( 三井先生のとある金曜日 )
( ハンドメイド・ラブ・ストーリーのふたり )

 遅くなるので夕飯はいらないと連絡したのが夕方前で、帰宅したのが二十二時過ぎ。リビングの電気はついていたが彼女の姿はどこにもない。
 ひとり首を傾げながら仕事用の鞄を自室で下ろし、羽織っていたコートを脱ぐ。手を洗うべく脱衣所兼洗面所に入ると、そこでようやく彼女の所在がわかった。どうやら入浴中だったらしい。

「今帰ってきた」

 浴室の扉越しにそう声を掛けると、中から「あ、おかえり!」という機嫌の良さそうな声が聞こえてくる。なるほど、今日は金曜日だからゆっくり半身浴でも楽しんでいるのだろう。
 そのままその扉を押しそうになって、いやいやと首を振って己の行動を制した。以前、そんな軽い気持ちで扉を開けたら「お風呂は覗かないで!」と顔を真っ赤にして怒られたことがある。彼女はいまだに着替えさえも隠れて行っているぐらいだ。
 適当に手洗いとうがいを済ませてからリビングに戻る。ローテーブルの上に置かれたテレビのリモコンを取り、電源を入れるとニュース番組が映し出された。ついテレビをつけてしまう癖は彼女から伝染してしまったものだ。
 同棲をし始めた頃に一番最初に二人で選んで購入した家具であるソファーへ沈み込むように座る。ひとつ深い息を吐くと、もうすっかり動く気がなくなってしまった。
 明日は土曜日だが、いつもの如く朝から部活の予定である。我ながらハードな毎日を送っていると思う。学生時代のなんでも乗り越えていけるような気さえしていた向かう所敵無しのようなメンタルと体力は、認めたくはないがその頃限定だったのかもしれない。

「はあ、二時間近く入っちゃってた」

 間延びした声でそんなことを言いながらリビングにやってきた彼女は、すっかり気分が良くなってふわふわした様子で小さく鼻唄なんかを口ずさんでいる。
 冷蔵庫から炭酸水のペットボトル取り出し、こちらに向かってくるのが分かったので彼女の座るスペースを開けるように横にずれる。

「寿くんもお風呂入るよね? ちょっと冷めちゃったから追い焚きしといたよ」

 オレの横に座り、ペットボトルの蓋を開けながら「今日も寒かったね」と言う彼女の紅潮した頬を横目で見つつ「そうだな」と短く返事をする。
 ペットボトルの炭酸水をガラスのコップに注ぐ。喉を潤す炭酸水でその喉がこくんと小さく動くのを眺めながら、思わず自分も喉を鳴らしてしまったのは、相変わらずの無防備な様子と入浴後のなんとも言えない色香にほんの少し、いやそこそこ盛大にあてられてしまったからに相違ない。
 首にかけたタオルでまだほんの少し濡れている髪を拭っている彼女の意識は、もうすっかり目の前のテレビに映るバラエティ番組に向いてしまっている。
 ゆっくり近寄ると、脱衣所でいつも入念に塗り込んでいるらしいボディクリームの香りがふんわりと鼻腔に届く。しかし、そこでオレは思わず目を細めていた。なんだこれ、いつもと違う気がする。
 思わず腰に手を回し、その体をぐいっとこちらに引き寄せると「うわっ、どうしたの?」と驚いた様な声音で背中を軽く叩かれたが、気にせず無遠慮にその首筋に鼻を寄せた。

「なんかいつもとちげーにおいがする」
「わかる!?」

 実は今日の帰りにフラッと駅ビル寄ったら冬季限定フレーバーが出てたの、と彼女はうれしそうに声を弾ませた。
 バニラの様な花の様な、それでいて鼻につくわけではない甘い香り。彼女らしい、と思った。

「オレ、これ好きだわ」
「ほんと? よかったぁ」

 よかねえよ、こちとらそういう気分になっちまっただろうが。
 そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、くすぐったそうに身をよじりながら笑う彼女が着ている大きめの寝巻きをばっとめくり上げると、その下には何も纏わない白い素肌があるだけだった。

「な、なにして……!」

 そんな抵抗を含んだ言葉を遮る様に、無防備な腹に触れながら柔らかい素肌を舌でなぞるとぴくり、とその体が小さく反応を示した。

「……チッ、こんな甘いにおいすんのに苦いのかよ」
「当たり前でしょ! ボディクリームって保湿してるだけで生クリーム塗ったくってるわけじゃないんだから!」

 軽い力で後頭部を叩かれて、思わず「いてっ」なんて言ってしまったが、牽制の意味を含むそれは大した威力ではない。
 普段よりほんのり高い体温の体を抱き寄せながら、なにかを言いたげに開かれたその唇にキスを落とす。
 ほんの少しの抵抗の後で、彼女の体からは諦めたように力が抜けていき、唇を離した時には「せっかくお風呂追い焚きしてきたのに……」とこれからの展開に対する小さな不満の声が漏れた。

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