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凄い凄いと褒めちぎられて、照れが限界に達したらしい柊はついにヘソをまげた。クッションの海に沈みこんだ背中を見ながら、悠里はまだ耳に残る旋律にうっとりと眼を細める。もともとクラシックは聞くほうだったけれど、先ほどの曲の名前がわからない。旋律にはなんとなく覚えがあるのに、はっきりと思い出せないのだ。

「何かもっと弾いてくれよ、柊」
「うるさいだまれ」
「ひーいーらーぎー」

先ほどからこんな問答が何度も繰り返されている。柊の弾くピアノの音は一瞬で悠里を魅了した。明日に待ち受ける校内新聞の絶望まで、どうせなら少しでも癒しがほしい。それにしても明日からどうすればいいんだろう、と思いながら、悠里は柊の傍まで寄ってクッションに腰を降ろす。やわらかい。ぐふ、と悠里の下でクッションが呻いた。

「…重い」
「こんなに上手いのに、いつもは弾かないのか?ピアノ」
「弾かねえよ。…重いって」
「どうして」
「どうしてって…、べつに。今日は特別だ」

柊が、悠里にむけてちいさくはにかむように笑った。それを見て面喰ってから、たぶん、と悠里は思考する。たぶん柊が悠里の前以外では「王道学園に現れた転校生」を完璧にこなしている所以は、こういうところにあるのだと思う。自然に出る言葉やしぐさの端々がかわいらしい。俺でなかったらなるほど今のでフラグが立つのか、とどこかためになったような感心した気持ちになった。

「柊ってさー」
「なんだ。また現実逃避か、俺様生徒会長」
「可愛いよなー」

ぶっ。今度はクッションが思いっきり噴き出す。勢いよく柊が身体を起こしたせいで、自分よりも背の低い柊に全体重をかけられるわけもない悠里はごろりと転がってクッションの海に溺れた。

「ど、ど、どこがだボケ!」
「うーん、そういうとこ?」

肩を震わせて怒鳴り声を上げる柊を見上げながら、悠里は呑気にマニュアルの中身を思いだしている。『たいていの王道転校生は、自分の魅力にちっとも気付いてはいない』。妹の文言ながら、なかなかに的を得ていると思った。柊の耳が赤い。

「そういう時々見せる素の笑顔がイイ。あ、そうだ、お前のさっきの顔の写真を新聞部に売りつけたら明日の新聞なんとかなんないかな」

ぐっとクッションのなかから親指を立ててやると、傍らに膝をついてぶるぶるしていた柊がついに脱力した。それから呆れたように天井を見上げ、ぽつりと。

「…それは、お前もだろうが」

柊は、吐き出す。氷が融けたあたたかくてやらかい表情も、押し殺したように漏れるくつくつという低い笑い声も、どちらも自覚したばかりの柊の恋情をひどく揺さぶるのだ。この学園で、この笑顔を向けられるのは自分だけだ。そんなことを考えてしまえばどうしようもなく胸が高鳴るのも、理由が分かってしまった今では目を逸らしようがない。

「やー、我ながら俺様生徒会長には不向きなことぐらい知ってるって。お前と仲良くなってから気ィ抜けてるしなー」

この、目の前で眉を下げて笑んでいる男が。この教室から一歩外に出ると、氷のような眼をする。そして柊の前で愛おしいものを見る目になって、周りの誰かに聞こえるように愛を囁くのだ。困難を前にすればかれは当たり前のように、柊を庇護するだろう。それがかれの演目だからだ。

柊は、かれに文句をいいながら守られている。いなければならない。けれど今もまだ、出来るだろうか。守られているふりくらい出来る、と言い捨ててしまうには、柊もまた今朝の出来ごとを引きずっていた。

「なんだ?…昼飯まではまだあるぞ」
「…椋が見つかっても、転校すんのやめようかな」
「へ?」

椋を見つけるために、柊はこの学園に来た。それだけのために、あのマニュアルを読み込んでその役を演じてきた。…けれど、その裏でたくさんの思いがうまれて、それだからこそ今になって、悠里の傍を去るのがつらい。この笑顔を、素の悠里を独占できなくなることも、…そのあとに悠里の隣にだれかが、雅臣が並ぶことも。

いつの間にか気付けば、柊が「俺様生徒会長に惹かれる転校生」を演じることに、明確な理由が出来ていた。柊は、悠里の隣に居たかったのだ。

「…な、悠里」
「でも、お前…、いや、俺はうれしいけどさ」

うれしい。うれしいと思ってくれるのか、と思うと、柊の頬に熱が上がった。心臓の音が高鳴って、それから自覚した恋が柊のこころをみっともないほど焼け焦がすのを感じる。好きだ。悠里が、好きだ。

「やっぱり、こうやって俺様やってなくていいの、楽だし。ほっとする」

真っ赤になった柊に気付かず、悠里は天井を見上げてそうやって笑った。いっしょに授業をサボったり、友達部屋に泊めたりするようなこと、ないと思ってたから。存外にふつうの高校生活を楽しみたかったらしい悠里の口を漏れるのは、警戒心なんてどろどろに溶けだしてひとつも残っていない文句ばかりだ。

すっと通った鼻すじも、切れ長の涼やかな目元も整った眉も少しばかり厚めでどことなく色気のある唇も、どれをとっても悠里は色男然とした面立ちだ。男っぽい、とまでは言わないけれど、きれいよりは格好いいに分類される顔である。だけど、そんなかれが柊のまえでは甘くやわらかく笑う。柊は、そして悠里が、かわいくてたまらないのだ。

…これが、ギャップ萌えってやつなのか?

いやなことを思い出しながら、柊は浮かんだ自分の考えを自分で打ち消した。あいつといっしょになりたくない。ひとりで百面相をしていたら、悠里が僅かに眠そうな目をして柊の袖を引っ張った。どうしたんだ、とでも言いたげな気だるく甘い眼差しに真正面から射抜かれて息が出来なくなる。半開きの唇に誘われて、キスしたい、と思った。




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