不覚



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※この話は短編「自覚」の続編、西谷視点のお話です。「自覚」を読んだ後に読まれることをお勧めします。
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終始気まずそうな様子だったなと思い返してしまうのは、苗字さんを保健室へ送り届けることが達成されることなく、保健室へと向かう途中の廊下で彼女と別れてしまったからだった。


「西谷君、やっぱり重いでしょ。こんなつもりじゃなかったんだけど、皆にもからかわれて嫌な気分にさせて。本当にごめん。私びっこ引けば歩けるからさ、降ろして」


そう言った後も何度も申し訳なさそうに謝罪を繰り返す声が後ろから聞こえた。「もうここで降ろしてくれて大丈夫だから」としきりに言う苗字さんを強制させることはできなくて、致し方なしと降ろすことにした俺。果たしてこれで良かったのだろうか。痛む右足を引きずりながら歩みを進め、たった今彼女が視界から消えてしまった廊下を見つめるている。

正直言って何も考えていなかった。苗字さんは二年生になって初めて知り合ったクラスメイトの一人だった。それ以上も以下もなく、雑談を交わすような仲ではない。たまたま自分の目の前で転んでしまった彼女に対し、まるで正義の味方の真似事だと言わんばかりの使命感に駆られ、背中に背負った。

おんぶをしてダッシュをするのはバレー部の基礎練習の中にも組み込まれていたし、それが実践的に行使できるついでに人助けなんてまたとないチャンスだと思ったはずだった。だとというのに、女子というものがあんなにも柔らかいのだと誰が想定できただろう。いつも練習で背負っている龍とかとは違うもっとこうむにっとしていて……って馬鹿野郎。俺は一体何を考えているんだ。けっしてそんな邪な感情は思っていないと思いたい。

 はあ、と一呼吸を置いて何か別の思考を思い巡らせてみることにする。そう、そうだ。苗字さんがいけないのだ。だって、俺の背中に、あ、ああ、アレをぎゅっと押し付けるようにしがみつくから。


「―急に動くなって、しっかり掴まってろよ。保健室一階だしもうすぐだから」
「う、うん」
「それに、こ、こ困った時はその、お互い様だ。気にすんなって」
「ありがと」


驚いて手を離しそうになったことがバレていないといい。だけど、あの時分かってしまったのだ。背負い直した時に苗字さんが少し震えていたことを。現に転んだばかりの時、苗字さんはくじいた足に力を込めて立ち上がろうとしていたほどのパニックぶりだった。何が起きたのか分からない恐怖心なんかもあったに違いないのだ。少しでも苗字さんの不安が安心に変わるようにと自然に自身の腕に力がこもった。その気持ちが少しでも伝わったらと思うのだが、結局は気まずい思いをさせて自分で歩かせてしまったことを申し訳なく思う。

これは俗に言うお節介というやつなのではなかろうか。けれど、先程から、降ろしてあげた時に見た苗字さんの顔が脳裏に焼き付いて離れてくれないのだ。教室の中で仲の良い友人たちと談笑している時の笑った顔、授業で先生に指名をされて小さな声でぼそぼそと話す緊張している時の顔、行事をしてクラスで頑張っている時の活き活きとした顔、どれもクラスメイトという同じ集団の輪の中で遠目にぼんやりとしか見てこなかった苗字さん。


その彼女が目の間にいて、俺を見て、そして

「西谷君、ありがとう」

そう述べてくれた表情に心からの感謝の気持ちが読み取れた。


足が痛い中精いっぱい作ってくれた笑顔だったのだと思う。でもその笑顔がとても清々しい綺麗な笑顔で。俺はついさっきまでこの腕で、この背中で、苗字さんを背負っていたのだ……。ドクドクドクと心臓の鼓動が速くなる。かあっと身体中の体温が上昇して眉毛が吊り上がり一気に高揚していくのが分かる。どうしてこんなに鼓動が早くなってしまうのか。静まって欲しいと体に信号を発しても言うことは聞いてくれそうにない。

無事苗字さんは保健室に着いただろうか。普通に考えれば付き添って保健室へ一緒に向かえばよかったであろうにそれをすることもできなかった。俺は目に焼き付いたまま離れなくなったしまった彼女の表情の余韻に捕らわれたまま、まだ授業中で誰も居ない廊下にぼうっと立ち尽くすだけだった。


ー不覚ー

苗字さんは自覚してくれましたけど、西谷くんがはっきりと自覚するまではまだもう少し先になりそうです。あとほんの一押しだけどね




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