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翌朝やはり、引き返すことにした。面倒だが仕方がない。この変な気持ちのまま剣を交える方が何倍も嫌だ。電車に揺られながらスクアーロはそう考えていた。そういえば、あれから一度も鯱が帰ってこない…消えたか?いやいや、そっちのほうがいいじゃないか。何を気にしているんだ自分は。全く調子が狂う。
昨日と同じような長閑な景色が段々と窓の外に広がっていく。たが昨日よりも随分長く揺られているような気がした。駅を降りてからも足早に目的地に向かうが、どうも昨日より時間がかかっている気がする。歩いても歩いても、小高い丘は見えてこない。イライラのメーターは上がる一方で目の前あった小石をおもいっきり蹴り飛ばしてやった。ちょうど小石が飛んでいった先で林が開けていた。やっと着いた。これで面倒ともおさらばだ。そう思うと幾分スッキリしたように思えた。スクアーロは昨日と同じかそれより強く、ドアを乱暴に叩き開けた。老人は椅子に腰掛けていて、音よりもスクアーロに驚いているようだ。じいっと見つめてくる少し濁った目はまるっと見開かれたままこちらに向けられている。スクアーロがそちらに向かうと一度目を閉じていつもの気色の悪い笑みに戻した。


「昨日の今日だぞ。いったいどうした」
「訊きてぇことがある」
「自分で訊けばよかろう。まだ先は長い」
「剣のことじゃねえ」
「知っとるわ」


驚きで声が出なかった。だがそれはすぐに確信にかわった。やっぱりだ。この老いぼれは鯱のことを知っている。何で知っているのはなんていうのはこの際どうでもいい。全く気味の悪いジジイだが今は好都合だ。は老人の方へ足を向け、一瞥を向けてから口を開けた。

「…剣じゃねぇんなら一体何だと思ってやがる」
「鎌掛けてんのか?相変わらず頭が弱いのう」
「あ゙あ゙!?」
「ここまで予想通りになるなんぞ思っても見なかったわ。お前もそうじゃがあやつも相当頭が悪い」

やれやれとわざとらしくため息をついて見せるとジジイは此方を半ば呆れたジト目で見てきた。完全にバカにされているのには腹が立つことこの上ないが今だけはグッと耐えておく。促されるまま硬い木の椅子に腰を掛けた。


「で?」
「は?」
「わからん奴じゃのう。何があったかか聞いとる」
「…あ゙あ」
「お前の思っとることも含めて全部吐き出せ」
「ゔ」
「ほれほれ、時間がないんじゃ!」


老人に急かされ、スクアーロは全て吐き出した。七割は鯱に対する愚痴であったが。老人は最後まで何を言うこともなく静かに聞いてやった。全て聞き終えた後、老人は深く頷いて口を開いた。


「若いのう…」
「はぁ?」
「そんでもって、やはり馬鹿じゃ」
「はぁ゙!?」


スクアーロは勢い任せに立ちたいのをグッと押さえた。なんだって自分がこんなに馬鹿にされなきゃいけないのか。目の前の老いぼれをこれでもかと睨み付ける。


「結論からいうと、鯱を追い出すことは可能」
「本当か!」
「じゃが、お前から切り離した途端、鯱は死ぬ」
「…」
「元々人格だけの存在じゃ、当たり前のこと」
「…つまり何が言いたい」
「情は無いかと訊いとる」


スクアーロの目は驚きに見開かれた。まさかこんな質問をされるとは塵も思わなかったのだ。だから、すぐに返せなかったのも驚きのせいだ。


「は、情だと?…ジジイ、俺が一体どれだけ」
「人を殺めたか、ましてやその人数は関係ない」


老人はスクアーロに真っ直ぐ視線を向けた。こればっかりは本人にしか正解はわからない。老人には分かっていた。目の前の少年が存外中のもう一人を気に入っていることを。二人の波長が丁度よく合っていることを。今現在スクアーロの目が、中が、動揺の色に満ちていることを。今ここで鯱を切り捨てれば、間違いなく目の前の存在は後悔する。絶望、喪失感に似たものが心の中に巣食い続ける。それはわかっているが、やはり決めるのは自分ではない。まだまだ未熟な目の前の存在なのだ。
老人は間を開けてもう一度尋ねた。


「鯱を殺しても構わないか?」


鯱が消える。そんなことは自分の体から切り離そうとしたときに分かっていたことだ。ジジイに確認されるようなことでもない。それを分かってここに来た…筈だった。ジジイに確認されたとき何故か素直に頷けなかった。訊かれた途端胸の奥の方から責め立てるような感情が溢れてきた。いや、もっと前からこのモヤモヤはあったのかもしれない。少しずつ、少しずつ、自分の中を満たしていって、それが段々と溜まっていって、今一気に自分の容量を超えた、そんな感じだ。それはコップから溢れ出た水のようにスクアーロの中に広がっていく。隠しきれなかったそれが自分をずぶ濡れにするまでそう時間はかからなかった。気のせいか体が重い。頭の中を猛スピードで巡る鯱の存在と耳元にあるように鳴り響く心音。それでいいのかという警告音が身体中に響いて、スクアーロは自身の頭と心の矛盾に戸惑った。

何分たったかわからない。喉は渇き、足元を見つめたままスクアーロは考え続けた。結果はとうに見えている。だがそれを自分の中に仕舞い込むまでの時間が必要だった。幼いプライドを素直で宥め、やっと顔を上げることが出来た。


「…それは困る」
「おや、鬱陶しいんじゃなかったのか?」
「あ゙ー…何っ言うか、いねぇとしっくりこねぇ」
「ほう」
「つい最近まで俺だけだった。それが普通だったのに、今じゃ有り得ねぇみたいだ」
「何故そう思う」
「勘」


老人は深く頷いた。こいつらしい、素直にそう思う。勘こそが自分の本心、そう思ったのだろう。それでいい。こいつの意思が固まれば後は早い。
老人らゆっくりと立ち上った。


「悪いが、ちぃとばかし寝てもらうぞ」
「は?なに言って」


やがる。この三文字を口に出すより早く、スクアーロは首筋あたりに手刀を入れられた。
薄れる意識のなか、思ったことは一つ。


(このクソジジイ…かっ捌いてやる…!)

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