5.

 二限終わり、お昼時の学食は学生が溢れている。
 私は高校時代の同級生であり、当時一緒に陵南対湘北の試合を見ようと誘ってきた人物であり、このあいだの合コンもとい飲み会で『一生のお願い』を行使してきた友人と席に着き、自分で持ってきたお弁当を突っついていた。

「今度高校の同窓会あるじゃん」

 彼女は洋食のブースで買ってきたたらこパスタをフォークに巻きつけながら言った。

「ああ、連絡来てた来てた。どのくらい人、来るんだろうね」
「名前はどうする? 行く?」
「うん、出るつもり。実家にも寄りたいし」
「飲み会出たいって言うの珍しいじゃーん!」

 そしたら一緒に行こうね、とうれしそうに言う彼女に「うん」と頷きながら、私はアスパラベーコンを口に運ぶ。
 飲み会、と言われて思い出すのはこのあいだの事だ。彼女の言う通り、私はあんまり飲み会というものが好きではない。飲み会というか合コンが、だけど。
 でもそのおかげでいいことがあったから、少しだけ苦手な気持ちが薄れてきていた。同窓会ならば、知らない人同士で出会うためにみたいなガツガツした感じもないし、成人式以来会えていない地元の友達にも会える。
 っていうか、私はどうしてこんな言い訳みたいな言葉を心のなかで繰り返しているのだろう。
 バスケについてちょっと知りたいなとか、そういえば同級生でバスケに詳しい人がいたから話ができないかなとか、そんなことばかり考えてしまっている。
 端的に言えば、三井くんがバスケをやっているところを見てみたいけれど、大学リーグのあれそれとか、観戦方法とか、観戦ルールとか、そういうものを全く知らないので教えてもらえたらいいなという不純な動機があったりするわけで。

「ところでさ、あたしずーっと聞きたかったことあるんだけど」
「うん、なになに?」
「あのあと、三井くんとなんかあったりした?」

 私は思わず噴き出しそうになるのを堪え、咄嗟に己の口元を手で覆った。ちょうど三井くんのことを考えていた時にこれは不意打ちすぎる。
 彼女はニヤニヤと楽しそうな、というよりもどこか悪戯っぽい表情でフォークに巻きつけたパスタを口に運んでいる。

「あの合コンのあとで思い出したんだけどさ、高三の夏にうちの高校のバスケ部が全国行けるかどうかって試合あったじゃん、一緒に観に行ったやつ。あれ、相手の湘北に三井くんて居たんだってね」

 知ってる、という意味をこめて私は頷いた。楽しげな表情の彼女は私が話し始めるのを待っている様子だ。これは逃げられない。

「……学内誌とかにも載ってるし、有名人だもん」
「でもさあ、飲み会の前から知り合いっぽい感じだったじゃーん」

 どちらかというと聞き専で、あまり人にそういう話をする方ではない私は、ニヤニヤしている彼女の顔を見ているだけでものすごく恥ずかしくてたまらない気持ちになってくる。

「私が一人で取ってる選択講義あるでしょ。それで隣の席になって話したことあったの」
「なんだっけ、名前忘れたけど芸術系のやつだよね。なるほどねえ」

 どうやら、あの飲み会で三井くんと私が初対面ではなさそうな様子だったことが気になっていたらしい。納得納得、と言いつつもまだなにかを聞きたそうな様子で彼女は口を開いた。
 が、そのままぽかんとした様子で「あらまあ」と一言。そして私の背後を指差した。

「へ?」

 私が間抜けな声を上げて振り向くと、そこに立って居たのはちょうど話題になっていた人物、三井くんだった。

「よう、お疲れ」
「あ、ええと、どうも」
「なんだその反応」

 小さく笑いながらそう言う三井くん。咄嗟のことで、尚且つあまりのタイミングの良さに驚きすぎてよそよそしすぎる、かつ不自然な挨拶を返してしまった。

「と、こないだの時にいた、えーと……」
「はい、この子の友達です! あらやだもうこんな時間! あたし次の講義めっちゃ遠い棟なんだよね、十九号館!」

 彼女は勢いよく残りのパスタをかっこむと、そのままの勢いで自分のかばんを引っ掴み、トレーを持って立ち上がると「三井くんここ座っていいから! じゃあ名前また明日!」と台風がごとく去って行った。
 あのあからさまな態度、わざとらしすぎてこっちが気まずくなってしまうじゃないか。なにを勘違いしているのかわからないけれど、明日はきっと根掘り葉掘り問い質されるに違いない。想像して思わずため息が出てしまった。
 あんまり自分のこと話すの、得意じゃないんだけどなあ。

「邪魔しちまったか……?」
「ううん、あの子そういうの気にしないから大丈夫。座ったら?」

 私は先ほどまで彼女が座っていた向かいの席を指差して言う。
 三井くんはリュックを下ろすと「腹減ったからなんか買ってくる」とお財布だけを持ってブースを物色しに行ってしまった。
 それにしてもすごいタイミングだ。あれこれ話し始める前でよかったと胸をなでおろす。
 さっさと帰ってきた三井くんはラーメンの乗ったトレーをテーブルに置いて座ると、割り箸を口にくわえてバリッと豪快に割った。

「ところでよ」

 オレは今日すげえ寒いと思っている、とラーメンを啜りながら三井くんが言った。
 確かに、夏が終わったと思ったら一気に寒くなってしまった。そうだねえ、と相槌を打つと、三井くんは「つまりオレが言いたいのはこういうことだ」と含みを持たせながら続けた。

「鍋が食いてえ」
「ふむ、なるほど。……ってそれ、もしかしてリクエスト?」

 ニヤリと口の端を上げながら、三井くんはコクンと頷いた。
 あれから彼は週に一回ぐらいの頻度でうちに夕飯を食べに来るようになった。正直、ごはんぐらい喜んで作る。気合を入れて作りますとも。
 だけど、うれしくて楽しいはずなのに心がざわざわするのだ。これはいったいなんなのだろう。
 いやだということは全く、それこそ微塵もない。三井くんと一緒にいるとたのしいし、気を遣わなくていいから疲れないし、ご飯を作ったらなんでも美味しいってモリモリ食べてくれて気持ちが満たされる。

「あ、でもいきなり言われても困るよな。予定とかあんだろ」

 今日はバイトないから大丈夫なんだけど、と返しながら、うれしい気持ちとモヤモヤする不思議な感覚の間で少しだけ言葉が詰まってしまった。
 三井くんは私のこと、どう思ってるのかな。手料理が食べたくなった時にそこそこのものを出してくれる食堂のおばちゃんとか、そういうポジションだろうか。
 ……だめだ、やめよう。これは完全に自虐だ。
 どうして自分で勝手にこんなことを考えてへこんでいるんだろう。三井くんが私のことをどう思ってるかなんて、気にする必要ないのに。
 同じ県から都内に出てきていて、同じ講義をとっていて、たまたま同じアパートに住んでいる同い年で同学年の人。彼にとっての私はたぶん、そんなかんじだろう。

「ボーッとしてどうした、大丈夫か?」
「う、ううん! ええとお鍋ね、任せなさい」
「よっしゃ、めっちゃ腹空かせとくわ」

 彼の無邪気な笑顔が私の中のなにかをチクチクと刺してくる。ゆっくりと胸をぎゅーっと握りつぶされるようなこの感覚はいったいなんなのだろう。
 ああもう、こんなよくわからないもやもやは心の中にしまって忘れてしまおう。気づかないふりをしていればいいだけだ。
 そんなよくわからない不愉快な気持ちよりも、夜ごはんを一緒に食べて、他愛もない話をする楽しい時間を期待する気持ちのほうが全然大きい。

「リクエストは?」
「任せる、オレはとにかく鍋欲がやべえ」
「何スか鍋欲って」
「……あ?」

 突然会話に混ざってきた彼は三井くんの背後に立っていた。
 茶色い髪と特徴的な刈り上げスタイルに、すこしいかつめの丸いサングラス。見た目はなんというか、かなりガラが悪い感じだ。三井くんもちょっと、いや結構目付き悪いけど。

「……なんだよ、宮城か」
「強面がラーメン啜ってんなーと思ってたら三井さんじゃん」

 振り向いて彼の姿を確認した三井くんは「うるせえ」と簡潔に一言。それからシッシッとサングラスの彼を追い払うようにジェスチャーをしたが、彼の方はそんなことを全く気にせずに三井くんの隣の席に座った。
 カバンを下ろした彼がサングラスを外す。サングラスで隠されていたその目は想像していたのとは違う、外見の割に気のいい感じがする目だった。

「どーも、三井さんの後輩の宮城リョータっス」

 彼は人懐こい笑顔を浮かべながら手を差し出してくる。私は彼こと宮城くんと握手をしながら「苗字名前です」と名乗った。

「つーかさ三井さん、オレ聞いてないよ」
「は? 何がだよ」
「いつ彼女出来たんスか?」

 報告しろよ、と宮城くんはニヤリと笑みを浮かべながら三井くんを肘で小突く。
 私と三井くんは思わず目を見合わせた。なんとなくわかった、どうやら彼は三井くんと私の関係を勘違いしているらしい。
 いつもよりもギュッと眉間に深い皺を寄せた三井くんは、バシッと小切れ良い音を立てて宮城くんの後頭部をはたく。

「ってーな! 照れてんじゃねーよ!」
「照れてねーよ! そもそもオレらはそういうんじゃねえっつの」

 三井くんはそう言うと、ものすごい勢いで私に向き直り「な? ちげーよな」と同意を求めてくる。私は「うん」とひとつ頷いてみせる。
 宮城くんは叩かれた頭をさすりながら三井くんと私を交互に見やり、訝し気な視線を向けてくる。
 正直そんなに必死に否定しなくてもいいのに、なんて思ったりして。

「……ふーん、まあいいけど。で、鍋って?」
「オメーにゃ関係ねえ話だよ」
「三井くんがお鍋食べたいんだって。だから今晩うちでやるの」
「ってオイ、言っちまうのかよ!」

 なにも考えずに答えた私に、三井くんから鋭いツッコミが入った。険しい顔をしている三井くんとは反対に、宮城くんはというと身を乗り出して目をキラキラと輝かせている。
 言っちゃダメなことではなかったと思うけど、なぜだか三井くんは不満そうだ。もしかしてこの二人、仲わるかったりするのかな。

「なにそれめっちゃいいじゃん、オレも参加する! ね、名前さんいいッスか?」
「は!? なんでだよ、つーか今おまえ」
「うん、もちろんどうぞ」
「やった! 部活の後だよね?」

 無邪気に喜ぶ宮城くんと、なにやら納得がいかない様子でムスッとしている三井くん。よろしくね三井さん、とはしゃぐ宮城くんは不機嫌そうな三井くんの背中をバシバシと叩いている。
 そんな微笑ましい光景を見ながら、私はさっきまでのよくわからないモヤモヤした重たい気持ちをそっと心の奥に押しやった。
 かわりに、冷蔵庫の中になにが入っていたかを思い出すことに集中することにした。
 オレも飯買ってこよ、と立ち上がった宮城くんに、いってらっしゃいと手を振る。少し伸びかけたラーメンを啜る三井くんの表情は相も変わらず仏頂面のままだ。

「あいつ、ホントうっせえな」
「宮城くん、気さくでいい子じゃん」

 そう私が言うと、眉間の皺をより深くした三井くんが「違う、あいつの名前は宮城生意気クソ野郎だ」と低い声で言った。

「高校ン時からオレのこと先輩だと思ってねえ」

 そんな拗ねた子どもみたいなことを言っている三井くんが面白くて思わず笑ってしまった。それを見た彼は不思議そうな顔をしていたけれど、正直なことをいったらまた機嫌を損ねてしまいそうだし「ううん、なんでも」と首を横に振って濁すことにした。
 何鍋にしよう。今晩は賑やかになりそうだ。


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