▽ いい夫婦の日ネタ ※ 三井くんが高校教師になっています。 - - - バスケ部の朝練が終わり、戻った職員室で自席のノートパソコンを開く。立ち上がったその画面、開いた検索サイトのバーに「今日は何の日」という文字を打ち込む。これは教師になってからのオレの日課だった。 11月22日、いい夫婦の日。なるほど、これもまた語呂合わせか。頭の中に浮かんだのはもちろん嫁である名前の顔だった。 今日も朝練に顔を出すために早朝から出かけるオレを「いってらっしゃい」と笑顔で見送ってくれた。 持たされた昼用の弁当はカバンの中に、朝飯用に渡されたふたつのおにぎりのうちひとつ、さいきん彼女がはまっているらしいおかかチーズは運転する車の中で食べた。もうひとつ残った方をマウスを滑らせつつかじると、こっちはいつも通りオレが好きな焼鮭だ。 ついつい口角が上がりそうにしそうになるのをこらえる。向かい合わせで座っている同学年を担任している先輩の女性教師に見せられる表情ではないことがわかっているからだ。 大学の頃から付き合い始めて、社会人になってすぐ同棲して、2年たってからプロポーズして結婚した。 名前と結婚して、夫婦になってからもう2年以上経っているのに、それこそ毎日一緒にいるというのにいまだにこんなにニヤけちまうってどんだけだよ、オレ。 職員室で行われる簡単な朝礼中、漏れ出てきそうなため息をぐっとこらえる。 体育祭や文化祭なんかの大きなイベントごとが終わってすっかり落ち着いた11月の末、朝礼は特に連絡事項もなく教務主任の「それでは今日もよろしくお願いします」といういつも通りの言葉で締めくくられた。 職員室を出ると、担任しているクラスの男子生徒とちょうどはちあう。ミッチーおはよー、なんてゆるい挨拶をかましてくるヤツの寝癖のついた後頭部を軽く小突きながら「先生をつけろっつってんだろ」と一言。 教員生活5年目といえど、まだ年齢的には28歳の若手である。他の先生らより生徒との歳が近いせいか、生徒たちはやたらとオレに対してフランクだ。 このあだ名で呼ばれるたび、懐かしくも苦く、そして決して忘れられない高校時代の記憶がありありと脳裏に蘇る。 「ミッチー先生、おはようゴザイマス」 「ちげーわ三井先生だろ。つーかもう予鈴なってんぞ、おまえオレより先に教室ついてねーと遅刻にしてやるからな」 「うわっ横暴だ!横暴教師ミッチー!」 そんなことを言いながらてててと駆け出すその生徒の背中に向かって「廊下は走んな!急いで歩け!」と声を投げる。 我ながら難しい要求してんな、と少しだけ苦笑いした。 * 「えー、というわけで文化祭も先週終わったところだが、再来週には期末考査があるからな。おめーら気ィ抜くなよ」 その言葉に、朝から眠そうにしている生徒たちが「うわあヤダあ」「思い出させんなよ」「期末を乗り越えないと休みが来ないなんて」「ミッチーは体育教師だから役に立たない」と各々悲痛な声を上げる。 オレの耳に届いた中にはちょっとイラッとくるような言動があったような気もするが、ここは大人としてそして教師としてグッと堪える。 期末考査。学生からしたらこの世でいちばん嫌いと言っても差し支えない言葉だろう。 オレがこいつらぐらいの時、ちょうど横道に逸れていたあの頃はそれこそ嫌いとかそういう以前にたぶん全く気にしていなかったと思う。どこまでも自堕落に、よくいえば自由に好きなように過ごしていたあの頃。 3年になってバスケ部に戻ってから、それまでの2年間でなにもかも適当に投げ出していたことに随分と苦しめられた。よくダブりもせずに卒業できたと思う。 「そんで今日は11月22日だが、なんの日だか知ってるやついるか?」 私たちが考えてる間にいつも三井先生が言っちゃうじゃん、という女子生徒の声に笑い声が上がる。 教師になってから5年、担任を持つようになってから4年。なんとなく始めたこれはいつの間にか三井学級における朝のホームルームの定番となっていた。 「ゴホン。…でだ、オレが調べたところによると今日はいい夫婦の日なんだと」 つまりオレとうちの奥さんみてーな夫婦の事だな、と笑いを取るために慣れない自虐を含んだボケをかましてみる。 一瞬だけシーンとした教室内だったが、すぐに「このおのろけ教師!」「朝からのろけてんなよミッチー」という声が飛んでくる。 うるせえ、この三井寿渾身のボケだぞ。 「以上!じゃあ今日もよろしくな」 いつもと変わらない朝、いつもと変わらないホームルームを終えて教室を出る。 ミッチー先生おはよーと声をかけてくる他のクラス生徒たち。もういちいち「三井先生だろ」と訂正するのも面倒くさくなって、おうと小さく手を挙げて応じる。 これもまた、いつもの朝のパターンなのだ。 * 「なあミッチー」 「ん、どした?つーかミッチーじゃねえ、先生付けろってんだろ」 3限は担任をしているクラスとその隣のクラスの授業だった。室内でのバレーボール、使ったネットやら立てたポールやらを体育委員と各クラスの日直が片付けるのを手伝っていた時に話しかけてきたのはとある男子生徒だった。 「ミッチー先生はさ、初めての彼女っていつできた?」 「だァから…あー、まあいいわ。そだな、中学ン時かな」 「それどんな人?」 「女バスの先輩、ひとつ上」 「いまの奥さん?」 「ちげーよ。うちのとは大学3年の時に知り合ったし同い年」 「へえ、そういうモンなのか」 中性的な顔立ちで、少し斜に構えたような表情をしているこの男子生徒の顔を見ていたら「こいつらぐらいの時のオレって端からみたらめちゃくちゃ悪そうな顔してたんだろうな」とふと思った。 あの頃の写真を見るのはちょっとしんどかったが、最近やっと笑える思い出として自分の中で昇華できたような気がしている。 封印するかのようにしまっていた高校時代の写真の中に今とは髪型も全く違う、えらく人相の悪い自分が映っているのを見たときは思わず噴き出してしまった。何にも縛られない、今にも噛みつきそうな表情でこちらを睨みつけている自分。 勢いで徳男に連絡して、それからその写真を酒の肴に当時つるんでた連中と調子に乗って朝まで飲み明かしたら、ベロンベロンになったオレは帰宅と同時に玄関先でゲーゲー吐くわ、二日酔いでその日は全く使い物にならないわで名前にめちゃくちゃ迷惑かけたっけ。 オレがこうして教師とバスケを教える道を選べたのも、そう決断してから背中を押してくれたのもアイツだった。 ああもう、どんだけ首ったけなんだっての。 オレだけめっちゃ好きみたいじゃねえか、悔しすぎる。 「ミッチー、もしかして奥さんに会いたくなっちゃったんだろ」 「あ?先生からかうんじゃねえ、ガキのくせに生意気なんだよ」 「ね、じゃ最後にもひとつ聞いてもいい?」 「ヘンな質問にゃ答えねーぞ」 「奥さんと初めてあった時さ、ビビッときた?」 なんかよく言うじゃん芸能人が結婚するときに会見とかで、と続けたそいつの顔を見ながら、オレはどうだったかなと思い出してみる。 ビビッときたとは違うけれど、そういえば最初に会った時から彼女には何かを感じていた気がする。 当時は高校生活において2年間を棒に振っていた後悔から、大学ではバスケをすることと単位所得以外には目もくれていなかったのに、そんなオレが彼女に対して興味を持ったのだからつまりそういうことだろう。 「……ヘンな質問すんなっつったろ、教えねえ」 「なんだよケチー」 「うるせえマセガキ。次の授業遅れんぞ、さっさと戻りやがれ」 ハーイ、といいながら体育館を去る男子生徒。 あのやろう、高校生のくせに女関係で悩んでんのか?モテそうな容姿してるもんなと思いながら、そういや高校時代にモテてるやつってのは大体ああいう中性的なタイプなんだよなとふと思い返してみた。 まあ、オレが頭の中に思い浮かべた人物は学生時代だけでなく、プロのバスケットボール選手となった今でも現在進行形でキャーキャー言われてるような男なのだが。 * それからあっという間に1日が過ぎ、部活が終わったのは夜の7時。職員室に戻ってこまごました事務仕事を処理していたら時計はいつのまにか8時を回っていた。それでもまだ今日は早く帰っている方だと思う。 なんやかんやで分刻みかつ、やることが盛り沢山でハードな毎日をこなしていられるのも、支えてくれるヤツが傍に居てくれるからなんだよなと改めて思う。 例えばオレが独り身だったなら、これから帰って適当なモンでも食って風呂に入ってただ寝る生活を繰り返すだけになっていただろう。 家に帰れば「おかえり」という言葉が返ってきてあったかいメシが食える。なによりも彼女が笑っていてくれる幸せを噛みしめる。 らしくもねえ、外が暗くてよかったと緩んでしまっている頬をぴしゃりと叩く。ニヤついてんのを生徒にでも見られたらまたいじられるに決まっている。 車に乗り込み、鍵を差し込んでエンジンを入れる。冷えた車内を温めながら発信履歴に残った番号を押し、携帯電話を耳に当てた。 少しの呼び出し音のあと「はーい」という毎日聞いている軽い調子の声。 「今から帰る。なあ名前さ、何か食いたいモンとかねえか?」 えっ夜ごはんもう用意しちゃってるよ、という不満げな声に「そうじゃなくてよ」と返す。 「甘いモン食いたいとかなんかねーの?」 「あっ、じゃあ大学の時に寿くんが買ってきてくれたケーキ屋さんのケーキとか!」 「バカ、遠いだろーが」 「ですよね」 冗談だよ、とたのしそうに笑う声。 「おまえ、今日何の日知ってるか?」 「今日?えーなんだろう11月22日…」 「オレが帰るまで考えてみて、正解したらケーキな。調べんのは禁止」 えー!と不満そうな声に、そりゃそうだろと返す。まあ、そんなことを言いつつオレはどこかでケーキを買って帰ってやる気満々だったりするのだが。 今日はいい夫婦の日。いつだってこいつにゃ感謝してるけど、何となくここまできたら恥ずかしくなって日頃言えない感謝の気持ちを伝えてみるのもいいだろう。 うーんとうなる名前の声を電話越しに聞きながら小さく笑う。眉根に皺を寄せて難しい顔をしている彼女の顔が頭に浮かぶ。 じゃあまたあとでな、と言って電話を切る。40分かそこらの後に、彼女は正解できるだろうか。ようやく温まってきた車内でオレはひとつ息を吐き、足元のアクセルを踏んで車を発進させた。 * (おかえり!あのね、わかったよ!) (おう言ってみ) (ズバリ、いいにんじんの日でしょ!2と20でこう、なんかにんじん的な…) (ハイ不正解ー!何言ってんだ無理やりすぎだろ、ケーキ没収でーす) --- GLITTER day. |