濡れた髪はとうに乾いてしまった。衣紋架けに吊された己の着物も、とうに乾いていることだろう。さすれば此処に居る理由など、ありはしないのに。連日の猛暑から打ち水をしていた妙が、通行人の存在に気が付かず水を浴びせてしまった。偶々その対象が自分であっただけのこと、例えば見知らぬ誰かだったとしても妙はこうして家へと招き入れていたのだろうか、銀時は思う。ここへ来て漸く、風鈴が鳴った。一度だけ、ちりんと。風もなく、纏わりつくような暑さに脳が蕩けそうだ。お行儀良く座って待つのも億劫で、銀時は仰向けに寝転がる。日に焼けた畳から仄かに藺草の匂い。身を捩ると、畳と髪が擦れる音がさり、さり、と。銀時はかき氷を思い出して喉を鳴らす。
「お行儀が悪いですよ、銀さん」
「それより今時扇風機もない家ってどうよ、暑くて死にそうなんですが」
「あら、夏は暑くて当然でしょう?」
涼しい顔で言ってのける妙に、銀時は大仰な溜め息を吐いてみせた。藍色の着物を崩さず、汗一つかかずに背筋を伸ばした妙の姿が、銀時の目にはひどく奇異に映っている。
「これ、少し古いですけど使ってくださいな」
「また随分と渋い」
「父のお気に入りだったんですよ」
綺麗に畳まれた深緑色の着物を広げると、一瞬、箪笥の匂いに包まれる。長い間、役目もなく眠っていたのだろう。着物に鼻を埋める銀時に、妙は恥じらいの表情を見せた。これはなかなか、などと邪念を抱きながら銀時はそそくさと着物に袖を通す。
「着替えたらとうもろこしでもいかがですか」
「おお、もらうわ」
ちりん、ちりん。日も暮れて、夕風が出て来たらしい。ぐっしょりとかいていた汗もひき、銀時はくしゃみをする。あら夏風邪は、などと悪態を吐いてみせる妙に一瞥をくれてやってから、目の前のとうもろこしに齧りついた。甘くて瑞々しい。
「良く噛んで食べるんですよ、とうもろこしは消化が悪いですから」
「お前は母ちゃんか」
失礼ね、と言葉に反して妙はさも愉しそうに笑う。それが何故だか妙に照れ臭くて、銀時は着物の袖で鼻を拭った。風鈴の音、日に焼けた畳の色、着物の深緑、懐かしい、箪笥の匂い。それから妙の手に残ったとうもろこしの芯がとても綺麗であったことを、銀時はきっと忘れないのだろう。
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