学校での残業は寂しい上に少し怖い。聞こえるのは他の先生のキーボードを打つ音とエアコンの唸りだけ。今職員室に居るのは国語の平片先生だけ。新入の自分とはほとんど知り合いでもなく会話も数えるほどしかしていないから、寂しさを紛らすには役に立たない。淡々としたキーボードの音は気を散らしてしょうがない。
仕事があまりに進まないから、息抜きをする為にお茶の入ったペットボトルを持って外に出た。空を見ると月が真上にあって、明るかった。
「満月」
喉の乾きを潤す為にお茶を一口飲んだ。立ったままで月を見ていると、水音が聞こえてきた。マンホールも近くに無いのにどこから聞こえて来るのかと心臓が速くなった。すぐにそれがプールからだとわかると、生徒が忍びこんだのかもしれないとプールへ歩いた。
プールへ着くとやはり生徒だった。ブレザーが見学用の椅子にかけてあり、それがうちの学校の物だった。何と言って叱ろうかとプールのふちに寄ると、生徒が水面から顔を出した。見覚えがあった。自分が初めて持った今のクラスの優秀生だった。
「鳥山くん…?なにしてるの」
「泳いでる」
思えばそれはおかしな話だった。鳥山は確かプールの消毒液がだめで、今日は日陰で静かに座っていた。診断書も持っていたのに。
「塩素が駄目だから今日の授業、見学してたんじゃないの?」
「そうだね」
「夜になったら塩素が消える訳じゃないよ?」
「知ってる」
鳥山は整った顔をしていて、ハーフ丸出しで色の薄い髪と目をしていた。水の滴る前髪を後ろにかきあげて、下を向いたまま気のない返事をした。
「本当は何で見学なの?」
「…」
鳥山は答えなかった。
その代わりに、独り事を言った。
「…俺はじゃあさ、月を愛せばいいんだよね」
意味はわからないが、その言葉がひどく綺麗に聞こえて声が出なくなった。鳥山はそのまま黙り手で水を跳ねさせて遊んだ。
「とにかくプールから上がりなさい」
やっと出た声で、できるだけ教師らしく厳しく言った。鳥山はじっと私を見ると、素直にプールから出てきた。プールサイドを静かに歩いて私の前まで来た。
「内緒にしてくれる?」
鳥山はにっこりと笑いながら言った。当然だめであることを伝えると、再び黙った。すぐに何か思い付いた顔をしてにっこり笑った。
「じゃ、共犯になって」
「え…?」
かわす間もなく腕を掴まれるとプールに飛び込む鳥山と一緒に潜る事になった。
慌てて顔を水面から出すと楽しそうに笑う鳥山がいた。笑う姿が妖艶を放つように綺麗で何の反論もできなかった。
満月よりも綺麗に光る鳥山の目は一生忘れられない気がした。
妖艶とはまさに
written by ois