本音は何色-A




6日目の朝が来た。


むくりと布団から這い出て洗面所に行って顔を洗う。鏡に映る自分を見て腫れてしまった瞼をとても情けなく思う。


ああ、そうだ。昨夜はモヤモヤしたまま眠ってしまったんだった。あまり寝付けなかったから早起きしてしまったけれど、何も解決していない。


今日こそは、今日こそは絶対に連絡取らなくては!そう意気込んで朝食の目玉焼きトーストをかじってふと気がついたのは、連絡が取れないのなら会いにいけばいいのだということ。私たち同じ大学じゃあないか。どうして今まで気がつかなかったのだろう。


そうと決まれば学校へダッシュだ。本当は3限からだから午後からだというのに1限も始まらないような早朝に学校に着いた自分に驚く。人間頑張れば何でもできるんだな。


というかこんなに早く一成くんだって居るわけないのに、何してんだろ。それにもし居たとして一体何から話したらよいのだろうか。


やっぱり“ピコ!“でいいかな?そうブツブツ考えながらも日本画専攻の人がよく使用する教室まで来てしまった。


ドアの前に立ってガラス越しに中を覗いてみると


居た。


本当に居た。一成くんだ。


一番窓側の真ん中あたりのスペースを陣取って黙々と何か作品を描いている。


やっとこ朝日がさしてくるようなこんなに時間に早くから来て頑張っているんだ。


真剣に、真剣に描いている様子が凄く伝わる。


本当は不安な気持ちをぶつけたくて会いに来たというのに、一所懸命に取り組む彼の姿を見て既に目的を忘れてしまった私は吸い込まれるようにするりと教室へ足を踏み入れた。


真剣な彼の後姿を眺めてどのくらい経っただろう。ひとまず休憩なのだろうか。一成くんが筆を置き、ううーんと伸びをした。


「ふああっと。ってうわあ!」


緊張の糸が切れて人の気配に気づいたのだろう。一成くんがびっくっりした瞳でパチパチと私を見る。


「お、おはよう、一成くん、」
「ええっ。名前ちゃん?なに?いつからいたの?ドッキリってやつ〜?うっわあ、マジ心臓爆発モノ」
「突然ごめんね」
「びびっちゃうよ!たった今、名前ちゃんに連絡しようと思ったところで名前ちゃんが後ろにいるなんてさ、オレ疲れてんのかな。ふあぁ、やばねむ」


急な私の登場に驚いた様子の一成くん、でも今私に連絡しようとしたって言わなかった?どういうことなのかな、今まではできなかったってこと?


「そうだ!本当に名前ちゃんグッタイミーン!、ほらみてみてじゃじゃーん!」


そうおもむろに一成くんが見せてくれたのは、今しがた製作していた作品。


美しい。


その一言に尽きると思う。


キャンバスの中には美しい花々が描かれていた。日本画は墨の一筆書きが基本だ。だから一筆ごとが勝負だし難しい。でも一成くんの作品はそんな中に大胆で抽象的なところもきちんと表現されていて、それに色のつけ方はとても細かい。きっと自分好みの色を練って作ったんだ、これ。


「ええ〜、名前ちゃんノーリアクション?オレ、結構頑張っちゃったんだよん」


ぽーっとみているだけの私が気に入らなかったのだろう、少しむくれた様子の一成くんがかわいいなと思えた。


「ごめん、言葉が出てこなかったの。とっても素敵で」
「ヤッタ!名前ちゃんからの素敵いただいちゃった!カズナリミヨシ、名前ちゃんのお褒めの言葉で朝からテンアゲなう!」


でもそもそも何でこんな大作をこの時期に作成しているのだろう、そう思ったのだけれど、答えはすぐにわかった。何でも大学の講師の方より直々に来週開く予定の展覧会で展示をしてみないかという話を受けたからなのだそうだ。


とても急な話だったけれど、成長に繋がるからと後押しを受けて承諾をしたとのこと。と、ここで思い出されるのがインステに載っていた先生とみられる人…きっとあの人がその講師の方だったんだね。


少しずつ、解かれていく真実。


でも、私にはまだ一つ知りたいことがあるんだ、今度こそきちんと言わなくては。



「一成くん、ずっとこの絵の制作をしてたんだね」
「ポンピーン!名前ちゃん大正解!」
「それはわかったよ。じゃあ、なんで昨日は電話に出てくれなかったの?私、心配してたんだよ…」


ずっとずっと引っかかっていたこの間の電話のことを勢いに任せて言ってみた。すると、一成くんはしばらく考えて「あっ!」と何か思い出したようだった。


「オレ、ずっとこの作品作るのに集中しちゃっててさー」
「ほら、この間名前ちゃんが電話くれたときはちょっと自分の思うようにいかなかった時なんだよね、」
「だからいつもと違うみっともないオレみせたりなんかしたら名前ちゃんびっくりしちゃうかもって…だからむっくんに代わりに出てもらったりしたんだけど、」
「でもまあ、こうやって見事完成しましたー!イエーイ!なまえちゃんには一番に見て欲しかったんだ! ルムメのむっくんにはちょこっと見られちゃったけどね」


ふにゃり、
肩の力が抜けるとはまさにこのことを言うのだろう。今まで張り詰めて考えていたことが嘘のように溶けて身体から消えていく。


一成くんは一番大変なときにも私のことを考えてくれて、その判断からのむっくんが出た電話だったんだ。


ちっとも気がつかなかったよ、一成くんの優しさに。


あったかい優しさと気配りを受けて目の前がじわっと滲む。


口までつたう水分は嫌じゃない、今度はね、あったかいよ。


「よっしゃ、テンテン、ゆっき〜、すみ〜にも写メ送ってみーせよっと。ここのところ稽古もろくに出られなかったから夏組の皆に迷惑かけてマジヤバたんなんだった...」
「って!!?名前ちゃん?どしたの?」
「ご、ごめん。ひっくひっく。でもなんか涙でてきちゃって」
「えええ?大変!ティッシュティッシュ!」
「ふうう、もうごめん...私が悪かったの。結局のところ思われていたのは私のほうだった」
「一成くんはさ、もっと私を頼っていいんだよ!」
「そんな気の遣い方されるのが恋人じゃないでしょう?でも嬉しいありがとううああーん支離滅裂なんだけど、かっこ悪いね私、本当にごめん」


私が泣き続ける間、一成くんはずっと傍にいてくれた。もはや何を言っているか自分では分からないくらいにぐちゃぐちゃと泣いてしまったけれど伝わっただろうか。


私はもっと一成くんと恋人としてお互いに頼って頼られて、そして一緒にいると素で居られるような関係になりたいんだ。


やっとこさ、ひくつく涙もおさまり落ち着きを取り戻してきた頃、ぽつち、ぽつりと一成くんが言葉をくれた。


「まさか名前ちゃんがこんなふうに色々考えてたなんて思ってもみなかった。でもオレとしてはさ、名前ちゃんのことがさらに知れたから嬉しいカ、ナ、」
「ごめんね、ほんと。もう大丈夫だから……それに傍に居てくれて…あ、ありがとう」
「待って!今の潤んだ瞳で見つめてくる名前ちゃん超キュートで激やばたんなんだけど!」
「やべえ、かわいい…」


うわあ、なんだか一成くん盛り上がり出しちゃってる?う、嬉しいけど、なんだか恥ずかしい。


「ナニナニ〜?素敵なカレピッピにまた惚れ直しちゃったりした〜?」
「だ、だれがっ」


反論しようとしたけれどその口はふわりと塞がれて...。


「な〜んちゃって。でも心配かけさせて疑われるようなことして、本当に、本当にごめん」


間近に広がる本気の顔。


この真剣な瞳と声色は何なのだろう。私を見て言ってくれた真っ直ぐな言葉。
くらくらしてしまう。でも分かるよ、これが一成くんだね。


普段はおチャラけているし、年は2つしか違わないはずなのに時々若者言葉のパリピ語で何言っているのか分かんないところもあるけれど、いつだって真面目で、人の気持ちをしっかり考えてくれる優しくて素敵な人。


これからは私も自分で考えすぎたりしないように、もっともっと私からも一成くんに絡んでいけばいいんだよね。


「うん、もう大丈夫だよ!ピコ」
「はは。名前ちゃんもピコッて響きの可愛さにようやく気づいちゃった?ピコ」
「「あはははっ」」


色んな感情が吹っ切れてどちらからともなく笑い合う。


分かった気持ちを忘れないようにしよう。今日はきっと良い日になる。


―本音は何色―
大学生になるまで彼女居なかったカズナリミヨシくんとか可愛くないですか?彼は本当に好きになった人へは大事に大事に接する男前だと思うんです。





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