34.

(宮城視点)

「一次受かって、そんで今日二次面接ねえ」

 三井さんは、やると決めたら突っ走って本当にやり抜く男である。そんなことはオレもよーく知っている。まあ、本人には言わないんだけどね。
 オレが高校二年の夏。インターハイが終わっても、冬まで残って大学の推薦に引っかかりたいと目標を掲げたあの人は、それに向かってガムシャラに走った。技術を磨いて冬まで粘って、それで見事に推薦をもぎ取った。じゃあその次の目標はなんなの、と軽い気持ちで聞いてみたら「とりあえず、大学でもスタメン張れるようになることだな」とサラリと言ってのけた。
 湘北を卒業してすぐ、さっさと進学先の大学の近くのアパートへ引っ越した三井さんは、三月の半ばからチームに合流して練習に参加していたらしい。あの人はどこまでもバスケ馬鹿だ。
 これから始まるであろう、熾烈なレギュラー争いを勝ち抜くためにはどうすればいいのかということも、もうしっかりとあの人の中じゃ組み立てられていたのだろう。自分に足りていない部分をひたすら鍛える。スタミナとフィジカルだ。
 そんな中で、三井さんは一年ながら夏頃には既にベンチ入りしていた。その頃はまだ試合に出る事なんかなかなか無かったらしいけど、二年に上がる頃にはもうぼちぼちと交代要員として出場するようになっていたし、オレが入った年の夏頃にはスタメン出場も果たしていた。
 オレ、なんかまたアンタの後輩になるっぽいよ、と報告したのはオレが高校三年の夏の終わり。帰省していた三井さんは、OBとして湘北バスケ部の練習に参加していた。

「おっ、マジか! じゃあまた来年からよろしくな」

 正直微妙な顔をされると思っていたのに、反応はその真逆でなんだか毒気を抜かれてしまった。オメーがオレのことシゴきやがった半年のこと忘れてねーぞ、と相も変わらず憎たらしいセリフを吐き捨ててはいたけれど。
 もうすっかり大学生になっていた三井さんは授業を真面目に受け、部活はもちろん全力、且つ休みの日には走り込み。そんな毎日を送っていた。よく言えばストイックで、悪く言えば力を抜くところがわかっていなかったんだろうけど、とにかく後悔をしたくなかったのだろう。グレていた頃の三井さんを知っている湘北の教師なんかが今のあの人を見たら、きっと目を丸くして驚くに違いない。

「すごく頑張ってたんだよ、試験勉強も面接の練習も」

 上手くいくといいよねと、三井さんの彼女である名前さんが言う。
 教育実習から帰ってきてすぐ、ものの二週間も経たないうちに教員採用試験の一次試験が行われた。しかもなんとあの人はそれに通って、今日は二次試験の面接と模擬授業に臨んでいるというわけだ。

「あの人さ、そりゃ無茶だろって事でも、割りと乗り越えちゃうんだよね」

 だからなんか今回もなんやかんやで掴んじまう気がするんだよな、と独り言のように呟く。すると、名前さんは目を細めて柔らかく笑みながら「ありがとう」と言った。その表情をみてからハッとした。
 ねえ、いまオレもしかして、めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ったっぽくない? 三井さんのことすげー大好きな弟分みたいになってない? ちがうから! そこだけは全力で否定させてほしい、ちがいますので!

「ちょっと待って名前さん、今の三井さんに言うのだけはナシでお願いします。オレのキャラ的に今のはちょっとなかったわ」
「えー? 宮城くんがそんな風に思ってるって聞いたら喜ぶと思うけどなあ」

 頬杖をつきながら、珍しくニヤリと何かを企むように笑う名前さんに「このとーり!」と手を合わせて懇願する。三井さんのことだから、例えば本当に喜んだとしても素直に受け取らないで「なんで上から目線なんだよ、年下のくせに先輩を評価してんじゃねえ!」とか言うに違いない。

「冗談冗談、そんなこといちいち報告しないよ」

 私が心の中でひっそりにこにこするだけだから、と付け足していたけれど、オレにはそんな言葉は聞こえていないし聞いてない。そういうことにした。
 教育実習から帰ってきた三井さんは、ちょっぴり顔つきが変わっていた。なんつーか、進むべき道が見えて覚悟決めた男のツラ、って感じだった。悔しいけど、なんだよこの人カッコイイじゃんって思っちまった。
 ガッチガチなスケジュールの筈なのに、あの人はやっぱりバスケやってる時に手を抜いたりなんかしなかった。たぶんバスケだけじゃなくて、妥協するなんてこと自体、そもそも頭の中に選択肢として存在しないのだろう。
 たしか練習の休憩中かなんかだったと思う。ボソリと「三井さんがケガしないで高校三年間まるまるバスケやれてたらどうだったんだろうね」と話を振ってみたことがある。そうしたら、あの人は顎に手をあててしばらくウーンと神妙な面持ちで悩んだ後、ようやく口を開けた。

「……後悔はずっとある。けど、あの経験がっつーか、悔しさを知らなかったら今のオレはここにゃいねえと思うんだよな」

 二度とあんな悔しさ味わいたくねえって思ったから今があるっていうか、じゃなきゃ時間の使い方とか投げ出しちまうこととか、もっとたらふくあった気がすんだ。そう言ってから、オレの様子を伺うようにこっちに視線を向けた三井さんは途端に眉を吊り上げて「あんま見てんじゃねえ!」とそっぽを向いてしまった。
 挫折を知って強くなる。なるほど、今につながる通過点だと思ったらそれはそれでということか。なんか、少年漫画の主人公みたいじゃん。理不尽に集団リンチまがいのことを仕掛けてきた人と、今やこうして隣に座って談笑したり、同じチームでバスケをやっている。不思議な縁もあるものだ。

「まあ、後悔しないように全力でぶつかってんじゃねえかな」

 あの人にはたぶんそれしかできないし、そういう場面で器用な立ち回りができるタイプじゃない。試験官にガン飛ばしたり、突っ込まれてブチッといってないようにだけ願っとこうよ、と言ったら、名前さんは「そうだね」と楽しそうに笑った。

「オレも頑張らなきゃなーとは思うんスけどね。来年のこと考えてっと気持ち重すぎ、でも三井さんに人間力で負けたくなさすぎ」
「そうだよ、宮城くんも来年の今頃には私のように卒論に追われることになるんだから」

 そう言って両手の拳をぐっと握ってみせる名前さん。でもゴメンナサイ、どうか今は追い打ちかけるのやめてください。でもオレのエンジンがかかるように尻を叩いてくれるのはありがたいッス、マジで。カフェスペースの丸くて白いテーブルの上、溶けたアイスみたいに突っ伏したら、テーブルに当たった額がビリビリと痺れた。


 ***


(木暮視点)

 ああもうダメだ終わりだ、と嘆く高校時代の同級生の項垂れる姿を見ながら、そういえばこいつのつむじを拝む機会なんてなかなかないなあ、とのんきな事を考える。

「いいよなオメーは、あんまりこういう時に緊張するとかそういうのねえだろ」
「いや、普通にあるよ。三井はオレのことをなんだと思ってるんだ」

 そう答えたオレの顔をじっとりを見据えながら、目の前にいる三井は目を細め、納得がいかない様子で下唇を尖らせる。はあ、と盛大なため息をつきながら、シャツの襟もととネクタイを緩めている。
 神奈川県の教員採用試験の二次試験もとい採用面接。人柄を見るための面接と、実際の模擬授業を審査される。それをお互いに終えた今の時刻は午後の四時。精神的疲労でお互いヘトヘトになりながら、じりじりと焼けつくような日差しから逃げるようにとりあえず入った試験会場近くのカフェ。コップの中で四角い氷が溶けだしてカランと涼しげな音を立てる。

「だあもう! 終わっちまったことでうだうだしてるなんて男らしくねえ!」

 そう言って瞳の中にメラメラと燃えるような意志の強い生気を宿らせたかと思えば、またすぐに「いやちょっと待て、でもやっぱりあの場面でああ答えておけば」とか「あそこで一瞬固まっちまったんだよな」とか頭を抱えて唸り始める。普段は分けてほしいぐらいに自信満々なこの男が、珍しく弱気になって背中を丸めている様子を見ているのは不思議で、そしてちょっぴり面白い。
 もちろん、自分の方も満点と言えるような結果ではないし、体育科志望の三井とは違って社会科志望だから少しだけ倍率は低い。しかし、自信があるかと聞かれたら正直そこまではない。だから、目の前で情緒不安定にああでもないこうでもないと顔をしかめている男の姿を見ていると、逆に「まあいいか、もう終わっちゃったんだしな」と冷静になれる自分がいた。こんなこと言ったら三井はきっと怒るだろうから、そっと心の中だけにしまっておこう。

「まあもう終わったんだしさ、ひと段落ついたってことで」

 そっちも卒論やらなんやらあるんだろ? と声を掛けたら、バッと顔を上げた三井の眉間には深々と皺が刻まれていた。おお、相変わらず迫力あるな。

「ヤなこと思い出さすんじゃねーよ。あーあ、バスケやりてえな」

 アイスコーヒーをストローからズズッとすすった三井は、両肘をテーブルに載せて猫背になりながらひとりごとみたいに呟いた。三井はきっとずっとバスケットボールを続けていくのだろうと勝手に、そして漠然と思い込んでいた。自分でもう無理だと思ってしまうようになるまで高い場所で戦い続けて、汗をかいてガムシャラに走り続けるのだと。

「あ? ああ、まあ自分のためのバスケはとりあえずここまでって感じだけどよ、でもオレはバスケ辞めるつもりねえぞ。教採受かったらバスケ部の顧問やりてーと思ってるし」

 それにまだリーグ戦もあんだぜ、と目の前に座る三井は歯を見せて笑った。その言葉を聞いて安堵して、そして納得した。高校時代の後輩である桜木や流川、そしてこの三井なんかの様子を見ていると、時間は確かに動いていることを感じるし、人間はどんどん成長するし変わっていくのだということを実感する。

「バスケ部の顧問か、いいなあそれ」
「だろ? たぶんおまえもそういうの向いてると思うよ」

 そしたらよ、オレのチームとおまえのチームで対戦したりするかもしれないぜ、と楽しそうに笑う三井。そうなったら面白いな、と返したら、目の前の奴は「まあ、そうなったとしてもぜってえ負けねーけどな!」と鼻息荒めに言うのだった。


[*前] | [次#]

- ナノ -