今から行ってもいい?と彼女から連絡が来たのは二十三時を回った頃だった。お風呂を済ませてフェイスケアをしていた私が、乳液が携帯に付いてしまわないように人指し指の先でいいわよ、と手短にメッセージを返すと十秒もしないうちにインターホンが鳴った。仕上げの保湿クリームがまだだというのに。
「こんな時間にどうしたのよん。」
「聞いて脇さん、明日デートになったの。」
「…自慢しに来たの?」
「違うわよ。お願い、爪塗って。」
 上品なベージュのウールコートを脱ぐなり彼女は、くたびれたパーカーのポケットからガラガラとポリッシュの小瓶をいくつも取り出した。テーブルに転がされた小瓶たちはどれも目がちかちかするようなビビットカラーばかりなのに、これでも地味なのを選んできたのよ、なんてふざけたことを言う。彼女の左手にだけ塗られたパープルのポリッシュはひどい猛毒みたいだ。
「右手がどうしてもうまく塗れないのよ。もう五回も塗り直してるのに。」
「マニキュアなんか塗らなくてもいいじゃないのん。」
「嫌よ、そのままの爪を見られるのは裸を見られるより恥ずかしいの。」
 彼女の言葉は時々解読出来ない呪文みたいだ。
彼女が持ち込んだポリッシュを一つずつ手にとって物色する。本当に自己主張の激しい女。きっとカメレオンだってもっと地味な色をしているに違いない。
 コスメの棚からネイル用品のカゴを引っ張り出して、小瓶を彼女の前に一本ずつ並べてやる。淡いピンク、肌に近いベージュ、パールがかったホワイト。それから小さなラメの入った細筆のゴールド。
「なんだか派遣社員のOLが使いそうな色ね。」
「馬鹿ね、こういうのが男受けいいのよん。」
 リビングにある小窓を開けて、コットンに除光液を染み込ませる。春は近いけれど夜はまだ冷える。外から吹き込む風は痛々しく、室内でコートを羽織って向かい合う二人の女はなんだかまぬけだ。
 毒々しい彼女の爪にコットンを滑らせると綺麗に整えられたそのままの爪が露になった。先程の彼女の言葉を思い出して妙な気持ちになる。まるで彼女の裸を暴いたような気分だ。少しだけ耳が熱くなる。
「どれにする?」
「脇さんのおすすめにして。」
「じゃあフレンチにしてあげる。」
 ベースコートの上からベージュをたっぷり二度塗りして、先の半分だけをホワイトで塗り潰す。裸の爪みたいで、やっぱりやましい。彼女は気付いているだろうか。
 ポリッシュが乾くまでの間お茶でもしようと、そそっかしい彼女のために取っ手のないカップに紅茶を入れてあげる。せっかく美しく塗ったのに傷でもつけられたらたまらない。
 トップコートを塗るまでは何もするなと言ったのに、カウンターのキッチンからリビングを覗くと彼女はソファに寝転んで携帯をいじっている。
「猿飛さん。」
「ごめんなさい、彼から連絡があって。」
「別にいいけど、気を付けてねん。」
「大丈夫、傷付けても脇さんがまた塗り直してくれるもの。」
 お砂糖とミルクを入れて?とカップの縁をとんとんと叩く彼女の指先が知らない人のようで、明日この爪が彼の背中を引っ掻くのだとしたら、本物の毒でも盛ってやりたいと私は思うのだ。

2014.02.20
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