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 恥ずかしいのであまり認めたくないけれど、昨晩の私の寝付きの悪さはさながら遠足前の小学生に相違なかった。
 マンションの前まで迎えに行く、という連絡と共に、指定されていた時間はなんと朝の七時。いったい何処に連れて行かれ、なにをさせられるのだろう。全く予想がつかない。
 寝ぼけた顔を冷水でピシャリと締めると、ぼんやりしていた脳みそがやっと活動を始める。鏡に映った自分の顔はどことなく緊張して見えて、誰かが見ているわけでもないのに恥ずかしい気持ちになってしまった。
 入念なスキンケアを施してからささっと化粧をして、言われた通りのラフな格好に上着を羽織る。天候は余計に浮かれてしまいそうなほどの晴天。まだ自分の気持ちの置き場に迷っていて悩ましい思いはあれど、やっぱりワクワクしてしまう気持ちは抑えられそうにない。
 マンションのエレベーターに乗り込み、エントランスを出る。眩しい朝日に目を細めながらぐーっと伸びをしてみたら、思わずあくびが漏れ出てしまった。車で移動するということだけは聞かされているので、助手席でうっかり眠ってしまわないように気をつけなくては。
 ものの二、三分もしないうちに目の前に停められた軽自動車のサイドウィンドウから、ひょっこりと顔を出したのは三井さんだった。

「おはようございます」
「よくぞ来たな」
「なんでラスボスみたいな口調なんですか」

 三井さんは楽しそうに笑うと、ちょいちょいとこちらに手招きをし、助手席に座るように促してきた。私はこくんと頷き、駆け足で助手席側に回るとドアを開きながら「よろしくお願いします、お邪魔します」と言って車へ乗り込む。

「一時間ちょいぐらい移動するぞ」

 やはり、到着するまで目的地の詳細は教えてくれないらしい。私がシートベルトを着け終えたのを確認した三井さんは「じゃあ出発すっか」とゆっくりアクセルを踏んだ。好きな人の運転する車の助手席に座っていてドキドキしない女性がいるなら、是非とも会ってみたいと思う。
 流れるラジオから聞こえてくるパーソナリティーの声やリクエスト曲、時々入ってくる渋滞情報なんかをBGMに、いつもの如く他愛もない会話を交わす。
 高速を降りてしばらく車を走らせた頃、視界に飛び込んできたのは陽の光に水面を反射させながら揺れている海だった。

「わー、海! いまの時期にもサーファーっているんですね!」

 時期が外れているので海水浴客の姿はない。朝の日差しでキラキラと光る水面の綺麗さにすっかり魅了させられてしまった私は、思わず子どものように感嘆の声を上げてしまった。

「波乗りにゃ季節なんてあんまり関係ねーらしいからな、もうすぐ着くぞ」

 海が見えた時、もしかして目的地はここなのでは、と思ったけれど、三井さんの口ぶりからするとどうやらそれも違うようだ。

「眠気、覚めたか?」
「え?」
「眠そうにしてたろ? 朝早くてわりぃな」
「あ、いや違うんです! ……ええと」

 ここまで言ってハッとした。この後に自分が続けようとしていた言葉は「ワクワクしちゃって眠れなかったんです」というセリフに違いなかった。しかし、さすがにそこまで正直に話すことは避けた方がいい。この人といると、ついうっかり口が滑ってしまいそうになる。
 というか、胸を借りてわんわん泣いてしまった後だし、出会いも出会いなので、もうなにが起きてもなにを言っても、という状態ではあるのだけど。しかし、そんな気持ちを三井さん本人に察されてしまうことだけはなんとか回避したい。

「なんだ?」
「……すみません、正直すごく眠かったです」
「素直で宜しい」

 視線を前に向けたまま、小さく笑う三井さんの声に少しだけほっとする。こうして付かず離れずの距離で交流できているだけで充分満たされている筈なのに、強欲な自分は「ずっとこうしていられたらいいなあ」なんて考えてしまう。きっとこの関係は近いうちに終わってしまうものだし、なるべく早めにそうするべきだと思っているのは他ならぬ自分自身なのに。
 付き合っているフリが終わっても、こうして遊んだりしてくれますか、と問う勇気も覚悟も、今の私にはこれっぽっちもないのだ。


***


 三井さんが車を停めたのは、小学校の駐車場だった。
 今日は土曜日なので空いているスペースが目立つが、どうやらこの場所は職員用の駐車場らしい。駐車するにしてももっと違う場所があったんじゃないですか、という言葉をグッと堪えて車を降りる。

「あの、目的地って……?」
「ここ」
「小学校、ですか?」

 三井さんは首を傾げている私を見遣りながら、なぜか得意げにニヤリと口角を上げてみせた。
 都内を朝七時に出発し、現在の時刻は八時過ぎ。一体この神奈川の小学校で朝から何を手伝えというのだろう。
 歩き始めた三井さんの半歩後ろを追うように歩きながら、私は初めて訪れた知らない土地の知らない校舎をまじまじと眺める。小学校の敷地内に入ることなんて、それこそ自分が小学校を卒業したぶりだ。
 冬を目前にした今の時期、地面に落ちた黄色い銀杏の葉を眺めながらノスタルジーを感じていたら、三井さんから「キョロキョロしすぎて転ぶなよ」と言われてしまった。

「あー、ミッチーせんせー来た! おはよーございます!」
「おう、おはよう。元気そうだな」

 たどり着いた体育館らしき建物の入り口で、そんな風に声を掛けてきたのは既に大勢集まっていた子ども達のうちのひとりだった。ひとりがこちらに気がつくと、それにつられる様にしてわらわらと子ども達が集まってくる。
 飛び交う挨拶に返事をしながら、子ども達の頭をぽんぽんと触っていく三井さん。これは一体どういう状況なんだろう、と余計に混乱してしまう。そして、子ども達から私に向けられている好奇に満ち満ちた視線は、あからさまなものと控えめなものが混在している。
 三井さんが体育館の施錠を解くと、子ども達はキャッキャと騒ぎながら体育館へと雪崩れ込むように入っていく。

「コラ! 靴はちゃんと揃えろっていつも言ってんだろ!」

 三井さんはまるで先生みたいな口調で声を荒げたけれど、その姿はなんだかとても生き生きして見える。履いていたスニーカーを脱いで内履きに履き替える三井さんに倣い、私もそれに続いて靴を脱ぐと、持ってきた屋内用の運動靴に履き替えた。

「ここ、オレの母校でよ。月に二、三回ぐらいミニバスのコーチやってんだ」

 運動会でのバスケの試合。とても素人には見えない動きで、八面六臂の大活躍を見せていた三井さん。彼曰く、この小学校にも昔はミニバスケットボール部が有ったのだが部員が減り、いつの間にか廃部になってしまっていたらしい。今も部という形態は取れていないが、時々こうしてボランティアで訪れては指導をしているのだという。

「それで私は一体どうしたら……?」
「ボール拾いとか、シュート練の時にボール出す役とかやってくれっと助かる。手ェ空いてる知り合い捕まんなくてよ」

 小学校に到着した時になんとなく察してはいたが、どうやら誰かの引越しを手伝わされるというわけではなかったようだ。運動神経にあまり自信のない私でも、それぐらいならまあなんとかこなす事ができそうで安心する。
 わかりました、と返事をして、気合いを入れるべく拳を握って見せると、三井さんは「あんま気張んなくていいからな」と言って私の肩を軽くぽんと叩いた。
 それにしても、ハッキリ本人に伝えたら確実に怒られてしまうだろうけれど、どちらかというと強面で無愛想で、言葉だって割と粗暴なこの人が、子ども相手にほとんど慈善活動のようなことをしているとは。やっぱり好きだなあ、という気持ちが更に大きくなってしまったことが、ほんの少しだけ悔しい。

「練習始める前に集合!」

 そう言って三井さんがパンパン、と二度ほど手を叩くと、着替えやら支度やらでバラバラに散らばっていた子ども達がこちらを取り囲むように集合した。私に視線を向けている子ども達が目を爛々と輝かせている様子を見ると、とりあえず歓迎はされているようだ。

「今日連れてきたこのねーちゃんはな、ゴリラ先生とか木暮先生とか刈り上げちびっ子先生みてーにバスケ出来るわけじゃねーんだ。だからあんま無茶言わないように!」

 はーい、という子ども達の揃った声。三井さんが私に視線を向け、小さな声で「適当でいいから自己紹介頼む」と言ったので、慌てて子ども達の方へと向き直った。

「苗字名前です、三井さんと同じ会社で働いています。ボール出すぐらいしか出来ないけど、今日はよろしくお願いします」

 そう言ってお辞儀をすると、パチパチと拍手が送られて、なんだかちょっぴり気恥ずかしい気持ちになった。大勢の子どもの前で挨拶をするなんて初めてのことだったので、突然の振りに一瞬たじろいてしまったが、とりあえずはなんとかなったようでほっとする。
 コグレ先生というのがおそらく誰かの苗字であることはわかったが、ゴリラ先生と刈り上げちびっ子先生というのは想像がつかない。名前から来るイメージだけが勝手に脳内で膨らんでしまう。それにしても、そこはかとない悪意を感じてしまうようなネーミングである。
 突然現れた得体の知れない大人への好奇心に満ち溢れたキラキラした子どもの視線に緊張しつつも、私の自己紹介が終わると早々に練習が始まった。
 三井さんに「しばらく適当なとこ座って見ててくれたらいいから」と言われたので、邪魔にならなさそうな体育教官室らしい扉の横にしゃがみこみ、練習を眺めることにした。
 練習は軽く体育館を流すジョギングに始まり、準備運動、二人一組で行うストレッチへと進み、二十分ほどでバスケの練習に移行していった。準備運動やストレッチの合間に聞こえてくる「いち、にー、さん、しー」という声の揃った掛け声に懐かしさを感じる。
 練習が始まって一時間ほどした頃、ようやく私の出番がやってきた。パスを受けてシュートする流れを練習をするらしく、私は定位置に立ったまま投げられたボールをキャッチしてパスを回す、という重要な役割を仰せつかる事となった。

「あの、パス出すコツとかってあります? 練習の邪魔になりたくなくて」
「そうだな、ボールキャッチしたら相手の胸の辺りめがけて出す感じで」

 そんな難しくねーよ、と言いながら私から二、三メートルほど離れた三井さんが「ほら」と持っていたボールをパスしてきた。思わず「うわ」と声を上げてしまったが、なんとかボールを取りこぼさずキャッチすることに成功する。

「ナイスキャッチ。で、それをそのままパスだ」

 いつの間にか、先ほど私にボールをパスした場所よりもゴール付近に近寄っていた三井さんが、パスを受けるべく手を挙げている。
 胸めがけてパスを出す、胸めがけてパスを出す。心の中で何度も念じながら、両手で押し出すようにボールを放つと、それは思いのほかしっかりと三井さんの手の中へと収まった。私のボールを受けた瞬間、三井さんは既に体制を整えてシュートモーションに入っており、音もなく静かに彼の手を離れたボールは、私に瞬きする暇さえ与えずにゴールへと吸い込まれた。

「優秀優秀、そんな感じでいいからよ」

 三井さんはそれだけ言うと転がっていったボールを拾い、小脇に抱えながら「シュート練始めるから並べ!」と声を張った。
 私はと言うと、たった今見たその光景にすっかり感動してしまっていた。傍から見れば、とんでもなく間抜けな顔をしていたに違いない。もしかして、三井さんはわざと私の心をざわつかせてはその様子をこっそり楽しんでいるのではないだろうか。
 これ以上一緒にいたらどんどん好きになってしまう、後戻りできなくなってしまう。そう思っていた。けれど、もうとうに後戻りができる地点を通り越してしまっていたようだ。
 雑念を振り払うべく小さく首を振る。三井さんと行った事前練習の感覚を忘れないように脳内で反芻させながら「胸の辺りをめがけてパス」と小さく声に出して呟いた。
 
 シュート練習やパス練習が終わると、今日最後のメニューらしい紅白戦が始まることになった。四年生だという女の子と一緒に得点係をやることになった私は、体育館にある備品室から引っ張り出した少々年季の入った得点ボードをガラガラと押している最中である。得点ボードはめくるタイプのもので、尚且つかなり錆びついており、押す度にギコギコと軋む。

「このボード、古くてうるさいの」

 私の前で得点ボードを引っ張っている女の子がそう話しかけてきたので「喋ってるみたいでちょっとだけ面白いね」と返してみたら、彼女は目をパチクリとさせてから「ほんとだ!」と楽しそうに笑った。
 得点ボードを配置すると、男の子二人がパイプ椅子を運んできてくれたので「ありがとう」と礼を言ってから得点ボードの両脇に置く。

「ミッチー先生が女の人を練習に連れてくるの、はじめてなんだよ。いつもはアカギ先生とかコグレ先生とかリョータ先生とか、男の人ばっかり」

 ビブスを着用しはじめたり、転がったままのボールを片付けたりと紅白戦に向けての準備が進んでいく様子をぼんやり眺めていた私は、突然のことに思わず「え?」とちょっぴり間抜けな返事を返してしまう。

「あのね、だからわたし、わかっちゃった!」

 そう言ってちょっぴり悪戯っぽく笑う彼女に向かって首を傾げて見せると、彼女はひそひそ話をするように口元に手を当て、私の耳元に顔を寄せてきた。

「名前おねえちゃん、ミッチー先生のカノジョでしょ?」
「え!? ちがう、ちがうよ! ほんとうに同じ会社ってだけで」
「わたし、ちゃんとひみつに出来るよ! だれにも言わないもん!」

 完全に勘違いされてしまっている。そしてこれは、否定すればするほど盛り上がらせてしまうに違いない。何と返事をしようか悩んでいるうちに、いつの間にかなんだなんだと何人かの子ども達が周りに集まってきてしまっていた。

「それ、おれも思ってた!」
「ミッチー先生ってカレシとしてどうなんですか?」
「もうチューした!?」
「どっちから好きって言ったの!?」

 どうしようかとウダウダしているうちに、すっかり大騒ぎになってしまっていた。なるほど、最初から感じていた好奇心に満ち満ちた視線はつまり、そういう事だったのか。

「三井さんと私は同じ会社なだけで、一緒にごはんを食べたり、遊びに行ったりする友達なの。だから付き合ってるとかじゃなく」

 みんなが男の子と女の子ごちゃ混ぜでバスケしてるのと同じだよ、と苦し紛れに言ってみたものの、子ども達は未だに半信半疑且つ納得のいかない視線を向けてくる。
 きっと、私がここで否定せずに「そうだよ」と言ったとしても、三井さんがそれをとやかく言うことはないだろう。寧ろ、本当は肯定するべきだったのかもしれない。この間、会社の受付でも同じような状況になってどう答えようか悩んだばかりだった気がする。

「ミッチー先生って仕事できるの?」

 それはこの流れを変えられる、そして子ども達の意識を逸らす事も出来るナイスな質問だった。思わずその質問の主である男の子を「ありがとう!」と抱きしめそうになったが、なんとかその衝動を抑える。

「三井さんと私は働いてる部署……ええと、クラスが違うみたいな感じだから詳しくは知らないんだけど、周りからはすごく頼られてるみたいだよ」

 そう答えると、子ども達は目を輝かせながら「すげー!」と口々に感想を述べ始める。
 この反応を見るに、というか最初からそんな気がしていたが、三井さんはこの場にいる子ども達にものすごく好かれているようだ。そうでなきゃ、部活でもないのに子ども達がこんなにも集まってくるわけがない。

「バスケも上手いのに仕事もできるんだ!」
「スリーポイントもすげー入るもんな!」

 それがバスケットボールの用語であることは何となくわかったが、どのような技術なのかがわからず、私は思わず「スリーポイント?」と繰り返すようにその単語を口に出していた。

「あの線からシュート決めるの、入ったら三点」
「え、あんなところからシュートが入るの!?」
「うん、ミッチー先生のとくいわざ」

 そういえば、会社の運動会でもあの位置からバカスカ得点を決めていたような気がする。そのたび嬉しそうに、無邪気な子どもみたいな表情でガッツポーズをする三井さんの姿を思い出しながら、あの時はまだこの気持ちに気づいていなかったんだよなあ、と他人事のように思う。今となっては、もう既に少しずつ惹かれていたに違いない。

「おいおめーら! あんまりねーちゃん困らせんなよ、準備出来たら試合始めんぞ!」

 ボールを小脇に抱えながら、大股でこちらにずんずんとやってきた三井さんがそう言うと、子ども達は「はーい」と返事をする。

「せんせー! スリーポイント決めたら、名前姉ちゃんが褒めてくれるって!」

 眉間に皺を寄せた三井さんと目が合う。大げさな手振りで、慌てながら「そんなこと言ってません」という意味を込めたのジェスチャーをして見せるが、先ほどの子どもの一声で周りは既に大盛り上がりである。

「そうか、そんなにオレの華麗なシュートが見たいのか」
「言ってないですってば!」

 三井さんは顎に手を当てると、満更でもない様子で「しょうがねえなあ」とか何とか言いながら、スリーポイントのラインへと進んでいく。その位置にたどり着いてからこちらに向けられた視線には、自信に満ち満ちたものが溢れていた。
 タン、とその場で軽く跳んだかと思うと、流れるような動きで右手からボールが放たれる。手元を離れたボールは意思を持っているかのように、最初からそうなることが決まっていたかのようにパシュ、と小切れの良い音を立ててゴールを抜け、体育館の床へと落ちた。
 それはおそらくたった一秒にも満たない短い時間で、いっそ瞬間と呼べるようなものだったに違いない。けれど私には、三井さんが跳んでからボールがゴールを抜けるまでがスローモーションのように感じられた。
 鼓動が早くなって、胸の奥がぎゅーっとなる。私の中で生まれてしまった彼への「好き」を自覚させられるたび、この気持ちを伝えられたらどんなに楽だろうかと考えてしまう。
 ぼーっと見惚れてしまっていたことに気づいたのは、子ども達の歓声が耳に届いてからだった。ハッとして慌てて拍手をすると、三井さんは得意げに口角を上げてから「じゃあ紅白戦始めんぞ!」と二回手を打った。


***


 練習は昼前に終わり、片付けが終わると帰宅前の子ども達に囲まれてしまった。

「名前お姉ちゃん、また練習来る?」

 そう問われたことは素直にうれしかった。小学生と戯れる機会なんて今まで皆無だったし、最初はどうなる事かと思ったけれど終わってみるとあっという間で、そしてとても充実していた。うん、と即座に頷きたかったけど、それがおそらくもう叶わないであろうことを、なんとなく察してしまっている自分がいる。付き合っているフリをやめた私たちが、その後もこうして交流する確証なんてどこにもない。
 そして私は、今日更に強く思ったのだ。やはり、あまり長い間この関係でいるべきではないのだと。
 ほんの少しの間を置いて「また呼ばれたらね」と返事をした。家路に着く子ども達に「さようなら!」と声を掛けられるたび、それにひとつひとつ返しながら小さく手を振る。
 三井さんは体育館を施錠しながら「メシでも食って帰ろうぜ」と言い、私がこくんと頷いたのを確認すると駐車場に向かって歩き始めた。

「で、いつ褒めてくれるんだよ」

 うう、やっぱり来たか。三井さんが言っていることが先ほどのスリーポイント成功の件であることはすぐに分かった。あの時はそのままなあなあで紅白戦が始まってしまったので、こっそりホッとしていたのに。

「……すごかったです」

 事あるごとにキュンとしてしまったり、好きだってことを自覚させられるのが悔しい。しかし、そんなことはとてもじゃないが白状出来るわけがない。それらの思いを幾重にも厳重にしまい込んで、ようやく出てきた言葉がそれだった。

「なんで納得いかねー顔してんだよ」
「いや、なんか悔しくて」
「あー、苗字さんは全く入んなかったもんな」
「あんなの私みたいな素人に入れられるわけないです!」

 紅白戦のあとで、私もちょっとだけスリーポイントとやらに挑戦してみたのだが、決まるどころかまず届かず、ゴールにボールが触れることすら叶わなかったのだ。
 実際にやってみると、それが如何にすごい技術であるのかよくわかった。なので、ときめいてしまったのも仕方ないことなんだ、と思い込むことにした。そうでないと、いちいち心を乱されていることが悔しくて悔しくて堪らなかったからだ。

「……でも、ありがとうございました。今日はすごく楽しかったし、それに」

 やっぱり三井さんのこと好きだなって思っちゃいました、とうっかり口に出しそうになったのを、寸でのところで堪えて口を噤む。すると、三井さんは眉間に皺を寄せながら怪訝そうに首を傾げた。

「ええと、だからお昼代は私が持ちます! ガソリン代と運転代と日頃の感謝と、スリーポイント成功と、あと楽しい気持ちをいただいたお礼ということで!」

 それを聞いた三井さんは、キョトンとした表情で立ち止まった。しばらく微動だにせずじーっと私のことを見据えていたので、どうかしたのかと首を傾げて見せると「いや」と一言だけ言って顔ごと視線を逸らしてしまった。

「……そんじゃあ、今日は甘える」
「そうしてください、結局いつも私がランチご馳走になっちゃってますし」

 どうしようもなく切ないけれど、この人を好きになって良かったと思う気持ちに嘘はない。
 好きを自覚して重ねるたびに、実ることもなく伝えることも出来ない想いに苦しくなるけれど、どうあがいても募っていってしまう気持ちの存在はもう、認めて許すしかないのだということにようやく気がついた。
 付き合っているフリは、やはり私から切り出して終わりにしなければいけないと思う。これ以上彼に気を遣わせることや、迷惑を掛けているという事実が申し訳なくて堪らないからだ。この関係を解消しても変わらず普通にごはんに行きましょう、という言葉を伝える勇気が出てくるまで、もう少しだけご迷惑をお掛けします。
 そんなことを考えながら、促されるまま助手席へ乗り込み、シートベルトを掴んだ。



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