いだ手をいつものようにぶんぶんと振り回す。どうしたって子供っぽいじゃれあいしかできない私。岩泉は「暴れんなボケ!」といつも通り叱ってくる。でもなんだろう、心臓がほわんと温かくて擽ったいな。







「岩ちゃん、名前ちゃん…?まず一番に報告する相手がいるはずだよね!?どうして俺が知らない間に3ヶ月記念日とか迎えてるの?」

「いや、及川気付いてなかったの?それに驚くわ!」

「マッキー達は聞いてたの!?ねぇねぇ!なんで俺だけヒミツなの!?元彼だから!?なんで!?」

「うるせーからに決まってるだろうが。クソ川が。」


 この間私と岩泉は付き合って三ヶ月目の記念日を迎えた。特にお祝いなんてものはしなかった。ただ、及川と付き合った三ヶ月を優に越して、それでいて未だ順調な私達はこれから先もこんな感じでやっていけるのかもしれないなと少しだけ嬉しかった三ヶ月目だった。
 及川に秘密にしていたわけではない。わざわざ改まった報告をしなかっただけだ。それに関しては岩泉が「別にいらなくね?」と言うものだから、男の子同士ってそんな感じなんだと思ったくらいだった。花巻と松川は私達の雰囲気で勘付いたらしく、付き合って一ヶ月を過ぎたあたりに正式に聞かれた。そういえばあの時及川はその場に居なかったな。そうだとしても、二人が気付くくらいだから、及川だって気付いているものだと思うじゃないか。及川は変なところで抜けている。


「騒がずにはいられないでしょ!俺の大好きな岩ちゃんと俺の大好きな名前ちゃんが付き合ってるなんて!嬉しいのダブルパンチでちょっとメンタルやられる。」

「情緒が不安定!!!」

「おめでとう!しあわせになってよね!」


 泣き真似をして、まるで結婚の報告をされた友人のように喜ぶ男を見て笑う。及川のこういうところが好きだなぁ。及川からの言葉はきっと、私達にとって一番嬉しい言葉だろう。隣の岩泉もぽりぽりと頬をかいたりなんかして照れくさそうだ。こうなると分かっていたから、言わなかったんだろう。


「及川はちゃんと成仏されたかな?」

「あぁ。あの晴れ晴れとした笑顔。きっと天国で俺らのことを見守ってくれてんだろ。」

「勝手に殺すのやめてくれる!?」


 二人して手を合わせながら空を見上げる。私達は付き合ってから何も変っていないように思えたが、私は無意識に岩泉の隣に座るようになった。特に意味はない。ただ岩泉の隣にいれば安全だろうなと根拠もなく信頼している。何からでも守ってくれそうなところがある。二人の保つ距離は以前より数センチだけ近付いて、たまにワイシャツ同士が擦れたり、腕がコツンと当たったりなんかもして、そんな瞬間に少しずつ粉々になった心臓が修復されていくような気がする。


「おい名前、肩に及川の霊が取り憑いてんぞ。」

「わぁー!キモい!とって!」

「酷いカップルだな。」

「本当にな。ザマーミロ及川!」


 騒ぐ私の肩に及川の手が添えられる。及川の背後霊だなんて笑えない。ガクガクと揺さぶってくる及川は拗ねてしまったかもしれない。ご機嫌とりをするのも八つ当たりをされるのも私じゃないから関係ないけれど。「今除霊してやるよ。」真面目な顔で不真面目なことを言う岩泉。早くしてくれないと私の肩が外れちゃうよ。
 岩泉の右手が及川の顔面を鷲掴んだ。そう思ったのは背後から「グエッ」とカエルのような声が聞こえたからだった。きっとバレーボールのように掴まれているんだろう。「ありがとう岩泉!」そんな風にお礼を伝えようと見上げた先に岩泉の真剣な顔があった。


「…ッん、」

「除霊とお清め。」

「…………アホ。」


 ポスンと岩泉の胸に寄りかかる。ずるい、ずるいぞこの男。

 また心臓が破裂した。







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