「いらっしゃいませー!……って」

 私が「あれ?」というのと、彼が「お?」と声に出すのはほぼ同時だった。いつもと同じリーゼントヘアーに、ゆるいジーンズ姿の彼。
 ポケットに手を突っ込みながらバイト先であるファミレスに入ってきたのは同じクラスの水戸洋平くん。お休みの日でもお出かけするときはその髪型なんだ、下ろしたらどんなかんじなんだろう。
 と、ぼんやりしてしまってからはっとした。お客さんなんだから席にご案内しなきゃいけないのに!
 少し首をかしげて私の様子をみていた水戸くんに「え、ええと…お1人ですか?」と尋ねる。うん、と言いながらゆるく笑んだ水戸くんをみとめてから、私はメニューを引っ掴んで空いている窓際の席に彼を誘導する。

「苗字さん、ここでバイトしてんだ」

 水戸くんの座った席のテーブルにメニューを置きながら「うん、5月ぐらいから」と答える。
 湘北高校に入学してから、私は中学のころからずっとやると決めていたことを始めた。それがアルバイトだ。運動は得意じゃないし、文化部にだって興味がなかった。だから部活動が強制じゃなくて、家から自転車で通える湘北高校を選んだのだ。

「そっか、オレいつも駅の反対側の方ばっか行ってるからさ」
「あー!そこライバル店!」
「はは、じゃあ今度からこっち贔屓にするよ」

 軽く笑った水戸くんに「よろしくね」と言いながら、注文が決まったらお呼びくださいと決まったせりふを投げる。
 メニューを開く前に「じゃあアイスコーヒーひとつ」と言った水戸くんの注文をさっさと打ち込んで、私はキッチンのほうへと向かう。お昼のピークが過ぎた中途半端な今の時間はキッチンのほうもだいぶ手が空いたようで、溜まったお皿を洗う作業をしている様子だ。
 水戸くん、アイスコーヒーか。だよね、オレンジジュースとかっぽくはないもんなあ。でもコーラとかは飲みそう。なんて彼に対する勝手な解釈と想像を脳内で繰り広げながら、私はアイスコーヒーをグラスに注ぐ。
 湘北高校は、それこそちょっと強面で不良と呼ばれる人たちが多くて目立つ。各学年に怖そうな人たちがちらほらといるし、ちょうどこのアイスコーヒーをオーダーした彼もいわゆるそっち系の人間だ。
 それでも話してみるとそんなに怖くないし、意外と気さくでよく笑うし、だから水戸くんのことは好きな部類だった。頻繁に教室を訪れる彼の仲間たちも見てくれの割りに賑やかで楽しい人たちだ。

「お待たせしました」

 そういいながら彼の座るテーブルにコースターを置いて、その上にアイスコーヒーを乗せる。

「誰か待ってるの?」
「そうそう、いつもの奴ら。これから花道のリハビリ冷やかしに行くからさ」

 どうやらここで待ちあわせまで涼んでいこうということらしい。
 花道、というのは学年で、いや校内でも特別に目立つ赤髪の桜木くんのことだ。水戸くんと桜木くん、あといつも一緒にいる3人は中学の頃からつるんでいるらしい。
 バスケットボール部に入った桜木くんは、今や丸坊主姿だ。夏のインターハイで怪我をして、ちょっとした手術をして今はリハビリ中。その様子を仲間たちと伺いに行くのだろう。

「そろそろ部活、復帰できそうなの?」
「選抜までには間に合わせる!って気張ってるよ」

 そんな水戸くんの保護者みたいな表情をみながら、私までちょっとだけ優しい気持ちになった。いいなあ、男たちの友情ってかんじ。
 桜木軍団と呼ばれる彼らは不良だなんだと言われてはいるが接してみるとそんなに怖くなかったりする。人は見た目じゃないよね、と心の中で考えながら、ふと窓の外に目をやると、ちょうど彼のお仲間がこちらに手を振っているのが見えた。
 おう、と彼らに手を振り返した水戸くんがアイスコーヒーを飲み干して立ち上がる。

「苗字さん、バイト何時までなの?」

 レジで小銭を出しながら、水戸くんが言う。

「今日は22時までかな、土曜日忙しいから」
「へえ、よく働くねえ」
「勤労少女と呼んで。まあ、部活やってないし時間余ってるだけなんだけど」

 でも無理しないように、と言って水戸くんが小さく手を上げる。こくんと頷いてからありがとうございましたといつも通りに声を掛けた。


*


 土曜日の夕方から夜にかけてはいちばん混み合う時間帯で、ゆったりとした午後が終わったら今の今まであっという間だった。
 お疲れさまです、とまだ稼働しているキッチンの人に声を掛けて外に出る。夏の終わりと言ってもまだすこし蒸すようなムッとした空気を感じながら、ひとつに結んでいた髪を解いた。

「よ、おつかれさん」

 そう声を掛けられて、一瞬びくっとした。店の裏口、街頭の下で原付に腰を掛けながらぴょこっと小さく手を上げているのは水戸くんだった。
 わたしは思わず「えっ?」と声を漏らしながら彼に駆け寄る。

「水戸くん? なんでいるの?」

 水戸くんは困ったように目じりを下げて、その目の横あたりをぽりぽりとかきながら「女の子ひとりでこんな遅い時間に帰らせらんないでしょ」と言った。いや、でもだからってただのクラスメイトのためにそこまでしてくれなくていいのに。

「でもいつも終わったらこの時間だし」
「オレが勝手に聞いてそれを知らんぷりできなかったってだけ」

 ほら後ろ乗りなよ、と原付にまたがった水戸くんが親指を立てて後ろを指差す。ぽいっと投げられたヘルメットをすんでのところでキャッチして「ええ…?」と思わず声を漏らしてしまったが、早く乗るように促されて私はおずおずとヘルメットをかぶる。
 重かったらごめんね、と声を掛けながら彼の後ろに跨ったら「女の子ひとりぐらい乗っても乗らなくても同じ」と彼は歯を見せて笑った。

「そうだ、イヤかもしれないけどちゃんとつかまっててね」

 言われて気付く。つかまるところ、と考えて、目の前にある水戸くんの思っていたより広い背中をじーっと見つめてみた。

「あ、え、ええと…」

 さすがにちょっとだけ動揺した。どこ捕まったらいいの?肩?それとも腰?誰かの原付の後ろになんか乗せてもらったことがないからわからない。ちょっとだけ混乱してきた頭がプスプスと音を立てている気さえしてきた。
 えーいもう知るか!と私は彼の腰に腕を回すことにした。いいもんね、わるいことしてないし、水戸くんがつかまれっていったんだもん。
 身長がさほど高いわけでもないのにしっかりと筋肉がついているのがわかる。当たり前だけど、自分とはまったく違う体つきだ。同じクラスの男の子の腰に腕を回しているという事実を認めて眩暈がしてきた。

「ん、じゃあ出発」

 そんな私の動揺に気付くわけもなく、水戸くんは原付のエンジンを入れる。
 風を切る感じが心地いい。暗くなった道を原付のライトが照らす。ブロロロ、という少しだけ耳障りなエンジン音は、彼の体に抱き着いているという恥ずかしさを紛らわすのにちょうどいい。

「ブランコだ」

 公園を通り過ぎながらそう言った私に、彼は「お、いいね」と返事をしてくる。
 いいねとは?と頭の上にクエスチョンマークを浮かべている私に彼は「久々に乗りたくなっちまったし寄り道していこう」とさらりと言う。
 確かにちょっと乗りたいかもしれない。高校生になって、というか中学の時だって乗った記憶はない。それこそ最後に乗ったのはたぶん小学校の中学年の時ぐらいだろう。
 公園の前に原付を止めて、小さい電灯だけが灯る公園に入る。ブランコに座ってみたら、子ども用の遊具は思っていた以上に小さくてびっくりした。ちゃんと足を上にあげていないと地面に引っかかって危なそうだ。
 思いのほかノリのいい水戸くんと並んでブランコを漕ぐ。いい年した男女が暗い公園でブランコを漕ぐなんて、傍から見たら滑稽に違いない。
 水戸くんはやっぱりいい人だ。あんまり気にしたことなかったけど、凛々しくて涼し気な目もととかも男前だし、それでもって優しいし、気配りできるし。って何考えてるんだ私。

「水戸くん、いい人だね」

 そういうと、水戸くんがこちらをちらりと向いた気がした。

「じゃあ、俺ら付き合っちゃうか」
「………へ? え、えっ?」
「ぶっ、ハハ!動揺しすぎだって」
「な、なんだよー!からかわないでってば!」

 いい人って言ったの撤回!と言いながら私は地面を強く蹴る。ブランコが大きく揺れて、さっきよりももっと高く体が浮かんだ。少しだけ夏を残した生暖かいしめった空気が肌にまとわりついてくる。
 胸がこんなにどきどきうるさいのも、顔がびっくりするぐらい熱いのも、ぜんぶぜんぶ知らんぷりをしてしまおう。ところでもういちど彼の原付の後ろに座ったとき、私はさっきみたいに腰に腕を回すことができるだろうか。
 ボン!と顔が爆発しそうになって、もうそれ以上考えるのはやめることにした。

--- きみのせなかで加速する
(20190613)



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