9.

「結局あいつ、ずっとベンチでしたね」

 自分の膝に肘を乗せ、頬杖をつきながらカラカラと笑う仙道くん。結局最後まで福田くんの出番はなく、彼は終始イライラした様子でベンチに座ったままだった。
 試合結果は78対62でこちらのチームの勝利だった。一緒に観戦していた魚住くんや仙道くんが言うには、三井くん達のチームのコンディションがかなり良く、ボールの支配率と運動量が優っていた事、シュートの決定率が高かった事が勝因らしい。それはそれとして、だ。

「苗字、大丈夫か?」

 魚住くんが心配そうな声音で私の肩を優しく叩く。そうなのだ。困ったことに、私は涙が止まらなくなってしまっていた。

「ごめんね、全然大丈夫なんだけど……」

 魚住くんがくれた「鮨うおずみ」と書いてあるタオルで目元を抑える。鼻もぐすぐすしてきてしまったし、きっと目も真っ赤だろう。鏡を見るのがちょっぴり怖い。加えて魚住くんと仙道くんに迷惑と心配をかけて、申し訳なくて情けない気持ちでいっぱいだ。
 それがどうしてなのか、なんとなく自分ではわかっていた。感極まったのと、抑圧していた気持ちが溢れてしまった事が原因だろう。
 自分が三井くんのことをどんな風に思っているのかなんて、そんなこと本当はとっくに気がついていた。それなのに気づかないふりをして、自分で自分の気持ちを認められなかったのは彼がいちばん輝く瞬間を、その姿を見た事がなかったからだ。でも、それを見たら見たで今度はもう後戻りなんて出来なくなってしまった。
 気難しそうで強面なのに、くしゃっと歯を見せて子どもみたいに笑う姿も、言葉づかいは乱暴だし行動だって強引だけど、実はすごく優しくて意外に照れ屋なところも、バスケをやっている時の真剣な表情も、自信に満ちたガッツポーズも、全部全部どうしようもなく私の心を掴んで離してくれなくなっている。

「魚住ィ! 仙道ォ!」

 その怒鳴り声は背後にある観客席の入り口から聞こえた。
 何事かと振り返った私の視界に映ったのは、汗を拭うこともせず、息を切らした黒いユニフォーム姿の彼。ついさっきまで下のコートで試合をしていたままの姿の三井くんが、肩で息をしながら険しい表情でそこに立っていた。

「三井くん……?」
「おい、こいつらに何された!?」

 三井くんはずんずんと大股で客席の階段を降り、私の目の前まで来ると肩を掴んで間髪入れずにそう言った。試合を終えたばかりの彼の手のひらはとても熱い。

「三っちゃん!」

 近づいて来る応援団には目もくれず、三井くんは私の手首をガッと掴むとそのまま階段を上っていく。私は半ば引きずられる様に彼が今降りてきたばかりの階段を上る。未だゼェゼェと荒い息を吐いている三井くん。試合を観に来てたこと、いつ気づかれちゃったんだろう。
 手を引かれながらアリーナの外を歩く。すれ違う人たちの視線がとても痛い。当たり前だ、だってさっきまで試合をしていた選手がこんなところで、しかもユニフォーム姿のままで汗も拭かずに息を切らし、鬼気迫る表情で歩いているのだから。ましてや、私の腕を引っ掴んでいるともなれば尚更だろう。三井くんはその好奇の視線に気づいていなさそうだけれど、私はというと顔から火が出るほど恥ずかしくてたまらなかった。

「み、三井くん! 待って、あの、ごめんなさい、ちょっと痛い……!」

 ぱた、と歩みを止めた三井くんは、勢いよくぐるりとこちらを振り返る。途端にハッとした様子で自分が掴んでいる私の手首を見やると「わりぃ!」と弾かれた様に手を離した。

「……赤くなっちまってんな」

 本当に悪かった、と頭を下げる三井くん。大丈夫だよ、と私が言うと、彼は頭をガシガシと掻きながら近くのベンチに座った。それにならって私も隣に腰を下ろす。ずず、と鼻をすすったら、項垂れるように下を向いていた三井くんがこちらに視線を投げてくる。

「……つーか、なんでこんなとこにいんだよ」
「あとで実は観てたよってしようかなって思ってたの、ごめんなさい」
「いや、ちがう、責めてるんじゃねえんだ。ただなんつーか……クソッ、言葉が出ねえ」

 はぁ、と三井くんはひとつ息を吐く。

「手、悪かった。痛えだろ?」
「ううん、ぜんぜん平気」
「……あのよ、聞いてもいいか?」
「うん」
「目、真っ赤んなってる」

 何があった、とじっとこちらを見つめてくる三井くん。あまりにも恥ずかしくてつい目を逸らしてしまう。右手で顔を隠し、左手をぶんぶんと振りながら「大丈夫!」とだけ伝える。

「どう見ても大丈夫じゃねえだろ、あいつらと何があった?」
「ちがうの、二人とも本当に全く関係なくて、むしろ私が迷惑かけちゃったっていうか」

 三井くんがバスケしてるところを見てみたくて、でも実際に見たらあまりにもかっこよくて、キラキラしてて眩しすぎて、私はやっぱりこの人のことが、って自覚したら感極まって涙が止まらなくなりました。
 ……なんて、そんなこともちろん言えるはずがない。ぜんぶぜんぶ、それこそ心の中をすべて伝えてしまうようなものじゃないか。絶対に言えない。ましてや目の前にいるのは本人である。

「ええと……あのね、すごくすごく感動したの」

 三井くんは眉根を寄せ、目を細めて訝しげな表情でこちらを覗き込んでくる。
 ええい、もう言えるギリギリのところまで言ってしまえ、と私は半ばヤケになりながら、必死に脳みそをフル稼働させて言葉をつなぎ合わせる。

「三井くんのバスケしてるところちゃんと見てみたくて、魚住くんに観戦したいってお願いしたの。最初のシュートすごかった、それからずっとすごくてかっこよくて、そしたら感動してブワッてなっちゃって、なんでか涙止まらなくて」

 自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。語彙力がなくなって単語をつなぎ合わせたような稚拙な言葉しか出てこない。加えてすごいというありきたりなワードの連発。きっと頭のわるい女だなって思われてしまったに違いない。
 恥ずかしさのあまり、三井くんの方を見ることができなくて自分の膝の上に視線を落とす。意を決して横に座る三井くんのことをちらりと横目で盗み見てみたら、彼はカッと目を見開いて顔を真っ赤に紅潮させていた。そして、それは一瞬で私にまで伝染した。
 やっぱり私、ものすごく恥ずかしいことを言ってたんだ。

「……オレはバスケやってる自分に割りと自信あんだ」
「自信持ってなきゃおかしいぐらいすごかったよ」
「でも今な、ヘマしなくて良かったってめちゃくちゃ思ってる」

 まだ三井くんの耳は赤かったけれど、それには気づかないふりをした。だって、私の方が目は真っ赤でぐしゃぐしゃだし、鼻もぐすぐすさせているし、自分の方がよっぽど見られたもんじゃないということをわかっていたからだ。

「なあ、オレは、」

 三井くんが静かに口を開く。私は彼の方に向き直り、言葉を待ちながら首を傾げる。すると三井くんは二秒ほど目を泳がせてから小さく息を吐いて首を振った。

「……いや、なんでもねえ」

 よし、と言って勢いよく自分の腿を叩くと三井くんは立ち上がった。
 よく考えてみれば、試合が終わったばかりなのにこんなところにいるのはおかしい。そして彼の姿はユニフォームのまま。チームの方に戻らないといけないのは明白だ。そもそも、最初から私なんかに時間を割いているべきではなかったはずなのに。

「試合、観にきてくれてありがとな。でも今度来るときはちゃんと言うように」

 彼はそう言うと大きな手のひらで私の頭をぽんぽんと軽く叩き、ニッと歯を見せて笑った。その表情は今の私にはあまりにも眩しくて、それに頭の上に感じるあたたかい手のひらの感覚はちょっぴり刺激が強すぎる。女子が喜んでしまうコンボを何の気なしに平然と、そしてとても自然に叩き込んでくるのはやめて頂きたい。

「席まで戻れるか?」
「あ、う、うん! 大丈夫です!」

 オレが引っ張ってきたのに送れなくてごめんな、と謝る三井くんに、気にしないでの意味を込めてグッと親指を立ててみせる。彼は笑いながら私と同じように親指を立てて「じゃあな」と控え室がある方へと体を向ける。

「あ、えっと、試合おつかれさま!」

 言い忘れていた言葉におめでとうとありがとうの気持ちを込める。
 三井くん、ほんとにほんとにかっこよかった。私にキラキラした気持ちをくれてありがとう。それはまだ、ちゃんと言葉で伝える勇気がないけれど。

「おう、気を付けて帰んだぞ」

 そう言うと三井くんは駆け足で控え室の方へと向かっていった。その背中を見送りながら私もよし、と立ち上がる。魚住くんと仙道くんにちゃんと謝らないと。
 自分の気持ちを認めたら、なんだか体が軽くなった気がする。たくさん泣いたからだろうか。ああもうしょうがないなあって気持ちと、これからが楽しみな気持ちで心の中がものすごく前向きになっている。
 ぐっと拳を握り「よーし!」と伸びをしてから駆け足で観客席へ向かった。


[*前] | [次#]

- ナノ -