フィルは困ったような顔で笑いました。私の言う大丈夫を信じていなかったのでしょう。それでも後が押していましたのでフィルは何も言わずに運転席に乗り込み、車は帰路につきました。

「オークションはどうでしたか?欲しかった商品は買えたでしょうか」
「最高のモノが買えたましたよ、私を侮ってはいけない」
「女神様は怒りませんでしたか?」
「まだ彼女をそう呼んでるんですね。悔しがっていたけれど、彼女も淑女ですから怒ったりはしませんよ」
「そうですね。女神様が怒るなんて想像も出来ません」
「そんな事はない、彼女は怒ると怖いですよ」

確かに、女神が怒ればそれはそれは迫力のあるものだろうと思いました。

「そういえば、商品は持ち帰らないのですか?」
「明日、各屋敷に届く様に計らっています」
「生きたまま届くのですか?」
「そうですよ」

フィルはそう言いながらバックミラーで私の顔色をうかがいました。気にする事はないのだと意味を込めて私は笑いました。
帰り着いてから、私達は屋敷にあるミニシアターで映画を観ました。フィルはコレクターでしたので名作映画のフィルムを沢山持っていたのです。その日はサウンドオブミュージックを観ました。私はポップコーン、フィルは股肉のジャーキーを食べながらいつものように観ました。
パーティーのシーンでマリアと大佐が踊るシーンになると、フィルは私の手を取って立ち上がり、一緒になって踊りました。私はとてもぎこちないのに、フィルと踊ると転けたりはしませんでした。

「恋は良いものです」

フィルは微笑み、私の頬にキスをしました。フィルの唇は冷たくて、踊って火照ってしまった私の頬にはひんやりと感じました。

「愛していますよ」
「私もです」

フィルはまた微笑みました。

「映画を観ていると一度きりの恋に憧れていました。しかしそう思ったのはもう何度も人を愛した後です。人間は美しい、儚く短い。柔らかく温かい。私達とは違い人を愛して終わっていく…スリムはきっと、幸せになりますよ」
「…」

私が幸せになるのを、何故きっとと言うのでしょうか。それはフィルが立ち止まり、私が前に進む姿を意味しているのでしょう。それははっきりとした別れの言葉でありました。
私がうつむくと、フィルは私の髪を撫でました。

「どうかしましたか?」
「はい…、どうして別れの言葉を言うのでしょう。教えていただけませんか」
「別れの言葉に聞こえましたか」

言葉がつまりました。

「フィルは…フィルも、死んでしまうのですか?」
「…いつかは終わりが訪れるものです」
「私を置いて行くのですか?」

私がフィルを見上げてそう尋ねると、フィルは顔色を変えました。

「おいで」

フィルは私の手を取り、ミニシアターを後にしました。いつもは私の歩測に合わせてくれるフィルでしたが、その時はそれを忘れていたようで私は小走りになりながらフィルに着いて行きました。
着いた先はフィルの書斎でした。私はあまり入った事がありません。禁止されていた事はありませんでしたが、フィルがあまり入れようとしませんでしたので、私も立ち入ろうとしなかったのです。
書斎はシンプルで先進的でした。シルバーで統一されていて、置いてある物も最新のオーディオ機器などばかりでした。そしてこの屋敷ではあまり見かけない、テレビが置いてありました。普段私が入る部屋に置いていませんので、私はほとんどテレビを見た事がありませんでした。

「こっちです」

フィルはテレビの前に私を誘い、私はフィルが用意してくれた椅子に座ってそれを見ました。“彼等”にテレビ局はありませんので、番組は人間用のものでした。

『こちらは昨日21日の様子です。大統領館前では人権主張の抗議をする市民が集まり、大統領に「バンパイアの存在を許してはいけない」と訴えています』

画面は変わり、プラカードを持った人間がインタビューを受けるシーンに変わりました。

『奴等は人間を食ってるんだぞ、いつまでそいつらを野放しにする気だ!奴等の時代は終わりだ!恐怖に煽られてこのまま生かしておいてよいはずがない!』

プラカードには「バンパイアを殺せ」と書いてありました。プラカードを手に叫ぶ人間達は恐ろしい姿でした。私が考えていた姿とは全く違いましたが、私はようやく怪物を見たのでした。

「怪物は…人だったのですか?」

私はやっとの事で、それだけをフィルに聞きました。フィルは深刻な表情を崩さず、それを否定しました。

「いいえ、怪物は時代です」

私は矛盾した怒りや悲しみのような物を感じました。あまりに不鮮明でその時自分が何故泣いているのかわからなかったのです。
生きているだけで淘汰されると言えば理不尽です。自分と同じ人類を家畜として育て食べている怪物だから淘汰されると言えば人間にとっては正しいです。それは分かるのです。
しかし私が知る限り“彼等”は善良です。とても理性的で、突然に人間を襲ったりしないのです。フィクションと同じモンスターではないのです。自給して家畜を食べるのは人間も同じではないでしょうか。理不尽でも“彼等”は人間に復讐などしないではないですか。
私は考えがそのように巡り、涙が止まりませんでした。私が悔しくても仕方がないのです、“彼等”は落ち着いて今日、最後の晩餐を買ったではないですか。

「それはきっと美しい涙ではないですね、スリム」

フィルは純粋な悲しみや喜びで流れる涙を美しい涙とよびました。その時の私の涙は混沌とした言い知れぬ感情からで確かに美しいとは言うことができませんでした。

「何故、抵抗をしないのですか…」
「…スリム、抵抗は何を意味すると思いますか?」
「…生きる事です。私と一緒に…」

フィルは微笑みました。

「違います」

フィルはテレビを消して、棚からファイルを出して来ました。新聞の切り抜きをスクラップしたファイルでした。最初の物は随分古く、最後のページはごく最近の物でした。
全て、“彼等”が人間を殺した事件のものでした。“彼等”と人間では法律が違い、例え人間が“彼等”を殺そうとして抗い反対に人間を殺してしまった場合でも正当防衛は認められないのです。“彼等”はたった一人でもあまりに強かったのです。
“彼等”が家族を殺され、その加害者である人間の過激派団体に復讐した物もありました。しかし記事は“彼等”の恐ろしさを書き立てるばかりで、最初に殺された“彼等”の一人になんの罪も無かった事はかかれておりませんでした。

「私達が生きる事ではないんですよ、スリム。人間が死ぬという事なのです。私達は共存を望んでいましたが、人間はそれを望まない。当たり前の事です。誰もが純粋であり、誰もが正義ではないんです。人間だって戦いたいわけでは無いんです。誰も戦い、誰も死にたくは無かったんですよ。そうせざるを得ないから戦っているんです。それは私達が生きる事こそ、罪だからなのではないですか?」
「そんな事はありません!ただ生きているだけで罪である事なんて決してないです!罪は犯した者だけが負うものなのです!」
「では私も罪を犯した一人です、スリム。私は殺人を犯しました」
「それはっ…しかし、人間こそ貴方達の虐殺を繰り返しています、貴方達は生きるためです」
「そうです、私達はただ生きているために罪を犯します。罪には罰を、殺人には報復を。人間が私達を殺すのは至極当たり前の事です」

それ以上、言い返す事が出来ませんでした。納得した訳ではありませんでしたが、私ではなくフィルが納得しておりましたから反論に意味は無かったのです。フィルは怪物達の虐殺を甘んじて受けるつもりだったのです。フィルだけではなく、この町全体がそうでした。
しかし本当に全員がそうなのか疑問でした。反旗を翻す者がいないとは思わなかったのです。私は密かに決意しました。反旗を翻す者を私は探し、私も共に戦おうと決めたのです。

「…いつですか」
「何がですか」
「フィルが死ぬのはいつですか」

その時の私はとても歪んだ顔をしていたのでしょう。フィルは私を心を読めるように深く理解しておりましたので、意図も容易く私の思惑は知られてしまいました。

「スリム、私の為に戦おうとするのはお止めなさい」
「嫌です」
「いけません、私はそれを許しませんよ」

そう言われましても、私の決意は変わりませんでした。それほど強く決意していました。
しかし、フィルは余りにも理不尽な話を始めました。

「私が何故、オークションの予定を早めたか、わかりませんか?何故、全ての商品が明日届けられるように計らったと思いますか?」

落ち着き払ったフィルのその言葉に、私は戦慄しました。暴れだしてしまいそうなほど内側が絶叫しておりましたのに、体は一ミリたりとも動きませんでした。
フィルは次の日、死ぬつもりだとわかったのです。
それでは時間が足りません。全くないのです。この町の人は、フィルが言った通り誰もが受け入れているだろうと思いました。年齢が二桁の方などいませんでしたし、長い年月をかけた“彼等”は皆同じように怪物の存在を理解していたはずです。反乱者は一番近くの“彼等”の町にしかいなかったでしょう。しかし、近くの町に行くまでに時間がかかり過ぎるのです。つまり、私一人では何も出来ず、フィルは次の日に死ぬのです。

「どうして…その様に酷い事をなさるのです…」
「スリム、わかって下さい。それはスリムが髪を切るのと同じような物なのです、とても自然な事です」

わかりませんでした。とても理解出来ませんでした。受け入れる事も出来ませんでした。

「じきにこの町は怪物に一掃されるでしょう。もう何日も残っていません。私は怪物に殺されるよりも、自らこの生涯を閉じたいんです」

私は立ち上がり、フィルに抱き寄りました。私の最後の家族が死ぬのです。これ以上酷く悲しい事はありませんでした。
私は一晩中フィルに引っ付き、声を聞き、匂いを嗅ぎました。そうして私はフィルの隣で眠りました。




死人の吸い止し



written by ois







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