フィルを思い返すと最初に浮かぶのは煙を吐く唇です。その次に綺麗な白い指。その後に赤い紙で包まれた煙草を思い浮かべるのです。それというのもフィルを魅力的だと思う時、彼が必ず煙草を吸っていたからです。

私はスリムと言います。私が生まれた時にフィルがそう呼んだからだそうです。私は病院でなくフィルの家で生まれたのです。彼は私の誕生を喜びました。そして私は生まれてから一度もこの家以外で寝た事はありません。
同じように生涯をこの家で過ごした母は淑やかでしたが、燃えるような情熱でフィルを愛していました。私をベッドに寝かし付ける時に母はぽつりぽつりと、彼にその腕を、足を、心臓を、食べて欲しいのだと幼い私に泣いて聞かせていましたから、よく覚えているのです。その為私は小さい頃から人を心から愛したら自分の身体を食べて欲しいと望むのだと、そう思っておりました。モリス家で育った私には自然な事だったのです。
今は亡き母はフィルを生涯愛しましたが、フィルは私の父ではありません。フィルは私の所有主でありました。フィルは私の家族を代々所有して来た人なのです。
私は父を知りませんが、フィルが私を娘の様に愛してくれましたので、会いたいと望んだ事はありません。起き抜けの挨拶や眠る前の挨拶を欠かさず交わしてくれ、フィルの仕事の合間に美術展などに連れ出してくれました。
ところでフィルの食事は私とは違います。彼は私と同じ物は食べられないのです。それはフィルだけではありません。モリス家のあるこの町は“彼等”の住む地区でも、最も由緒正しい歴史ある町でしたので、この町に住む方にとっては、野菜や鶏を食べる私の方が異端だったのです。国全体で見てもこの町は神聖な地として、または危険であるとされ、外部からは敬遠され干渉されませんでした。
フィルの食物は、町の外れにある生産工場で育成されて出荷されておりました。真夜中を過ぎる頃、商品を乗せたトラックが町中に配達され、フィルの食卓にも並ぶのでした。町中の人の毎日の食卓に並ぶ程の数を生産しなくてはならなかったので、工場はとても大きく、町の人半分近くはその工場に関わるお仕事をしていました。フィルもその1人でした。
フィルは国内にある五つの生産工場を経営しておりました。フィルはその為大変裕福でした。ですので私は娘のような存在として、とても豪華な生活を送らさせていただきました。今でもその事に、大変感謝しています。
このように、フィルの食生活やプライベートをとても良く理解しておりましたのに、私は彼の食事をほとんど見たことがありません。フィルがそうさせたのです。

「スリムにとっては美しい食卓では無いのですよ、下がりなさい」

一度、それを見たいと申し出た時にフィルはそう言いました。私は幼かったのでその意味がよくわかっていませんでしたが、意味を理解した今でも、それが美しくないから見てはいけないと言ったフィルの意思はわかりません。
フィルが私と同じような人間を食べる事はちゃんと知っていたのですから。



その日は、とても悲しい夜でした。ポールが死んだと聞いたからです。ポールはモリス家に家族として住んでいた三人の中の一人です。彼もまたフィルのように妖艶で美しかったですし、家に居る事が多かったので私とよく遊んでくれました。ポールが好きでした。
毎夜フィルが起き出す陽が沈んだ頃が、私にも起床時間でした。ずいぶん長い間太陽を見ていないように思います。フィルは窓の無い部屋で寝ていましたが、私は大きな窓の付いている部屋で寝ておりました。しかしカーテンを開けたのはいつが最後やらわかりません。
電話の音で目が覚め、誰も取らなかったので三つも隣の部屋に走り私が取ったのです。町の外からの電話で、相手の緊張から人間の方だとわかりました。“彼等”の家にかけているのですから、もちろん私を“彼等”だと思っているようでした。その誤解を伝えるべきか舜循していると、ふいに目の前にフィルが立っておりました。“彼等”は静かに近寄るのが上手すぎるのです。少しびっくりしながらも受話器をフィルに渡すと、相手と二三話してからフィルはそれを置きました。

「ポールが死んでしまったそうです。…残るは、私とスリム、あなただけですね」

フィルはそう無表情に言いました。とても辛い表情で、とても見ていられませんでした。そうなのです、賑やかに何人もの人が住んで働いていたこの広い屋敷も、その時には私と彼だけだったのです。
その頃、謎の事件が多発しておりまして、使用人の方はお家に帰ってしまい、残る家族は一人また一人と事件に巻き込まれて死んでしまったのです。と言ってもポールで二人目でしたが。
事件というのは噂によると陽が照っている間にのみ出る怪物がこの街を襲っているというのです。遺体は無惨にも切り裂かれるか、または霧散してしまったそうです。
人間の方は“彼等”には敵いませんが、“彼等”は太陽に敵いません。“彼等”は陽が射すその地に出てしまうと砂になってしまうのです。私は見た事はありませんでしたが、フィルはそう言っておりました。なのでこの町の警察の方達も太刀打ちが出来ず、昼間に危険の多い町の外に出る人もめっきり減っていたのです。
しかしポールは怖れを知らない人でした。なのでフィルの欲しがっていた絵画を買いに町を出たのです。人間の住む町では“彼等”は崇められ、または畏れられ、または虐げられました。人間には色々な人がいますが、見分けがつかないのです。
ポールは遠く離れた隣町で見付かったそうです。砂になっていなかったのでポールだとわかったそうですが、どのように死んだのかフィルは教えてくれませんでした。とても酷い死に様だったのでしょう。

「愛しきポール=モル、彼が安らかであらん事を」

死亡の報告する義務は町間でもありましたが遺体の受け渡しは拒絶されておりましたので、私とフィルはポールの肖像画で小さな葬式をしました。
肖像画を一本の桜の木に立て掛けたフィルは、私の隣まで下がって私に別れをするように言いました。
私は肖像画に寄り、指先をペーパーナイフで切り、流れ出たそれをポールの肖像画の唇に塗りました。ポールもフィルと同じに、私の血液を欲しておりましたが、私はフィルの物でしたのでポールは私をつまみ食いしてはなりませんでした。しかし、一度だけ私はポールに食べられた事があります。フィルには内緒でした。言ってしまうと家族喧嘩をしてしまいそうだったからです。それはそれは怖い喧嘩なのです。フィルは私を誰にも食べさせようとしなかったので、ポールもそれをわかって我慢をしていたのだと思います。
しかし葬式でしたのでフィルも許してくれ、彼への餞のつもりでした。フィルの方はポールの肖像画にお酒をかけ、後ろの木にもかかるように投げました。そして私から数歩離れてから煙草に火を点け、その煙を一口だけ飲んでから指で弾くように肖像画に投げました。すぐ後ろの屋敷の窓から注ぐ光を背中に受けたフィルは、真っ暗な喪服の装いを夜の闇に溶かし、ブロンドの髪と真っ赤な目だけを光らせておりました。見えない口から吐かれる煙は少しだけピンク色を纏っており、霧散して消える様は桜の花びらのようでした。弾かれたタバコはくるくると周り、肖像画に綺麗に着地し、桜の木もろとも一気に燃え上がりました。
私は視界が揺らぎました。楽しい私のポールはもう帰って来ない、その事よりもフィルの美しさに感動を覚えたのです。
炎の波がじわじわとポールの輪郭を焦がして行きます。写真に写らない“彼等”でしたので肖像画が唯一の容姿の記録でした。その時私はふと、ポールの肖像画が他にはないのではと不安になりました。それならば、これがポールを見れる最後なのではと。そうして私は悲しみに飲まれ、ついに涙をこぼしたのでした。
フィルは煙を手で払い、泣いている私に近付き、私の涙を指で掬って舐めました。それから私の切れた指を舐め、手当てをしましょう、と家の中まで抱き抱えて連れて行ってくれました。フィルからはいつも仄かに煙草の匂いがしていましたが、その時はポールの肖像画の燃える匂いと混ざりました。これがポールの死の匂いだったのです。
私は匂いを嗅ぐのが好きでした。匂いの記憶がとても良かったと、自分でそう思っております。
フィルは何種類もの煙草を気分によって変えておりましたが、私はそれを見ずとも遠くで少しだけ漂うその匂いで銘柄を当てる事が出来ました。
私は一度でもいいから、その魅惑的な煙を吸ってみたかったですが、フィルにきつくそれはいけないと教えられていました。

「私は身体が丈夫です、丈夫過ぎて人間と同じ煙草を吸っても空気と変わりません。私達の煙草はスリム、あなたには毒ガスと同じですよ」

少量なら問題ないですが、直接大きく吸ってしまうと、私は一日ともたず死んでしまうそうです。むしろ一日かかって死んでしまうことが私には恐ろしかったので、黙って言い付けを守りました。
つまりフィルが煙草を吸う時は、いつも煙の届かないところから見ていました。ですからより一層、憧れていたのです。近く手に入りがたい物こそ、人の憧れでありましょう。

その日ポールの葬式を終えて、私達の一日は始まりました。私が自分で整えた夕食を食べている間、フィルは対面に座り私を見ておりました。そして唐突に提案したのです。

「スリム、出掛けましょう」

フィルの誘うお出掛けは大好きです。しかし私は噂が怖かったのです。

「ですが…怪物がおりませんか?」
「あれは昼間だけですよ、それにスリムは安全です。怪物はスリムを襲いませんよ」

微笑みながらフィルの言ったその意味が、今ではよくわかります。フィルはずっと、気付いていたのです。だから、あの日私と最後のオークションに出掛けたのです。




死人の吸い止し



written by ois







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