7. 「えーそれでは、乾杯!」 乾杯! という声と共に、あちらこちらでグラスがぶつかる音がした。私は一緒に来た友人とサングリアの入ったグラスを合わせる。 神奈川に戻ってきて実家に少し顔を出し、そのままクラス会の会場に来た。会場はお洒落だけど落ち着いた雰囲気のあるイタリアン居酒屋だ。立食形式だが、壁に沿って一応椅子が置かれている。 乾杯の合図のあと、彼女は早々に「ちょっとあたしみんなのとこ回ってくる!」と人の集まる場所へとずんずん入って行った。 私はそばにいた当時のクラスメイト達と会話をしたり、置いてある食べ物をつまんだりしていたが、始まって一時間も経つと少し疲れを感じ始めていた。空いている椅子に座り、ひとつ小さく息を吐く。 たった二年半しか経っていないのに、外見が変わっていて名前を言われないとわからないような人もいる。でもこうして当時のクラスメイト達と会話をすると、高校の頃に戻ったような不思議な気持ちになった。 今日は酔っ払ってしまってもこの間の三井くんみたいに心配して連れて帰ってくれるような人はいない。あんまり強くないんだし、飲みすぎないようにしなきゃ。 もともと明日はバイトがあるので、この会が終わったらそのまま東京のアパートに戻る予定だ。 グラスを持ったままぼんやり周りを眺めていたら、空いていた隣の席に人が座った。 「苗字、久しぶりだな」 存在感がありすぎるレベルの大きな体の彼の事はよく覚えている。というか、今日ここにくればもしかして話ができるのでは、と思って顔を出したのだ。 「魚住くん! 久しぶり」 「おう、元気そうだな」 高校時代、三年間同じクラスだったその人、魚住純くんは当時男子バスケ部に所属しており、三年生の時は主将でもあった。その見た目の割に穏やかな人柄の彼とは、当時から会話することも多かった。 そんな魚住くんがたまたまうちのクラスを訪れたひとつ年下の後輩である仙道くんをこっぴどく叱っていた時は「この人も怒ることがあるんだ!」と驚いた記憶がある。どうやらバスケが関わったりボールを持ったりコートに立ったりすると人格が変わるタイプらしい。 仙道くんは「魚住さん、特別オレに厳しいんですよ」と眉尻を下げながら言っていたけれど「それは期待の表れなんだよ、たぶん」と返した記憶がある。 「板前の仕事、どう?」 「仕事というかまだまだ名目は修行だけどな。何でも突き詰めようとすれば道のりは長いよ」 彼が言っていることが、今の自分の環境と高校時代のバスケットボールのことなのは明らかだった。 「そっちは大学どうだ?」 「三年にもなると講義も減って穏やか。けどもう就活始まっちゃうし憂鬱」 魚住くんは小さく笑いながら「そうか、そんな時期なのか」と言った。 「そういえばあそこは大学リーグの強豪でな、オレの世代でも何人か通ってるはずだぞ」 彼が言っているであろう人のことを、私はもちろん知っている。 「三井くんでしょ」 「そうだ、湘北のシューティングガードであいつのスリーポイントは脅威だった……って、なんで知ってんだ?」 「私、あの時の試合観てたもん。あと、実は最近知り合いになったの」 「なるほどな。で、どんな様子だ?」 「毎日練習大変そう。でも活躍してるみたいで学内誌によく載ってるよ」 週バスにも載ってるもんな、という魚住くんの表情から、彼がまだバスケを好きなことが伺い知れる。 週バスというのは週刊バスケットボールという雑誌の略称である。ついこの間は関東大学一部リーグの特集が掲載されていた。これまた魚住くんの後輩である相田彦一くんのお姉さんが記者をやっていて、神奈川出身の選手が若干贔屓されている雰囲気があるらしい。 大学の購買でたまたま見つけて、興味本位で中をめくってみたら、ユニフォーム姿の三井くんの写真が載っていたのでつい購入してしまった。そういえば、違う大学に通う仙道くんも載っていた。 「大学リーグの試合って、ルールとかなんにも知らない素人が観に行っても大丈夫かな……」 「ああ、そりゃもちろん」 「そっかぁ……」 三井くんの出る試合を観戦してみたいと、ここ最近はそのことばかり考えてしまっている。 もちろん純粋にちゃんとバスケの試合を観たい気持ちがあって、そして私が見たことのない、彼の彼たる大部分を占めるその姿をしっかりとこの目で見てみたいと思った。 ずっと知らんぷりを決め込んでいたこのぎゅっと苦しくなる気持ちの正体も、そろそろ認めてあげなくちゃいけない気がしているからだ。 「苗字、試合観たいのか? ちょうど来週オレもリーグ戦を観に行くんだが、よかったら一緒にどうだ?」 「えっ、ホントに!?」 願ってもないお誘いに私は椅子から立ち上がり、前のめりになりながら「是非ともよろしくお願いします!」と魚住くんの手を両手で握りぶんぶん振り回してしまった。 食い気味の私に驚いた様子の魚住くんだったが「お、おう」と苦笑しながら了解してくれた。 *** 「えっ! 名前さん、週末のリーグ戦観に来てくれんの?」 うん、と頷くと、前の席でオムライスを食べている宮城くんはニヤリと笑って「こりゃイイトコ見せないとな」と言った。 「あ、そうだ。このこと、三井さん知ってる?」 「ううんまだ。会えたら言おうと思ってるんだけど」 「それ、言わないでいいよ」 首を傾げた私の頭の上に浮かんだであろうクエスチョンマークは、どうやら目に見えるぐらいにわかりやすかったらしい。 宮城くんは人差し指を立てながら「あの人結構ムラっけあってさ、プレッシャーかかるとダメなんだよね」と言った。なるほどそういうことか。三井くん、見た目の割にナイーブらしい。 「カッコイイとこ見せようって気張りすぎて、試合中に空回ったらかわいそうだし。それに、サプライズで観てました! ってした方がなんか面白くないっスか?」 ニヤニヤしている宮城くん。表情でわかる、どうやらこっちが本音らしい。 まあでも、たしかにこっそり観に行くのってわくわくするかもしれない。悪いことをしているわけでもないのにちょっぴりドキドキする。ドッキリでもサプライズでもなんでもないけれど、そういうことを仕掛ける人ってこんな気持ちなのかもしれない。 週末楽しみだなあ、とひとりごとのように小さく呟く。 だけど、言葉とは裏腹に私のお腹のあたりはなぜだか無性にむずむずとしていた。 [*前] | [次#] |