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柊は、悠里が千尋の拳になすすべもなく殴られるのだと思っていた。柊が悠里が好きだと言ってしまったばっかりに、千尋の行き場のない感情がすべて悠里に向くのだと思った。だから彼の名を呼び、逃げろと叫んだのだ。

だけれどかれは、その場から動こうとはしなかった。そんな悠里に焦れたように、千尋の拳がまっすぐにかれに叩き込まれる。相手が強いと思っているから、かれの拳に手加減はもちろんなかった。もう殆ど悲鳴のように、柊が悠里の名を叫ぶ。

部屋に光が満ちたのは、その次の瞬間のことだった。

「…悠里さ、俺のことセコム代わりに使うのやめようぜ」
「何の事かわからねェなァ、雅臣」
「いや、そんなカッコよく言われても」

カーテンが千切れる音がする。窓が割れる音もした。それでも振り切られた千尋の拳が悠里に届く、そのコンマ何秒か前。滑り込むようにその間合いに着地をした影と悠里が、悠然と会話を交わしている。おそらくは本人たちにしかわからない出来ごとは、そのようにして起こった。

千尋の拳は、悠里の腹のすれすれでぴたりと静止をしている。横から伸びた腕に、手首をしっかりと掴まれることによって。

「…何で、アンタまで」

目を見開いた千尋が、そう呟いて立ちつくしている。悠里の目にはかれの表情が、うちすてられた仔犬のようにみえた。許される行為ではないがかれの気持ちも十二分に推し量ることが出来るから、悠里はかれを責めるようなことはしたくない。

「悠里さん…」

目を見開いているのは椋もだった。いざとなったらかれを庇って殴られようと思った刹那、悠里の手につよく腕を引かれたのだ。まるでこうなることがわかっていたみたいにして。

「明らかに風紀違反だろうが」
「うわー、絶対お前に言われたくないよこいつも」

なー、と椋に同意を求めながら、悠里は大きく深呼吸をする。掴んだままの椋の腕を離し、柊の方を見て微笑んだ。大丈夫だよとでもいうような、笑顔。

「…悠里さん悠里さん、混ざってます」

千尋の拳をぺいっと放り棄てて椋と悠里を背に立っているのは、雅臣だった。窓を蹴破って入ってきたらしいことはなんとなく見当がつく。なにがなんだかわからないでいる柊に気付いたか悠里が駆け寄ってきて、傍に膝をついた。かれの腕に抱え起こされる。情けないことこの上ないけれど彼の前で泣きたくなくて、柊は身体を捻って丸くなった。顔を背けている間に、縛られた手と足が手際よく解かれる。

「もう大丈夫だ。遅くなってごめんな」

完全にあとのことを雅臣に任せたらしい悠里が、すべて片付きましたというふうな顔で笑う。それからぎゅっとあやすように抱きしめられて、柊は情けなさに唇を震わせた。
守られた。助けられた。それだけじゃない。危ない目にまで、遭わせてしまった。

「…悠里さん、兄さんのことは僕に任せて」
「兄弟のほうが気が楽かな。じゃ、よろしく」

流石というべきか、椋はそんな柊に気付いたようだ。そういって柊から悠里を遠ざけて、兄の情けない泣き顔を隠してくれる。柊のひとみからはすでにぼとぼとと涙が溢れていた。

「…情けなさすぎんだろ、これ」
「否定はしないけどね。…悠里さん、きてくれたでしょう」

兄の顔にハンカチを押しつけてやりながら、椋は肩越しに後ろを振り向いた。千尋と雅臣が殴り合いをしている。のだけれどそれほど緊張感がないのは、雅臣が千尋を弄んでいるような状況だからだろうか。拳をいなし、蹴りをぎりぎりまで引き寄せてかわし、だというのに雅臣からの反撃は一切ない。焦れたように千尋が渾身の正掌を叩きこむと、雅臣はにやにやと笑っただけだった。てのひらで拳が掴まれている。すこしのダメージも負わせられていないのは明らかだった。

「分かってたけど雅臣お前、性格悪いよな」
「お前、恩人に向かってそんな蔑むような眼を向けるかふつう…」

明らかに素の対応になっている悠里を前に、雅臣はいつもどおりである。機嫌はよさそうだったけれど。千尋は力量の差を理解したらしく、拳を納めて身体を引いた。震える柊の肩を見て眉間に皺を寄せている。つらそうだ。

「…アンタに」
「んー?」
「アンタに勝つ。そしたら、柊にもう一度告白する」
「それはいいアイディアだな」

最後の相槌は悠里のものだ。がんばれ!と見当違いな声援を送って、千尋にものすごく微妙な顔をされている。最早椋にも庇う言葉が見つからないようだった。雅臣は対して気にとめていないふうをして、ふーんなんて答えている。千尋の喉が戦慄いて、ひとこと。

「ごめん、柊」

それだけ吐き出して、かれは空き教室を出て行った。





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