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盛大にカフェオレに噎せている洸に目も向けず、郁人は汚い手蹟で書き殴られたメモを眺めていた。やはりラドルフは郁人の思っていたのとそう変わらない人物である。以前の妻も年若いころ唐突に嫁に来たそうだ。ラドルフの工場に備品を届けている家の娘であったという。対して新しい妻にさせられそうになっているモニカの家も、近隣では名の知られた食品を加工する工場であった。

元々、この森の国は有する大きな森、魔の森、と言われているそこで取れる魔法の欠片で特殊な工業が発展して豊かになった国だ。海の国が得意とする緻密な機械ではなく、今はすでに滅びた魔法の欠片、魔石と呼ばれるそれを加工し、大規模な産業へと繋げていた。郁人と洸が恩を受けているアルメリカの祖父が経営するパン屋も、窯の炎は火の魔石で管理されている。
だから、工場を持つということは大きな魔石を手に入れるだけの財力があるということだ。無論、魔石は他国へのよい輸出品となっているが、大きな工場で使われるようなサイズの魔石は滅多に国を出ない。

「やっぱり、謎なんてひとつもないぞ、洸」
「おまえ、…俺に、なんの怨みが、あるんだ」

げほげほと咳きこんでいた洸は涙目で水を飲んでいる。しかし、と郁人は思案にくれた。父親がモニカを嫁がせると決めたということは、父親はなんらかの弱みをラドルフに握られているんだろう。その弱みがラドルフの罠だったということを解きあかせばいいわけだ。

かといって時間がない。そこにトリックもない。ただ書類上、もしくは書類にすら残らない問題だ。郁人はふと、メモの隅に書かれた文句に目をやった。

「この、モニカさんに婚約者がいるっていうのは、ほんとう?」
「ほんとう。モニカって娘の父親がやってる工場で、一番の働き者の若い奴みたいだ。…そうじゃなくて、郁人、なんだよこの飲み物」

これなら、と郁人は思う。おれや洸の出るまでもなく、勝手にそいつがモニカさんを連れて逃げたらよかったんじゃないか?しかしそれを洸にいってもなにも始まらないことも、郁人はよく知っていた。その働き者に甲斐性があるかどうかなど、郁人にも洸にもわからない。

「…おまえも、昔はあんなに可愛かったのにな」
「なにそれ。この刺激物となんか関係ある?」

洸はほとほと困り果てたように苦笑いをすると、目の前で何故か非が洸にあるような眼をした幼馴染を見て、自分でも甘いなあと思いながら諦めてあたらしいカフェオレを淹れた。無言のままに空のカップを差し出してきた探偵大先生にも淹れてやり、自身が書いたメモを覗きこむ。

「前の妻も工場の娘、か。どんな工場だかわかるか?」
「聞いてきた。ほら、そこの角に廃工場があるだろう?あそこらしい。なんでも、前のラドルフの嫁が嫁いでからしばらくして廃業したんだと。それからその妻も、使用人と駆け落ちしたらしいぜ」

カフェオレに唇をつけて、郁人は眉間を指先で押した。何かを考えるときの、郁人の癖である。洸はそんな横顔をなんともなしに見て、それからおもむろにぐしゃりとその頭を撫でてみた。指通りのいい亜麻色の髪と、目の前のカフェオレの色合いが重なる。

「…なんだ」
「なんか今、ちょっと探偵っぽかった」
「あたりまえだ。おれは探偵だぞ!」

眉間の皺はもう解れている。お返しとばかりに両手でぐしゃぐしゃに髪を掻き混ぜられて、洸は辟易をした。かれと違い奔放に跳ねる髪は、数年前に手酷い長さで郁人に切られて以来伸ばしっぱなしのせいで酷いありさまだ。かすかに郁人の口端に笑みが浮かぶ。柔らかいそれは、今も昔も変わらない、見慣れている洸でさえふと息を詰めてしまうような何かがあった。

「おまえは、変わったんだか変わってないんだか、全然わからないな」
「…なんだよ、さっきから」
「昔のように、怖い夢を見たらおれの部屋に来てもいいんだぞっていうことだ」

かっと耳まで赤くなった洸をにやにやと眺めている郁人に、すでにその触れたら消えてしまいそうな、捕まえておきたくなるような、そんなあえかさは微塵もない。何か言い返そうとして口を開いては閉じ開いては閉じを繰り返している幼馴染に、郁人は遠慮なく笑い声をあげていた。

「もう少し、ラドルフがどんな影響力を持っているか調べたいところだけれど。婚礼は明日だもんな…どうしようか」

問題は、モニカの父親が恐らくラドルフのいいなりであるということだろう。どんな手を使ったにしろどんな問題があるにしろ、たとえ婚礼を帳消しにしたところで彼女の未来は明るくなりはしない。ラドルフが悪事を働いているという証拠がなければどうしようもないということが現状だった。

「婚礼はすごく豪華にやるらしいぜ。俺が話を聞いた八百屋のおばさんも、祝儀目当てに冷やかしにいこうなんていっていたくらいだ」

一気にフラッシュバックした幼少のころのあれやこれを打ち消すように、洸はことさら声を張り上げていう。それを見てまたにやにやする郁人をどうにかするのはそうそうに諦めて、ごまかすように立ち上がって伸びをした。

「ふたりとも、大変!」

事務所の薄いドアを、切迫した声が叩く。ただならぬ気配に動きを止め、目を合わせて郁人も立ち上がった。郁人の前に半身を投げ出し、一歩早く洸が扉を開ける。

「どうした、アルメリカ」
「おじいちゃんの窯が、窯が!」
「火事か!?」

顔面蒼白の少女を見て、そう声を上げたのは郁人だった。洸をすり抜け、事務所を飛び出していく。隣にあるパン屋に駆け込むと、背筋のしゃんと伸びた老人が立っていた。

「ジーンさん!」
「おお、すまんな…」

孫娘を一手に育てているかれの背は大きい。見たところ窯に煙が上がっていないことに安堵して、郁人は足を止めた。何があったんですか、と問うのと、アルメリカと洸が続いたのは同じ頃合いである。

「…今収まったんじゃが、さっきまで火柱が何度も立ってな…ほれ、天井が焦げてしまった」

顔を見合わせた郁人と洸が、ジーンを下がらせ窯に歩み寄った。孫娘の肩を抱き、ジーンがふたりの背中を不安げに見守る。

「魔石はどこに?」
「窯の下にある」

それを聞くと、洸が無造作に鞘のついたままの剣を窯の下に突っ込んだ。軽く掻き出すような動作をすると、拳大の煤まみれの塊がかれの足元に転がり出てくる。

「これ、どのくらい使ってますか?」
「そうじゃな、だいたいアルメリカが生まれたころになるか…」
「おいおい、家庭用の魔石の寿命は十年って習わなかったのかよ」

バケツに入っていた水を、郁人がその塊に掛けた。すさまじい音を立てて湯気が上がる。同じように泥が流れ出し、残ったのは、赤色の石である。そこに魔石本来の輝きは、すでに残っていなかった。僅かに石の芯のほうで、薄く魔力が輝いている。

「そろそろ新しい魔石にしたほうがいいかもしれませんね」

郁人がそういって笑う。失念していた、というふうに瞬きを何度もして、ジーンが頷いた。焦げた天井を見上げていたアルメリカが苦笑いをする。この国で魔石はそう高価ではなかったが、どこかそのエネルギーが恒久的だと思ってしまうほどにそれらは生活になじんでいる。海の国ならば大きな魔石を使って町単位で供給している電力も、この国では個人が自分の使う分量だけを調達するのが当たり前だった。三つの国の中で、森の国が最も自由だと言われる所以である。

「…工場にあるような大きな魔石だと、買い換えるのも大変だろうな」

ふと、郁人が呟いた。剣先で魔石を突っついていた洸が振り返る。アルメリカが不思議そうに郁人の顔を見て、そしてかれに腕を掴まれて目を丸くした。

「アルメリカ。モニカのお父さんがやっている工場まで、案内してもらえるか?」

アルメリカと郁人が店を飛び出していく。ジーンに、困ったやつだろうと言いたげに肩を竦めた洸が、十分に冷えた魔石を手に取った。

「なあ、今日ほかにパンを焼く予定は?」
「いいや、今日の分はもう出来ている。わしもこれから、新しい石を工面しにいくよ。窯を駄目にしてはかなわん」
「じゃあこの魔石、貰っていいか?制御出来ないくらいだけど、少しは魔力も残ってるし」

悪戯小僧のような顔を、洸がする。ジーンが困ったやつはおまえもだ、というふうに笑って頷いたのを確かめて、洸もパン屋を飛び出した。

洸がパン屋や事務所のある裏通りを抜けて本通りに出たころにはもう、郁人とアルメリカはずっと先を走っていた。辛うじてそれを目視して、洸はそれを追い掛ける。アルメリカを気遣いつつ走る郁人にはすぐ追いつくことができそうだった。

数年前、この共和国に事務所を構えて以来郁人はいつもこうだった。迷い猫を探すような依頼でも、どこから聞きつけたのか腕の立つ用心棒としての依頼も、どんなものでもああしてそれはそれは楽しそうにやっている。

かれが楽しいと思いながら生きているのであれば、洸はそれでいい。決して面と向かってはいってやらないけれど、ずっと昔からそう思っていた。

魔石をポケットに突っ込んで、洸は息をつめて加速をした。昔からすこしぼんやりとしたところのあった郁人は暴走しがちなので、傍についていないと不安になる。ほどなくしてアルメリカに追いつき、そして郁人の隣に並んだ。

「何が分かったんだ?郁人」
「魔石だよ。工場の元締をしているくらいなら、周りの工場の内情も知っているだろう。もしモニカさんの家の工場の魔石が、魔力を失う寸前だったら…」

そこまでいって、アルメリカの声にふたりは足を止めた。彼女がさししめしたのは、思ったより大きな工場である。夕方過ぎても活気に溢れ、中からは機械の動く音が聞こえていた。

「アルメリカ、モニカさんを呼んでもらえるか?」

頷いたアルメリカが工場の中に入っていく。薄く開いた扉から中を覗きこんでいた洸が、背後で考えごとをしている郁人を振り向いた。

「魔石はあるけど…あれだけ大きいのだと、代わりになるだけのサイズはかなりレアだぞ。それに、じいさんとこの小さい魔石と違ってまだ綺麗に光ってる」

手招きをされ、郁人も洸の傍へ寄った。工場の中には忙しく立ち回る人々と、そして中央にある郁人の背丈の二倍はありそうな赤に輝く魔石が見える。遠目でも魔力の揺らめきがわかった。目線を合わせ、ふたりは訝しげな顔をする。

「魔石には問題はないのか?」
「…待て。確かに光っているけれど、あの光、不安定じゃないか?」

難しい顔をした郁人の肩を掴み、洸が石の中心を指差した。じっと見ていると、魔力の炎の揺らめきが小さくなったり大きくなったりを繰り返していることがわかる。

「二人とも!モニカは出かけているみたいだったから、モニカのお父さんを連れて来たわ!」
「…アルメリカ、きみって前から思ってたけど、きっと大物になるよ」

難しい顔をしたまま、そういって郁人が苦笑いをする。洸に至っては諦めたように仰のいている。アルメリカに腕を引かれ、額に浮かんだ汗を拭いながら不安そうな顔をしている前の中年こそが、今回の主人公であるモニカの父親に相違なかった。






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