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漆黒の空に「紅い月」が現れし時

この国に不吉なことが起こるだろう


ある時は大地震、ある時は大凶作

流行病に多くの民が苦しんだ

「紅い月」は、不吉の象徴である







「食い逃げだー!!」

「誰か捕まえとくれ!」

「任せてっ!」


うぉりゃー!という、なんとも気の抜けてしまう声をあげて繰り出された華麗な飛び蹴りは、年寄りのばあさんとその息子が2人で切り盛りする小さな飯屋から飛び出てきた男の背中に決まり、男はつんのめりながら2、3歩進んだのち地面に顔を強打した。

更に飛び蹴りをかました少女が背中に馬乗りになってきたので「うげっ」と、まるで蛙が潰されたような声をあげて逃げることを諦めた。


漸く追いついてきた大人達に捕まえられて、泣く泣く財布を差し出すとその中身はほとんど空で、もう3日も何も口にしていないのだと、いい歳した大人が皆の前で泣きべそを晒すという大惨事にまで発展した。


「おーアキラ!お前食い逃げ犯をぼこぼこにしたんだってな?」

「いや、俺は半殺しって聞いてるぜ」

「反省した男はばあさんの所で一生こき使われる誓約を交わされたらしい」

「……ねぇ、それなんの話?」


アキラと呼ばれた少女こそ、その食い逃げ犯を捕まえた張本人である。

もちろんアキラは飛び蹴りこそ喰らわせたもののその後一切の暴力は振るっていないし、ましてや半殺しになど出来るわけがなかった。

田舎町から出稼ぎに出てきたという男は、住む家はおろか職すらも見つからず、金ももうじき底をつくというところで魔が差し食い逃げをしたのだと鼻水を垂らしながら訴えた。


そんな苦労話を聞いたところで悪事を働いた事実は消えることはない。


「もう俺の人生は終わりだ」


そんな風に泣き出す男を励ましたのもアキラで、食い逃げをした店で雑用係の仕事をもぎ取ったのもアキラの人柄があったおかげである。


「私がそんな物騒なことすると思う?」

「「思う」」

「失礼ね!」


アキラは気まぐれにこの町にやってきてはこうやって騒ぎを解決したり、面倒ごとに首を突っ込んでいくお転婆娘として有名だった。
娘といっても見た目は17かそこらで、この国ではそれくらいの娘はもうそろそろ嫁にいってもおかしくない年齢。叫びながら飛び蹴りを喰らわせるような子はそうそういなかった。


町の子供達に比べて色素の薄い髪が目立つが、何よりも目を惹くのは太陽のような明るい笑顔だった。
毛先が少し遊んでしまうのが気に入らないのだとアキラは言うが、笑うたびに高い位置で結った髪が揺れるのは可愛らしい。


ここは橙国の城下町浅蜊(センリ)


朝早くから商いをする人々の声が溢れ、夜には酒場町としても賑わう、一日中活気の溢れる賑やかな町だ。


橙国の王家は代々、その身に炎を宿しているとされている。
額に揺らめく炎の色から国の名前が付けられたのだと言われているほどに、王家と炎の関係は古い。


今でこそ隣国との関係も落ち着きを見せており、平和な国としての認識も広まってきた橙国だが、数年前まではここも戦に明け暮れる国であり多くの民がその犠牲になった。
国境付近の村を獲っては獲り返され、また奪う。そうやって国土と国民を増やしてきた時代が、この国にもあった。


今、橙国が平和を保っていられるのは若獅子と呼ばれた国王様の強さと、王家の者の中でも王位に就く者にしか与えられていないと言われている先読みの力のお陰である。
神のお導きを聞き取れることができるのは、王家の中でも選ばれた者のみで、時期国王である大空様はこの力がとても強い。


幼き頃よりそのお導きの力を発揮してこられた大空様も、今や齢21。獅子王様が王位に就かれたのもこの年の頃である。

町の者達の間では、もう時期王位を継承なさるのではないかとも言われているが、国王もまだまだ若い。急ぎ、王位を継承しなくてはならないという訳でもない、噂話だった。


「隼人、休憩にしようか」

「なりません大空様。先程の休憩から一刻も過ぎておりません。」

「……はぁ」

「そんな顔をされても困ります。大空様には立派な王になっていただかねば…」

「何十年先の話だよ」

「大空様!」


町の者達は知らない。

本人に全くその気がないことを。


1.翼がないのは知っていた



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