放課後、いつものように体育館の扉の前に集う女子たち。そしてそれに混じってソワソワしている私。
 キャッキャと騒ぐ彼女たちの中に紛れるように身を潜めて、さも自分も学年一人気のイケメンである流川楓くん親衛隊のフリをしている。
 「きゃー流川くーん!」という黄色い声が上がるたび、同じくきゃーってしてみたりなんかして、かっこいいねと騒ぐ周りの子たちに合わせてうんと頷いてみせる。
 確かに流川くんはかっこいい。というかとにかく美形なのだ。男の子にしてはキレイめで中性的なお顔、高身長でスラっとしてるけどちゃんと筋肉の付いた体つき、そして素人がみてもわかるぐらい超絶巧みなバスケットボールのセンス。加えてあんまり物事を語らない無口でクールなところなんかがきっと女子たちにはウケるのだろう。
 きっと、なんていうのは私が勝手にそうだろうなと予想しているだけだからだ。
 そう、私のお目当てはこの超絶美男子の流川楓くんではないのである。

「よっ…と、今日も流川親衛隊は集まりがいいねえ」

 背後から聞こえてきたその声に、私はビクッと肩を震わせた。
 振り向くことができなくてただただ体を硬直させる。同い年なのに穏やかで落ち着いたトーンの声。それが誰の声かなんてもちろんわかっている、だってその声はあの人のものに間違いないのだから。
 ごめんねちょっと失礼、と私の肩に手を置いて体育館を覗き込んでいるその人こそ、私の思い人である水戸洋平くんだった。

「おーい花道ィー!ルカワに負けてんぞー!」

 茶化すように桜木くんへ言葉を投げるのは桜木軍団と呼ばれているうちのひとり。
 じゃあかしい!邪魔すんなら帰れ!と眉を吊り上げて噛みつかんばかりの表情で言い返している桜木くんの横で、当の流川くんは我関せずというか、もう全く聞こえていないのではないかと思うほど素知らぬ顔をしている。
 そんなことよりも、私の体はもうすっかり緊張のため硬直してしまっていた。なぜならば、左肩に水戸くんの手のひらが触れたままだからだ。
 心臓が口から出そうなぐらい体内でギュンギュン跳ね回って大暴れしているし、もうドキドキで破裂してしまうのではと思うほどだ。
 うう、水戸くんの手が!手がいま私の肩においてある!
 脳内に住まうもうひとりの自分が両手で顔を覆いながらジタバタと悶え転がっている中、実際の私はといえば両方の手のひらを合わせて胸の前でぎゅっと握りしめたまま、もはや呼吸を忘れている始末だ。

「あ、ごめん。ずっと手置いてた、許してね?」

 すまなそうにふにゃりと笑いながら手を合わせる水戸くん。ううん、と首を横に振る。いいんです、ちょっとドキドキして死にそうになったけど大丈夫です。その言葉はもちろん口に出すわけにはいかない。
 人間はもともと心臓の鼓動の数が生涯決まっていて、その数だけ鼓動したら心臓の動きが止まるという話をどこかで聞いた。たぶん、今のでいつもより多めにその数を消費して寿命が縮んてしまっているだろう。だとしてもいい、そんなことは構わない。1分1秒の寿命の長さよりも私は至福の時を選ぶ。

「女子から見たカッコイーってどういう感じなのかね」

 背後にいる水戸くんがひとりごとみたいにボソッとつぶやく。
 硬派に見えるのに話してみると実は柔らかい口調とか、けっこう気さくなところとか、怖そうに見えて笑うとかわいいところとか、上がった口の端から見える歯並びの良さとかその歯の白さとか、そういうところですかね。
 なんていうのはとてもとても言えるわけなく。っていうかこれは私の好みだし、そもそも水戸くんのここが好き!って私が思っているところだし。言えない言えない、言ったら終わる。
 そう、私が気になっているのはみんなが騒いでいるイケメンの流川くんでも、部長の宮城先輩でも、ひそかに人気の出てきているらしい三井先輩でも、ましてや流川くん以上に目立つ赤い坊主頭の桜木くんでもない。
 すぐ後ろにいる水戸洋平くん、その人なのである。

「流川くーん!ナイッシュー!」

 視線はまっすぐに体育館の中で行われている練習風景を見ているはずなのに、流川くんが決めたらしいシュートなんて全然気が付かなかった。すっかり背中に神経が集中してしまっている。だって水戸くんがいる、わたしの後ろにいる!

「女子にキャーキャー言われるってのも、経験してみてえなあと思うもんだよね。男はさ」

 してます、あなたの前にいる私がいま、キャーキャーしてます心の中で!言えないけど!言わないけど!
 
「わ、私は!」
「ん?」

 勢いで後ろを振り返っていた。

「水戸くんすごくかっこいいとおもう!声とか深みがあってすてきだし、怖いひとかなーと思ってたけど話してみたら優しいところとかすごく好きだし!」
「わ、待って苗字さんちょっとタンマ」
「えっ私の名前しってるの!?」
「知ってるよ、同じクラスじゃん。いや、つーかそうじゃなくてさ…その、さすがに照れるから」

 細めの眉をハの字に下げて、くしゃっと目もとに皺を寄せながら笑う水戸くんのこの表情は私の心のアルバムに永久保存だ。こんな顔、初めて見た。どうしよう、もっと今よりももっともっと好きになってしまう。
 ところで、そうじゃなくて、水戸くんが照れてる?どうして?

「あんまり褒めないでよ、慣れてないんだって」

 そう言われて気付いた。自分が言ったその言葉がさも告白の言葉みたいだったってことに。
 彼の表情を理解したら、急におなかのあたりに違和感を覚え始めた。なんか後頭部がぎゅーって引き延ばされる感じもするし、頭のてっぺんから魂が半分抜け出ている妙な感覚もするし、ついでに言うと胸のあたりは血の気が引いて冷たいのに背中がものすごく熱い。
 ああ、わたしは、なんということを!この口が!この口が!

「あ、ええと、その、ちがうの、ちがくはないんだけどだから」
「アハハ、しどろもどろ。つーかオレと話してるよりさ、ホラお目当て見とかないと」

 見過ごしちゃうよ、と続ける水戸くん。
 同時にキャー!と盛り上がる周りの女子たち。きっと流川くんがまだスーパーなプレイをしてみせたのだろう。
 ちがうよ、水戸くん。私が見過ごしちゃダメなのは流川くんじゃない。流川くんのものすごいシュートとかじゃなくて、見たことない水戸くんの表情の方なんだよ。

「あ、オレそろそろバイトの時間だ。じゃあね」

 うん、またね、と頷いたら、水戸くんが私の顔の方に手のひらをすっと伸ばして来て、そしてピタリと止まった。その指先が私の前髪をかすめて胸がとくんとひとつ鳴る。それは例えるならば、じぶんでもびっくりするぐらい乙女のメロディーを奏でていた。
 ちょっとだけびっくりしたような表情の彼は、ハッとしたようにその手を引っ込めるといつもの顔に戻っていた。
 いつもつるんでいる人たちとも同じような会話をしてから、水戸くんは左の脇にカバンを抱えて去っていく。彼の背中を眺めている私には、背後で聞こえる女の子たちの黄色い声援も、体育館の床を鳴らすバスケットシューズとドリブルの音もぜんぜん耳に入らない。


*


 ハァ、とため息が漏れたことに自分では気づけなかった。
 屋上のフェンスに持たれながら空を仰いで、今日はいい天気だなあなんて思うわけでもなく自分の右手のひらをかざして見せる。

「どうした洋平、ため息なんかついて」

 めずらしい、と。そう言われてやっと気づいた。
 かざした手のひら。この手で、オレは何をしようとしていたんだろう。コロコロと変わる表情と、あんまりいい評判はないであろうオレみたいなやつにも臆することなく普通に接してくれるあの子のことを思い出す。
 あの時、自分より少し低いところにあるその頭に触れようとしていた。さも自然に、勝手に体が動いてぽんと撫でようとしていたのだ。
 はっとして手を引っ込めた。不思議そうな表情だった彼女の、苗字さんのことを思い出して珍しく頭を抱えたくなった。ビビらせちまってやしないだろうか。

「…花道。おまえ、ハルコちゃん好きになったときどんな気持ちだった?」
「うーんそうだなあ、こう、なんというか雷がピシャー!っとこの天才の脳天に落っこちたのだよ」

 うんうん、と腕を組んで頷きながら言う赤い頭のそいつ。そうか、そういうものか。じゃあつまり、そういうことだ。
 思わず上がる口角は、うれしいからとかたのしいからとかそういうのじゃなくて「あーあ、なんてこった」という意味が強い。苦笑いだけど、それでもどうしてだろう。いやな気持ちでは全くない。
 ああ困ったな、自覚してしまってからどんな顔して彼女に会えばいいんだろう。大体好きなヤツがいる女の子だ。それもあの流川楓。まさか花道と同じ状況になっちまうなんて。
 喉の奥からこみあげてくる不思議で、そしてなぜかとんでもなく愉快な気持ちをおさえられずに小さく笑ったら、座り込んでいる花道が眉根を寄せて訝しげにこちらを見上げてきた。
 いやこっちの話、とその視線に言葉で返しながら、もう一度見上げた空の色はやっぱり晴れているし雲ひとつない。
 さっきと何も変わらないはずなのに、それでもなぜだか先ほどよりももっと澄み渡って見えるのは、認めてしまったこの気持ちのせいなのかもしれない。


--- ラブ・シック・シンドローム
(20190613)



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