キャンディは帰宅すると自室に直行し、決して降りて来なかった。

レインとキャンディは学校に所属はしていたが幼稚園の頃から英才教育を受け同級生とは違う随分進んだ事を勉強していたし、音楽活動で多忙な為ほとんど行った事がなかった。
エドウィンは友達が出来ないのではと心配していたが、音楽活動で知り合う人とは仲良くなっていたし、そもそも二人はレネーに似てあまり群れるのを好まなかった。それにレインにはキャンディが、キャンディにはレインがいた為に寂しい思いをする事は少なかった。

レインは家庭教師に出された課題をいつも自分の部屋で済ませていたが、レネーを心配してリビングでする事にした。今日の課題は読書と少量の数学だった。
他愛のない会話をしているとレネーは急にリビングに置いてあるグランドピアノに歩いた。蓋を開けて指ならしにポロロンと鍵盤を叩くとなめらかに指を滑らせて何かの曲の伴奏を弾き始めた。

「レニーは歌って」

エドウィンの書いた“sweet”だった。エドウィンが付き合い始めたばかりのレネーに書いた曲で、レネーの一番お気に入りの曲だった。レインは生まれた頃から聴いているその曲を、いつも口癖の様に歌っていた。キャンディも新しい楽器を練習する時に必ずこの曲を使っていた。エドウィンにギターを渡し、何か歌ってとせがむと決まってこの曲を歌っていた。
ジャッド家はこの曲をとても好きだった。
レインは本を置いてピアノの横に立って、レネーにだけ聴こえるように静かに歌った。同族に対してはほとんど効き目はないが、歌にレネーが感動するような音族の能力を混ぜた。レネーは表情を変える事なく涙を溢した。レインはその理由をわかっていた。

キャンディは昔から癇癪を持っていたわけではなかった。何か切っ掛けがあったわけでもなく、10歳にして色々な事を学び自分の哀れさをじわじわと学んだ結果だった。
最近ではキャンディが笑う事の方が少なく、作る曲もどんどん暗さを増していき、何かが崩れ始めていた。ギターとエドウィンを囲み一緒にココアを飲みながら眠ってしまう暖かいジャッド家はもう既に無くなっていた。
レネーは感情を一定に保つのが苦手で、エドウィンとレインは守る事と元に戻す事に必死だった。
レインは歌いながら泣いているレネーを見つめ、何かしなければと思った。

キャンディの部屋にハーブティを持って入るとキャンディはベッドに突っ伏していた。夕陽のオレンジ色の光が窓から入りキャンディの背中に窓の影を描いていた。キャンディが自分の部屋で楽器を手にしていない姿は久し振りのような気がしてレインは気持ちがざわめいた。ベッドの横にはハープが立っていたが弦が三本切れていた。

「…キャンディ、寝てるの…?」
「…」
「ハーブティ持って来た…ここに置いておくね」

レインはベッド横のランプスタンドが置いてある小さなテーブルにマグカップを置いた。その音を聞いてキャンディは枕から少し顔を出してレインを見た。

「…起きてたんだ」
「ねえ毎日何の用?どうしてわざわざ私の部屋に来るの」
「…キャンディは来ないから」
「…」

キャンディはベッドに座り、マグカップを取って息を吹き掛けた。

「お兄ちゃんは優しいよね」
「そん…」
「お兄ちゃんは賢くて優しくて人気者で何をやっても上手、このハーブティもお兄ちゃんがいれたんでしょ?おいしいもんね」
「…何が言いたいの」
「それに、綺麗」

レインは返事をしなかった。キャンディはレインを見なかった。
突然キャンディは持っていたマグカップを手放して落とした。マグカップは割れなかったが熱いハーブティは周りにあったものに大量にかかった。レインはすぐにキャンディに駆け寄って足にかかってないかと心配した。

「大丈夫?キャンディかかってない?」
「同じ人から生まれたのに…同じ両親から生まれたのに」

その時ようやくキャンディと目があった。無表情にキャンディはレインを見下ろしていた。レインが悲痛の表情を浮かべるとキャンディは目を細めて嫌悪した。
キャンディは突然立ち上がり、服を脱ぎ始めた。黒のワンピースを脱いでキャミソールを脱ぐと、左に垂らしていた髪を耳にかけた。痣の全てが見えた。

「見てよこれ!同じ両親から生まれたのに、どうして、どうしてお兄ちゃんだけ綺麗なの!」
「キャンディは綺麗だよ…」
「嘘ばっかり」

キャンディは泣き出した。抱きしめたら拒まれそうでレインは両手を握りしめたまま立ち上がりキャンディに向き合った。

「同情してるんでしょ!この顔を見て…。だからそんなに過保護に優しくするんでしょ、腫れ物みたいに扱うんでしょ…!」
「違うよ、俺はキャンディが好きだから大切に…」
「大嫌い、私は大嫌いよ!!」

キャンディはもうレインを見ていなかった。自分が崩れないように両腕を抱き締めて泣き叫んでいた。キャンディは無意識にその声に攻撃力を与え、周りにある物がどんどん壊れていった。窓ガラスにひびが入り、マグカップは割れた。枕は裂けてピアノの弦は切れた。
レインは駆け寄る事も忘れ、今のキャンディの台詞を頭で反芻させていた。ずっとそんな気はしていたが直接嫌いだと言われた事は無かった。レインは泣く事も忘れて茫然と立ち尽くしていた。キャンディの声はレインの肌にも傷を付けた。

「出て行ってっ…!出て行って!!誰も…部屋に入って来ないで…!誰も私をミナイデ!」

泣き叫んぶ声にようやくレインはハッとして部屋を出た。ドアの外にはレネーがいた。心配で泣いていて中を伺おうとしたがレインは首を振った。今はまだ入らない方がいい。

「少し…落ち着いてからの方がいいと思う」
「…ど、どうしたの?何があったの?どうしてあんな風に泣いているの?」
「…言えない」

レインはレネーの肩を抱いてリビングに降りた。こんな時にエドウィンは居らず、家族は今耐えられそうも無かった。
レネーはソファーに丸くなって座り、泣いていた。レネーは元々病的に細かったが、更に小さくなっている気がした。レインがコーヒーをいれて持って行っても顔を上げなかった。レインが横に座り肩を抱くとようやく声を出した。

「私が…いけないの…」
「どうしてそうなるのレネー、キャンディを醜く生んだとでも思ってるの?」
「…」
「素晴らしい子を生ん…」
「思ってるわ、私思ってる、あの子は醜いわ。私の、大切な子。私が醜く生んでしまった。愛しい子、なのに醜い子に生んでしまった」

レネーは泣き止んでいた。目を見開き何もない宙を見つめて蚊の鳴く声で言った。
レインはレネーの肩に置いていた手を自分の膝におろした。レインの手には負えない程の痛みがレネーを侵食していた。
レネーを寝室に連れていき、ようやく日が暮れたばかりの時間だが寝るように促した。手を握り頭を撫でているとレネーは疲れていたのかすぐに寝てしまった。
レインも自分の部屋に戻ろうとキャンディの部屋の前を通った。立ち止まって耳をそばだててみると水の音がした。キャンディの部屋にはバスルームがついているので風呂に入っているのだろう。泣いていないのでレインは少し安心したが、まだ面と向かって話をする勇気は無かった。

“大嫌いよ!”

レインは頭を押さえて自分のベッドに直行した。倒れ込むとようやくその時に自分の頬や手が切れている事に気付いた。指でなぞるとかさぶたになったざらざらの血の感触だった。小さな電流が起きているような痛みが走った。
レインは目を閉じると溶けるように眠りに落ちた。夢は見なかった。

目が覚めた時、家中にベルの音が響いていた。電話の音だったが誰かが出る気配は無かった。電話は玄関にあり、一階にあるレネーの寝室が一番近いはずだがレネーが出る気配は無かった。レインはベッドから起きて時計を確認した。ちょうど深夜12時だった。
階段を早足で降りて電話を取ると相手はエドウィンだった。

『レイン、元気にしてたか』
「…うん」
『どうした、元気そうには聞こえないが。もしかして寝てたか?』
「そう…どうしたのこんな時間に」
『いや、うちの様子が気になったんだ。ライヴが終わって飲んでたら胸騒ぎがして…元気ならいいんだ。レネーは寝てるのか?』
「うん、二人とも多分寝てる…」

「起きてるわ…その電話、エディ?」

振り返るとレネーが暗い表情で後ろに立っていた。羽織っているガウンを握り締める手が弱々しく震えていた。
頷いて受話器を渡すとレネーはエドウィンと話し始めた。レインの手に負いきれないレネーの傷をエドウィンなら癒せる気がした。レインはそこから離れ、階段に座った。寝すぎてしまいもうベッドに行く気はしなかった。レインは溜め息を吐いて階段の手すりに体重を預けた。
目を閉じると二階から水音が微かに聞こえてきた。ハッとして上を見上げるとそれはキャンディの部屋から聞こえているようだった。最後にキャンディの部屋の前を通った時に聞こえた水音がまだ聞こえている。レインは不審に思った。あれからもう五時間は経っていた。
階段をかけ上がり、レインはキャンディの部屋の前に立った。いつもはそのまま開けるドアをノックをしてみた。誰も部屋に入って来ないでと言ったキャンディの声が頭に響いた。

「キャンディ、ねえ聞こえる?」

返事は無かった。聞こえるのはレネーの話し声と水音だけでレインは不安を募らせた。ドアを開けて中に入ると電気はついていない惨劇の部屋がしんとしていた。バスルームのドアは開いており、電気が点いているバスルームのタイルが白く光って見えていた。
レインの不安は一気に上昇し、心拍数を増した。レインは息を乱しながらバスルームに駆け込んだ。
お湯を張ったユニットバスに浸かっているキャンディの後頭部が見えた。流しっぱなしのシャワーが水面を打ち、無数の波が出来たり消えたりしている。
水の色は真っ赤だった。レインは耳鳴りに襲われ、立っている感覚がしなかった。よろよろと近寄ると血の匂いが鼻をついた。

「…キャンディ」

キャンディは返事をしなかった。レインはびしょ濡れにながら湯船からキャンディを抱き上げた。お湯に浸かっていたのでまだ温かかったが、真っ青の全身がキャンディの体温はもうないと示していた。手首は割れているように切れていた。

キャンディは死んでいた。


レインの過去



written by ois







「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -