epilogue.


(仙道視点)

 賑やかという言葉を絵に描いたような後輩が、目の前で言葉を失っている。おそらく、頭の中にはあれやこれやと疑問や言いたいことが浮かびまくっているだろうに、それが詰まりに詰まって出てこない、みたいな状態だろうか。
 今やスポーツ記者となった後輩こと相田彦一が驚愕の表情を浮かべたまま硬直しているのを見据えていたら、その滑稽な様子が急に面白くなってきて腹の奥から笑いがこみ上げてくる。
 それを我慢できず、思わず噴き出してしまったら、彦一はようやく「ぜ、全然気づかへんかった……」と珍しくか細い声で言い、そのまま机に項垂れる。
 数秒そうしていたかと思うと、ばっと体を起こし、今度は机に乗り上げんばかりのものすごい勢いでこちらに向かって前のめりになる。

「ボクの尊敬する先輩同士がお付き合いしとるなんて! ああ、なんでいままで気付かへんかったんやろ! すごい、すごすぎるで! これは大ニュースや!」

 いや記事にはすんなよ、と念のため釘を刺すと、彦一は「しませんて! 仙道さん僕を鬼か何かと勘違いしてはるんですか!」と声を荒げた。

「いやあ、仲良しやなあとは思とったけど……いつからなんです?」
「んー、年末ぐらいかな」
「ね、年末て! 半年以上前やないですか! なんで言うてくれへんかったんや!」

 もっと早よ知りたかった! と喚き散らす彦一をまあまあと嗜めつつ「でも人には全然言ってねぇから彦一が最初だよ」と言うと、彦一はこれ以上ないってぐらいのニヤニヤした笑みを浮かべながらようやく落ち着いた様子で席に座り直し、ゴホンと改まって咳払いをする。

「苗字さんもぜんぜんそんな様子出しとらんかったですよ……。ハァ、でもホンマめちゃくちゃ嬉しいです! 末長くお幸せに!」

 いやそんな結婚するとかそういう報告じゃねえんだから、と苦笑いしながら言うと、彦一はキョトンとした様子で「へ? せえへんのですか?」とあっけらかんと言うのだった。

「んー……。まあでも実は、オレもう名前さんのここ、予約しちゃった」

 そう言いながら示したのは左手の薬指。その意味を察した彦一は、再びまたニンマリとした笑みを浮かべて立ち上がると、盛大に拍手をし始めた。
 この間のシーズンを終えて一ヶ月。梅雨も半ば、六月の終わりに近づいたこの頃は、各自トレーニングや軽い調整なんかで済ませている。
 オレは有難いことに来シーズンもこのチームと契約することになった。あと二ヶ月と少しすれば、また忙しなく目まぐるしいリーグ戦が始まる。もう来月にはチームも本格的に始動するし、ファン感謝祭なんてものも催される。
 去年は試合後、ファンにサインをねだられるたび適当に思いついたサインをしていたら「仙道選手のサインは毎回違っている、決まってないらしい」とちょっとした話題になってしまった。ちゃんと統一しろ、とマネージャー直々に言われてしまったので、今はサインの練習なんかをさせられている。小学生の書き取り練習みたいだな、と思った。プロってのは大変だ。
 と、まあシーズン中に比べたら穏やかなシーズンオフである。
 この間、たまたま休みが被っていたので名前さんと外をぶらつきながら、視界に入ってきたシンプルな外装のシルバーアクセサリーショップにふらりと入ってみた。そこで見つけたのは、華美でなく、小さなブルーの石がさりげなく埋め込まれたいい感じの指輪だった。
 シルバーって汚れちゃうから定期的にクロスで磨かないと黒くなっちゃうんですよね、とぽやぽやしていた名前さんの左手を引っ掴み、その指に指輪を嵌める。
 驚いた表情のまま自分の指先を凝視している名前さんは、指輪の嵌められた自分の左手薬指とオレの顔とを交互にみやりながら「これはどういう……?」とか細い声で言った。

「オレが予約したって証拠。魔除け……いや、虫除けかな」
「虫除け?」

 そうなのだ。この真面目うっかりお姉さんは、聞き上手でテキパキしてそうに見えるのに、どこか放っておけない危うさのギャップで何気に我がチーム内にて隠れファンを獲得している。
 うちのチームでこれなんだから、他所のチームでもなかなかの人気を得ているに違いない。
 名前さんがオレから離れてくとか考えたくないし、離すつもりも離れるつもりもないけれど、それでも寄ってくる奴らを軽く牽制することぐらいは出来る。その意味で「虫除け」なんて言葉を使ってみたけれど、まあ見ての通りこの人は自分に結構な数の矢印を向けられていることになんて気付いてもいない。今のところはこんなのでいいか。それになんか、ビビッと来ちゃったし。

「ちゃんとしたヤツ買おうってなるまで、これ付けててくださいね。あ、お姉さーん、これ欲しいんですけど」

 えっ、と目を丸くしてぱちぱちと瞬きを繰り返す名前さんにニッコリと笑いかけたまま、奥から「はーい」と出てきた店員のお姉さんに名前さんの指ごと差し出して「これ買います」と言った。
 そんなのがたしか一週間前。それから、会うたびに名前さんの左手を盗み見ると、彼女はちゃんとその指にシルバーのリングを嵌めていた。これで完全に予約完了、って感じだ。

「なあ、おまえ見た? 苗字さんの指……」
「そりゃ彼氏ぐらい居るだろ、にしても」

 結婚って感じじゃないし、彼氏の方は割と独占欲強いヤツなのかもしれねーな、なんていうチームメイトの会話を横から拝聴しながら、とりあえず牽制できたかな、なんて思っているオレがその「彼氏」だってことは全く悟られていないみたいだ。

「仙道も苗字さん好きだろ!? 好きだよな!? ショックだよな……!?」

 いきなり振られた会話に「へ?」と間抜けな声を上げてしまう。そっか、オレって側から見たら名前さんファンのひとりって感じなのか。

「あー、えっとハイ、そうですね」
「まああんだけかわいいんだもんな、彼氏いないほうがおかしいか……」

 その彼氏っての、オレなんですけどね。そんな言葉をぐっと飲み込んで苦笑いしてみせると、チームメイトの先輩から「おまえ苗字さんと同じマンションだろ、なんか知らねーの? 相手のこととか」とさらに追求された。だからその彼氏ってのオレなんです、なんてことはとても言える雰囲気ではないので、苦し紛れにこんな返事をしてみた。

「住んでる階が違いますし、マンションじゃあんまり顔合わせることないですよ」

 だよなあ、と項垂れる先輩。あんまり顔合わせてないどころか、最近はめちゃくちゃ会ってます。スミマセン。いつか報告することになったらブン殴られることも覚悟してないといけないな、なんてことをぼんやり考えながら、やっぱりあの時繋ぎの指輪を買っといて正解だったと安堵した。

「自主練中にすみません、流川さんって今日もう来てます?」

 と、ここで話題の人物登場である。
 現れた名前さんはどうやら流川への取材を組んでいたらしい。そういやアイツ、ついさっきまではそこらへんでダムダムやってたはずだけど。来シーズンも同じチームでプレーすることになった流川は、相変わらず暇さえあれば呪文みたいに「ワンオンワン、ワンオンワン」と迫ってくる。

「そういえばさっき外走りに行きましたよ」
「本当ですか!? ありがとうございます、ああもう時間ちゃんと言っといたのに……!」

 左手に嵌めた時計に目をやってから、流川の動向を教えた先輩にぺこりと頭を下げる名前さん。そこで、顔を上げた彼女とぱちんと目が合った。
 そのまま、名前さんに向かって「付けてくれててありがとう」と意味を込めてこっそり自分の左手を指差してみたら、彼女は照れたように小さく笑ってこくん、とかわいらしく頷いた。
 あーダメだ。オレ、やっぱりこの人ぜったい離したくねえや。今晩、部屋行ってもいいかな。後でこっそりこのあとのスケジュールを聞いておこう。そんな感情を悶々と抱えながら、思いついたことがひとつ。
 来年のご褒美は、予約じゃなくて確約にしてもらおう。そう考えたら俄然燃えてきた。
 オレには切り離せないものがひとつ、バスケットボールだ。それがここ一年でもうひとつ増えた。来年それを伝えたら、名前さんはどんな顔をするのだろう。
 これからやってくる熱い季節に向けて、ジワジワとくすぶってきた熱がエンジンを温め始めている。


(end.)


...Thank you for a lot of love.
And, thanks a lot to all of you.


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