第2試合




 インターハイ予選。烏野高校排球部、新一年生を迎えた新生烏野の初公式戦。
 今年の三月、烏野高校は伊達工業に敗退した。本当に、本当に色々あった。エースの休部、守護神の謹慎、破天荒な一年生の入部。しかし、その色んなこと≠ヘ巡り巡って、きっといい方向に向かっている。烏野が、再び大きく羽ばたくための、長く辛い助走のような期間でもあった。

 顧問の武田先生の尽力があり四強の青葉城西高校との練習試合を行なった。そこから、烏養前監督の孫、烏野排球部OBの烏養繋心さんが監督としてチームを見てくれることになり、ゴールデンウィークの合宿、東京の古豪、音駒高校との練習試合──たくさんの刺激を受けて、まさに烏野復活といったところ。マネージャーの贔屓目もあるが、烏野は今とてもノリに乗っていると思う。

 今日もまた、あの不名誉な言葉が飛び交う仙台市体育館。

 『堕ちた強豪飛べない烏』

 好きに言ってればいいさ。助走はばっちり、今日ここで、烏が大空へ飛び立つ瞬間を見せてやる。

「あ、あれは……! 烏野のアズマネ=v
「旭さん、有名人ですね」
「有名人ではない……」

 旭さん、西谷、影山──他校に名が知れ渡っている選手がこれだけいる。ふふん、と勝手に鼻を高くしていた私の瞳に、伊達工業のジャージを着た団体が映る。キッ、と無意識に目に力が入る。烏野は初戦勝ち上がれば、二回戦で伊達工に当たる可能性が高い。伊達工が勝ち上がってくれば、だけれど。本来、シードを取っていてもおかしくない伊達工は、去年三回戦で白鳥沢と当たってしまったがためにベスト16という結果で終わっている。伊達工も、初戦は勝ち進んでくるだろう。つまり早ければ今日、雪辱を果たすことができるかもしれない。

「(絶対負けない……)」

 無意識に伊達工に向けていた視線、それに応えるように一人の選手が勢いよくこちらを振り返った。パチッと火花が飛び散ったように目の前が白く光った気がして、周りの騒がしさがスっと消えた。声も出していないし、もちろん知らない人。だけど、勘違いなんかじゃない。その人と私は今、確実に視線と視線がかち合っている──

 音もない、時間が止まってしまったような感覚の中、世界にまるでその人と私の二人だけ取り残されてしまったかのような気がした。

「名前さん?」

 日向に話しかけられてハッとする。視線を戻すと「知り合い? ですか?」と首を傾げる日向と目が合って、周りには黒いジャージに身を包んだ烏野のメンバーがちゃんといた。ほっとしながら日向に笑顔を向ける。

「ううん。ちょーっと個人的に恨みがあって」
「ヒッ」
「どうした日向」

 日向がエビのように飛びながら田中の後ろに隠れた。突然のことに驚いた田中が私を見て呆れた顔をする。

「いやいやいや、名前さん? 人殺しそうな笑顔やめて?」

 日向がビビってんだろ! と言われ、自分の両頬を手で包む。そんなにひどい? むにむにと、 引き攣ってかたくなっている頬を揉む。「伊達工がいたから」とむすっと答えると、田中はなんとも言えない顔をした。困らせたい、わけじゃない。伊達工に負けて悔しい気持ちは、私よりずっとずっとコートにいた選手たちの方が強いに決まってる。

「名前! ドーンと胸張って前だけ見てろ」

 ドーンと! の言葉と共に背中に強い衝撃が走る。西谷が私の背中をバシーンと叩いたようだった。「痛ッ」と私が声を上げたので、大地さん達三年生がこちらを向く。

「守護神がいる、だろ?」
「かっけェー!!」
「お前らうるさい!」

 西谷のイケメンすぎる名台詞にみんなが沸いて、大地さんの怒号が飛び、それにまた笑い声が上がる。いい雰囲気だ。

 体育館へと足を踏み入れた日向が大きく息を吸って目を輝かせながら「エアーサロンパスの匂い!」と叫ぶ。この独特の雰囲気をそうやって表現する日向につられ、私も大きく息を吸った。確かに、エアーサロンパスの匂いはする。

「伊達工業だ…!」

 ザワつく周囲に、知らない誰かの声。伊達工業≠ニいう響きを嫌でも耳が拾ってしまう。それは烏野のみんなもそうだったみたいで、強烈な威圧感が迫る方向へと視線を向ける。
 やはりそちらには伊達工業高校のメンバーがいた。体格がよく、間違いなく伊達工ブロックの要である選手──旭さんを徹底的にマークして潰した張本人と言ってもいいだろう──が、スっと腕を上げたかと思うと、真っ直ぐに旭さんを指さした。まるで、標的なお前だ≠ニ言っているかのよう。
 旭さんへの失礼な態度に、相手選手をキッと睨みつける。その人は真っ直ぐに旭さんだけを見ていて、言葉を発してくることはなかったけれど、なんて失礼な人なんだ。
「ちょいちょいちょい!」

 「やめなさい!」と叫びながら飛び出してきた人が謝りながら、旭さんを指さしている人の腕を下ろそうと躍起になっている。「二口! お前も手伝えっ」と呼ばれた人物が、緩い返事をしながらその人の背中を押して旭さんから遠ざけていった。

「あっ」

 さっき、目が合った人だ。私が漏らした声が聞こえたのか、元々話しかけようとしていたのかは分からなかったが、丁度よく振り返った、二口と呼ばれた人はニコリと笑う。

「すみませーん。コイツ、エースとわかるとロックオン≠キる癖があって……だから、今回も覚悟しといてくださいね」

 そう言い残して去っていった伊達工業の生徒たちの背中に向かって、「……は?」と声を漏らしてしまったのは仕方ないことだと思う。相手に聞こえない距離まで離れてから口に出したのだから褒めて欲しいくらいだった。まぁ、正直驚きすぎてすぐには言葉が喉を通らなかっただけなんだけど。

「二回戦でけちょんけちょんにしてやるんだから! ……旭さんが!」
「俺!?」
「でもまずは初戦突破な」

 そんな感じで初っ端から伊達工業と火花を散らしつつ迎えた初戦。マネージャーは一人しか入れないから、私は二階の応援席から試合を観戦する。みんなのプレーの一つ一つを目に焼き付けたい。
 常波高校は初戦で敗退することが多いと聞いた。相手選手の体つきを見ると、烏野の選手とは筋肉の付き方が違うのがよく分かる。安心、なんてしてはいけないけれど、少しでもうちが有利な条件はないかと探ってしまう。
 試合前、日向はガチガチに緊張していて、青葉城西との練習試合で見せた数々のミスが頭をよぎった。でもアップをこなす日向を見て一安心。大丈夫そうだ。
 隣のコートでは伊達工業が試合をするようで、伊達工コールが響き渡る。私が声も出しても、この伊達工業の応援に掻き消されてしまうのが悔しい。でも、円陣を組んでいる烏野チームに合わせて、私も一人で「おー!」と言った。聞こえなくても。声に出すことが大事だと思うから。

「烏野マネちゃんやっほー」
「……どうも」
「なんか凄い軽蔑の眼差し!」
「お前がキモイからだ」
「岩泉さん! こんにちは」

 シード校の青葉城西はこの時間試合がない。主将の及川さんやエースの岩泉さん、そして監督までもが烏野の試合がよく見える位置にいる。間違いなくウチを警戒している。
 しかし、この会場で今の時点で烏野を警戒しているのは、青葉城西くらいだろう。彼らとは一度、練習試合をしているから、日向と影山のことを知っていて、そしてその速攻に翻弄されて敗北しているから。あの時は、及川さんがラスト数プレーしか出ていなかったし、セッターとしての及川さんとはやれていない。勝ったからと言っても手放しで喜べるような試合ではなかった。

 試合の序盤、田中と旭さんがそれぞれ決めて、烏野の攻撃力を見せつける。そして──日向が飛んだ。

「ッし!」

 二階席でガッツポーズ。日向の特典が決まった瞬間、会場は一体何が起こったのかと静かになった。誰もが、ノーマークだった烏野の小さな小さなミドルブロッカーに視線を奪われている。

 これが、新しい烏野──

◆◆◆

「痛っ、折れたかもー」
「お前の選手生命終わったんじゃね?」

 ギャハハと笑いながら肩を叩かれている方が余程痛そうに見えますけど。
 次の試合の準備のため仙台市体育館を走り回っていた私は、横に広がって歩いていた三人組をうまく避けることができず、腕が少しぶつかってしまった。
 これくらいで折れるようなヤワな身体をしているなら、早めに選手生命が終わってよかったですね、とは言えず、「すみません」と頭を下げる。抱えているドリンクボトルが落ちそうで、早くこの場を立ち去りたい。

「あれ? よく見たら烏野の子じゃん」
「ホントだ。烏野のさっきの試合面白かったよな」
「な、あとベンチのマネが超美人」

 人の目の前に立ちはだかって好き勝手に話し出す三人組。ぶつかってしまった手前、無視をしてこの場を去ることもできない。ただ、次の伊達工との試合まで時間もない。

「ねぇ連絡先教えてよ。烏野のこととか、特にあの美人のマネージャーのこととか聞きたいし!」
「あの、もうすぐ試合なので……」

 怒っちゃダメ、睨んじゃダメ。大地さんに怒られてしまうから、絶対にダメ。田中や西谷が近くにいる時はこんなふうに絡まれることなんてないのに悔しいな。
 こんなところで油を売っている時間はない。烏野の一員として、私にもやれることがたくさんある。何より、これから迎える大事な一戦に集中させてほしい。集中している選手たちのサポートをさせてほしい。

「でもさ、君は試合中暇でしょ?」
「美人マネちゃんがいるし! なんなら俺らと一緒に観戦する?」

 一人で観てるのつまらないでしょ? その言葉に、スっと身体の中心が冷えた気がした。つまらない? この人たち、何を言ってるの? 「ねぇ」と掴まれた腕が気持ち悪くて、寒気がする。

「離してください。」

 自分でも酷く冷たい声色だなと思った。自分の声なのに、何処か違う場所から聞こえてきたかのようだった。
 体育館のコート脇に入れるマネージャーは一人だけ。今はまだ、それは私の役目ではない。春に行われた大会も、一人だけ体育館の二階から応援した。烏野は部員数は多くないから全員控えメンバーとして体育館にいて、私だけが応援席。悔しかった。私の声はみんなに届いていただろうか。苦しかった。みんなの熱を、私もその肌に感じたい。でもそれは、今の私の仕事ではない。私には私のやるべきことがあるし、できることとできないことがある。そんなの、あなた達に言われなくたって分かってる。
いつまでも離れない気持ち悪い手と、悔しさから目の前が霞む。こんなやつらに泣かされたくないという一心で瞬きを我慢した。突き飛ばそうかなと足を踏ん張った時だった。背後から、というかもはや頭上から声が降ってくる。

「お前ら負けた学校?」

 知らない、声。烏野の二年でも、三年生の先輩たちでもない。私の腕を掴んだ人も、私からしてみれば十分背が高かったが、その人が更に上を見上げていた。

「こんなとこでナンパしてる暇があったら帰って練習すれば?」
「な、なに」
「おい、伊達工だぞ」
「やば、行こうぜっ」

 その名を聞いた瞬間、もしかしたらあの人? と、一人の選手の顔が浮かぶ。そうだったとして、何があるわけでもないのだけれど。
 ナンパをされていたのは、実質清水先輩のようなものだけれど、絡まれていたのは事実。助けてもらっちゃった、伊達工に。なんだか悔しかったけど、走り去っていく男の人たちを見てホッと胸を撫で下ろす。お礼を言わなくちゃ、と振り返ったら、声をかけてくれたであろう人は既に私に背を向けていて、歩き出そうとしているところだった。
 咄嗟に、その人のジャージの裾を掴む。クンッと引っ張られた勢いのまま振り返った人は、やっぱり二口≠ニ呼ばれていたあの人だった。

「……あり、がとう」

 今朝みたいに、目が合った。静電気のような弾く刺激はなかったけれど、その人はなんだか少し驚いたような顔をした後、ぶっきらぼうに「……別に」と答えた。
お互い、きっと印象はよくない。だって、無意識とはいえ睨みつけてしまったわけだし。私からしてみれば、因縁の相手なわけだし。これから、あの熱い体育館で、正々堂々負かしてやろう! という相手だし。
 でもなぜか、ありがとうの他にも何か言葉を探してしまう自分がいた。何か、他に。結局なんにも思いつかなくて、ジャージからゆっくりと手を離す。
その時、腕に抱えていたドリンクボトルが一つ零れ落ち──

「おっ、と」

 私の手から零れ落ちたドリンクボトルは冷たい床に転がる前に、二口という人がキャッチしてくれた。さすがバレー部。反応速度がピカイチだ。落ちかけたそれを掴むために腰を屈めたことで、私たちの距離はぐっと近くなる。「わ!」と情けない声を上げながら落ちていくドリンクボトルを見つめることしかできなかった私は、自分が恥ずかしくて両手で顔を覆ってしまいたくなった。生憎、腕の中にはドリンクボトルがいっぱいでそれは叶わない。
 ほい、と渡されたドリンクボトルを大事に大事に抱え直して、もう一度「ありがとうございます」と伝えてお辞儀をする。そろそろ本当に、みんなの所に戻らなくちゃ。走りかけた背中に、「次の試合!」と声がかかる。

 弾かれたように振り返る。

「負けねーから」

 にやりと、不敵な笑顔を浮かべたその人は、とてつもなく憎い相手のはずなのに、なんだか輝いて見えた。負けない、今日も勝つ。それははったりでもなんでもなくて、彼らがこれまで厳しい練習を乗り越えてきたからこそ湧き上がる自信そのもののように感じた。
 そうだ、別に伊達工の人たちは、烏野にいじわるをしてやろうと思っていたわけではないし、旭さんや西谷をバレー部から追い出そうとしたわけでもない。結果、一時的にそうなっただけであって、彼らの本意ではなかったはずだ。彼らは彼らで、勝つための戦略としてエースの強打を封じたのだし、その強打に負けない鉄壁を作るためにこれまで練習してきたのだから。
 私がバラバラになっていくみんなに耐えられなくて、何もできないことが悔しくて、その情けなさからくる苛立ちをぶつける先が必要だった。そうじゃないと、二人の声が消えた体育館が寂しすぎて、きっと私も部活に顔を出せなくなってしまっていただろう。そして、日向たち一年生を受け入れるのにも、もっと時間がかかったかもしれない。
 日向たち一年生の新しくも突風のような風は、結果的にエースと守護神を復活させてくれたし、「堕ちた強豪、飛べない烏」なんて言われていた私たちをまた羽ばたかせてくれた。

 あぁ、私。自分の無力を誰かのせいにしたかっただけなんだなぁ。

 でも今は、変わることは怖いことじゃないって分かった。変わりたいと思った時こそ好機。人は変わりたいと思った瞬間から、昨日とは違う自分になるの。

「次は! 負けないから」

 ニッと笑って、お互いに背中を向けた。

 あぁ、早く試合がしたい。実際にネットを挟んで戦うのは私ではないけれど、私だって烏野排球部の一員だ。恨みつらみなんてもうどうでもいい。

勝ちたい≠スだそれだけ。






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