「梨本さん、あの、梨本さんを探しているお客様がいらっしゃっています」

店内の裏の事務所で在庫整理をしていた千尋をアルバイトの女の子が呼びに来て、千尋は誰だろうと驚きながらも女の子に付いて行った。今まで誰も千尋を尋ねて来たりしなかったのだ。
千尋は丁度持って行かなくてはいけない本が数冊あったので、カートも使わず腕に抱えて店内に出た。会いに来た誰かの用事をさっさと済ませて、仕事に戻ろうと思っていた。
しかし店内に出た瞬間、尋ねて来た人に予測がたった。そういえば、一人いる。気付いた時には遅かった。本棚の角を曲がった瞬間、訪ねて来た千秋に思い切り対面してしまっていた。
千秋はシルバーの軽いアルミの杖をいつもの様に持っていて、いつもの様にグラデーションのかかったレンズのフレームがないサングラスをかけていた。いつもの様にお洒落で格好良かった千秋だが、いつもの様に微笑んではいなかった。
千尋は千秋を目の前にして急停止してしまい、その衝撃で持っていた本の上数冊が床に落ちた。急いでそれを拾おうとしゃがむと、持っていた残りの本までバラバラと床に散らばった。
他にもお客はいるし、アルバイトの女の子も見ているし、何より千秋の前で明らかに動揺している自分が情けなく、更にへまばかりやってしまい、人の注目を集めていると思うと恥ずかしくて、色々な物がぐちゃぐちゃになって千尋の視界は涙に揺れた。

「梨本さん、大丈夫ですか」

アルバイトの女の子はすかさずしゃがんで、拾うのを手伝おうとしてくれたが、逆に拾おうとせずに震えている千尋の手に気付いて千尋を見た。
アルバイトの女の子はその千尋の顔が、あまりに悲痛な表情を浮かべていたので驚いた。千尋は見られている事を気にして顔を背けた。
女の子はとりあえず本を拾い、抱えて立ち上がった。

「あの、梨本さん。事務所でお話しされてはどうですか」
「ナシモトさんってもしかして、ちひろの事…?ちひろ、そこにいる?」

きょとん顔をしていた千秋は急に、知らなかった千尋の苗字に気付き、声を出した。千尋は久しぶりに千秋に呼ばれた自分の名前に、息が詰まりかけた。
千尋はポケットからメモを取り出して、アルバイトの子に"ごめんね、その本をお願い"、と書いて見せた。女の子はわかりましたと頷いた。
千尋がメモをポケット仕舞って、千秋に向き直ると、千秋は左手の平を上に向けて差し出していた。女の子はそれを不思議そうに見ていた。

“ちあきさん”
「久しぶり、ちひろ」

千秋は微笑んだ。
立てていた指から憶測を立てて、千秋は千尋の手首を掴んだ。その力がなんとなく強かったのは、もう逃がすまいとしている意思を表しているようだった。

「話しをしよう、連れて行ってくれないか」

女の子は二人の会話術を見て感心していたが、千秋が手首を掴んで微笑んだ瞬間から、何故か微笑みを噛み殺したような顔をしてその場から立ち去った。
千尋は腕を掴ませたまま、Uターンして今来た道を戻った。ドアを開けて事務所に入り、千秋を招き入れた後にそのスチールのドアを閉めた。

「今、ここにはちひろと俺だけ?」

千尋はドアを二回ノックして、その質問に肯定した。そんな事より、今からどうやって話をすればよいのかと不安に思っていた。
しかし千尋の肯定を聞いた千秋が突然掴んでいた腕を引き寄せて千尋を抱き締めたので、全てが吹き飛んでしまった。千秋は持っていた杖を放り投げる勢いで捨て、これでもかと強く千尋を抱き締めた。
千尋は色々な意味で動悸が止められ無かった。まず千秋に抱き締められている事、ここが職場である事、そしてこんなに密着したら自分の体型から性別がバレる事だ。
骨張っていて、柔らかくなく、当たるはずの胸がなければ、千秋は嫌でも気付くだろう。そして、気付いたはずだ。
なのに千秋は千尋を離さなかった。それどころか、腕を掴んでいた手も千尋の背中に回して更に強く抱き締めた。

「ちひろの言う嘘が、本当は俺を好きではないという事なら、今すぐ俺を殴ってくれても構わない。でも本当に俺が好きなら、他の事は全て考えないで、応えてくれないか、ちひろ」

千秋は千尋の耳元で真剣に言い、そのまま千尋を抱き締め続けた。
千尋は混乱していた。千秋は温かく、気持ちがいい。離れたくなんか無かった。それに何で男だと気付いても、自分を離さないんだろうと千尋は疑問に思うほどだった。好きだという事以外、全てを考えずに応えるなら一つだった。
千尋はゆっくり両腕を持ち上げ、シャツの上から千秋の肩甲骨や背筋を手のひらに捉えて、抱き締め返した。千秋は、温かい。
抱き締め返されたとたん、千秋は千尋を離した。千尋は一瞬、大いに不安になったが、千秋の満面の笑みを見て、つられて微笑んだ。

「こんなシチュエーションじゃあ、興奮してしまうよ。襲ってしまう前に聞いておこうかな、ちひろの秘密」

千尋は千秋の発言に心臓が飛び出るかと思った。何て事を言うんだろう、本当に自分を男とわかって言っているんだろうか。もしかしたらすごく胸の小さい子だと認識したのかもしれない。
まだ千秋が自分を女だと思っている可能性を理解していたけど、千尋は差し出された手のひらに告白を書いた。

“わたしはおとこです”
「俺が聞いているのは千尋の秘密だよ、まだ言えないのかい?」

千尋はクスクス笑って、千尋の告白を本気で今更何を言っているんだという千秋に、放心せざるをえなかった。一世一代の大カミングアウトのつもりだった告白は、クスクス笑いで流されてしまった。

“いまのが、ひみつでした”

そう書いた途端、千秋は一瞬きょとんとして、次の瞬間には大笑いしだした。そんな風に無邪気に笑う千秋を見るのは初めてだった。その大きな口と、心地いい笑い声に千尋は溶けてしまいそうになった。

「そんなの、最初に杖を拾ってもらって、立たせてもらった時から知っていたよ」

千尋は最初に千秋と出会った時に、自分が体を密着させて立たせる手伝いをした事に気付いた。あの時からずっと気付いていたなんて、自分の悩みが大馬鹿と思い知った。

「とても無駄な二週間だったね」

やっと笑い終えた千秋は、最後にそう言った。
千秋は前と同じように輪郭を指でなぞり、千尋の口を指で探り当ててからそこにキスをした。
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肌会話



BLでごめんなさい、苦情は全力で受け付けます。謝罪は今ここでします、ごめんなさい。
手のひらに書く文字と声で会話させたかっただけの話が、思い切りラブストーリーに全力疾走してしまいました。
友達に手のひらに文字を書いてもらって会話したら案外難しかったです。でも好きな設定です。
これは千尋サイドなので、千秋サイドも一応書くつもりです。書くのではなく、書くつもりです。
千尋と千秋という名前の男を書きたかった。あと千聖でチサトという名前の男を書きたいけど、友達の名前なので使い渋っています。
written by ois







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