▽ 番外編
※ プロ二年目の仙道さん。最終話より少しあとぐらい。

- - -

 マンション近くのコンビニエンスストアの中、雑誌が陳列されているエリアの前で私は両手で口を抑え、驚愕の声が喉の奥から漏れ出そうになっているのを何とか堪えていた。
 その雑誌は普通の女性向け雑誌である。今をときめく男性俳優やスポーツ選手なんかが表紙を飾り、ほんの少し過激なあおり文と肌色成分多めの写真は度々話題に上がることがある。
 そんな雑誌の表紙をまさか自分の彼氏が飾ることになるなんて、果たして誰が想像が出来ただろうか。まあ、出来なかったから私はこうして硬直してしまっているわけですが。
 表紙にいる彰くんは、うつ伏せの状態で白いシーツに埋もれながらどこか熱を持った視線をじっとこちらに向けている。
 いやもうこんなの成人向け雑誌じゃないとおかしいよ、と大声で叫びたいのを必死で堪えながら、私はゆっくりと呼吸を整えるように目を閉じる。
 深呼吸、吸って吐いて、また吸って。よし、と心の中で謎の気合いを入れると、雑誌の中からこちらに視線を投げかけている彼と意を決して対峙することにした。
 彰くんが、こんな知名度のある雑誌の表紙飾っちゃうなんて。
 今度は感極まって目の奥がじんわりと熱くなってくるのを感じる。驚いたり動揺したり感動したり、たかだか一分足らずの間に私は感情のジェットコースターにぶん回され続けている。
 男のココロとカラダ、というあおり文が大きめのフォントで配置されている雑誌を手に取る。目次を見ると、どうやら巻頭から数ページほど表紙と同じコンセプトのグラビアとインタビューが掲載されているらしかった。
 ほんの少し中を開いてみようと試みたものの、とてもじゃないがこの場所でこれ以上先のページを捲って読み進めていく勇気なんて私には無かった。

「ありがとうございましたー!」

 背後から店員にそう声を掛けられながら自動ドアを通り抜ける。私は手に持ったビニール袋の重みを感じつつ、ゆっくりと深呼吸をした。
 そう、先ほどの雑誌を購入してしまったのである。しかも、なんとなくそれだけを買うのが気恥ずかしかったので女性向けファッション雑誌を重ねるなどという成人向け雑誌を買うのを何とか取り繕いたい人の行動を正しく辿ってしまったのだ。
 やましい内容の雑誌ではないのにそのような行動を取ってしまったのは、表紙を飾っている人物があられもなく色気を垂れ流しにしていたせいだ。仕方ない仕方ない、と理不尽に彼へ責任を転嫁しながらうんうんとひとりで頷いてみる。
 コンビニから自宅マンションまではものの200メートルしかないのであっという間に辿り着く。加えて、心なしか早歩きになってしまっていたのも関係しているかもしれない。
 そこで私は思い出した。仕事が終わり、最寄り駅から家までの帰り道でコンビニに立ち寄ったのは例の如く甘いものを食べたくなったからだったのにそれを買わずに出てきてしまったという事を。
 だって、表紙を飾る彰くんの姿があまりにも衝撃的すぎたんだもん。考えていたことが頭の中から全部吹っ飛んじゃったって仕方ない。
 誰に聞かれているわけでもないのに脳内でそんな言い訳をして己の行動と甘味を買いそびれた悔しさを紛らわしながら、ため息をつくのと同時にエレベーターのボタンを押す。

「名前さん」
「うぎゃあ!」

 いきなり声を掛けられた事に驚き、更に驚いたせいで自分の口から飛び出てきた声に自分でびっくりして咄嗟に両手で口元を覆う。うっかり手を離してしまい、持っていたコンビニの袋が足下に落ちる。

「ごめん、そんな驚くと思わなくてさ」

 申し訳なさそうな声音ではあるが、彼もとい彰くんはどこか楽しそうな表情を隠し切れていない。
 こちらを覗き込んでくる彰くんの頭の先から爪先までを凝視しながら、私は飛び出しそうだった心臓が通常モードに戻るまで言葉を発することすら出来ずにいた。

「大丈夫?」

 私に合わせてほんの少し腰をかがめながら小首を傾げる彰くん。私は高身長な彼が見せるそんな柔らかくて穏やかな仕草が大好きだったりするのだが、今だけはちょっぴりムッとしてしまった。

「ごめんごめん、怒らないで」
「……怒ってないです、ただ」
「ただ?」

 驚かされたのもそうだけど、いきなり本人が現れたから二重に驚いてしまったことを白状するわけにはいかない。咄嗟に首を振って「なんでもないです」と返して視線を彼から外す。
 上の階から降りてきたエレベーターの扉が開き、そこで私はようやく足元に落としたままのコンビニの袋の事を思い出した。
 しかし、それよりも早く動いていたのは彰くんの方だった。彼は「よいしょ」と言いながら腰を折ると、私が落とした袋をひょいと拾い上げた。

「……あ、これ」
「え!? あ、ちょっと、だめです!」
「もう発売してたんだ」

 一気に顔が熱くなるのを感じる。そういうことに興味が出てきた男子学生が隠していた成人向け雑誌を母親に見つけられてしまったみたいな気持ちって、きっとこれと似たような羞恥心な気がする。
 私は慌てて彰くんからその袋を引ったくると、ぱたぱたとエレベーターの中へと駆け込んだ。続いて乗り込んできた彰くんがエレベーター内のボタンを押すのを見遣りながら、私はぎゅっと結んでいた口を緩める。

「……この表紙の彰くん、あんまりにもカッコいいから」

 買わずにはいられなかったんです、と私は言い訳みたいにモゴモゴ言いながら視線を彰くんから自分の足元へと落とす。

「名前さんにそう言ってもらえるなら、その仕事受けてよかったってめちゃくちゃ思えるよ」

 彰くんはいつもの柔らかいトーンでそう言うと、私を覗き込みながら目を細めて微笑んだ。彼は「照れちゃってんの、すげーかわいい」とか言いながら私の頭をぽんぽんと2度ほど撫でたので、私は再び自分の頬が紅潮していくのを感じた。
 部屋がある7階に到着して、私たちは一緒にエレベーターから降りる。

「オレ、こういうの初めてだったから全然わかんなくてさ。どうやったらいいですかってカメラマンさんに聞いたんですよ」

 その時の記憶を辿るように話し始めた彰くんを見上げながら、私は首を傾げる。

「そしたら、奥さんとか彼女とかそういう大事な相手がレンズの向こうに居るって思い込むといいって言われて」

 さすがの私にも彼の言わんとしている事を察することが出来た。
 表紙の中にいる彰くんは、とてもグラビアのような事が初めてとは思えない色気とオーラを発していた。そして、その表情を作るために彼が何をしたのか。

「だからここに写ってる写真、全部名前さんが横にいると思いながら撮ってもらってた」

 この人は私を照れさせる天才か何かなのだろうか。すっかり硬直してしまっている私の事を見下ろしている彰くんは、照れる様子もなくさらりとそんなことを言ってのけてしまうのだ。
 たどり着いた自分の部屋の前で、彰くんの顔を見上げながら勝手に緩んでしまいそうな口元に必死に力を入れている私の顔はきっとすこぶる間抜けなことになっているに違いない。
 私はようやくカバンの中から部屋の鍵を取り出し、鍵穴に差し込みながら横にいる彰くんに視線を向けた。
 
「彰くん、私がバタバタしてるの見て楽しんでるでしょ」
「んー……怒らないでね」
「はい」
「すっげーおもしろい」

 ムッとすらしなかった。なぜならば、怒るどころかもう私の完敗だってことは自分がいちばんよくわかっていたからだ。
 そうですよ、どうせ私はこの人と知り合った時から付き合うまで、というか付き合ってからだってびっくりもドキドキもときめきも与えられっぱなしですよ。

「あれ? っていうかここ8階ですけど」

 ボタンを押しそびれたのかと問うと、彼はほんの少しいたずらっぽく笑むと「バレたか」と言った。

「せっかくいいタイミングで会えたから、お邪魔したいなーとか思ってたりしてまして」

 本当はひとりでこっそり雑誌の中身を改めたかったけれど「ダメかな?」なんてかわいらしく問われてしまうと首を横に振ることなど私には到底無理なのである。
 じゃあその雑誌一緒に見ようよ、とこちらの気も知らず言った彰くんに気づかれないよう、小さくため息をつく。

「ていうか、名前さんはいつだってオレのハダカぐらい生で見られるんだから雑誌見るのはあとでもいいんじゃない?」
「そういうことじゃないの! っていうか心読まないで!」

 思いっきり顔に書いてあるよ、と楽しそうに笑う彰くんの表情を見ていたら、悔しいのも恥ずかしいのもなんだか全部どうでもいい気持ちになってきた。
 雑誌の人のグラビアをその本人が横にいる場所で開くなんてとんでもなく愉快な絵面だな、と半ばやけくそになりながら玄関の扉を開けた。

(20220206)



- ナノ -